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"頭がおかしい現象"が起きる根本原因…批判殺到で撤回の「子どもの留守番は虐待」条例案の本当の問題点

  • 2023.10.11

子どもだけでの留守番などを禁じる虐待禁止条例改正案を、10月4日に埼玉県議会に提出していた自民党県議団が10日、この改正案を取り下げると発表した。武蔵大学社会学部教授の千田有紀さんは「改正案は、少子化対策に逆行するとしか言いようがなく、取り下げられはしたものの、自民党は痛手を被っただろう。虐待防止は大切であるが、具体的な支援サービスの拡充を図ることなく、海外のシステムをただ輸入して精神論的に乗り切らせようとする態度に問題があったのではないか」という――。

埼玉県虐待禁止条例改正案の取り下げについて記者会見する同県議会の自民党県議団の田村琢実団長=2023年10月10日午後、さいたま市
埼玉県虐待禁止条例改正案の取り下げについて記者会見する同県議会の自民党県議団の田村琢実団長=2023年10月10日午後、さいたま市
わずか6日で撤回された条例改正案

10月10日、埼玉県議会の自民党県議団は、4日に提出していた、子どもだけでの留守番や通学などを放置による虐待と定める「虐待禁止条例」の改正案を取り下げることを表明した。

当たり前のことであろう。この虐待禁止条例の改正案の中身が知れるや否や、SNS上では「頭おかしい条例」(駒崎弘樹さん命名)とまで呼ばれ、批判の嵐がまきおこった。

埼玉県内の市区町村の首長やPTA団体からも、当惑や批判の声ばかりが上がった。ゴミ出しの際にも子どもを家にひとりで置いておいてはいけないうえに、虐待の通報義務まであるという極端な案に、成立したら、「共稼ぎではやっていけない」「シングルマザーは自動的に虐待していることになってしまう」「埼玉から引っ越すしかない」という声が多数聞かれた。

そもそも、通園バスの車内などに子どもが放置され、命を落としてしまうという事例を念頭に、こうした案を作成したのだとしたら、首をかしげざるを得ない。

通園バスや自家用車の車内に子どもを置き去りにしたりするのは、まさにうっかりした「ミス」である。四六時中、親が張り付いてみていれば、そうした「ミス」がなくなるわけでもあるまい。

むしろ幼稚園や保育園などで、園児の欠席の連絡を必ず保護者にして確認するであるとか、園児の数の確認をきちんとルーティンに組み込むとか、必要なのはそうしたチェック体制だろう。

条例案があまりに非現実的なため、成立することはないだろうと思っていたが、取り下げられたようでホッとしている。

痛手を被った自民党

この地方自治体の条例案のせいで、痛手を被ったのは自民党だろう。

「異次元の少子化対策をする」という首相の宣言もむなしく、財源すら確保できない状態でお手並み拝見と思っていたら、自民党議員からの、この生活感覚をまったく欠如させた改正案がでてきた。

ひと昔前と違って、「誰もが一定の年齢になったら結婚し、子どもを産み育てる」といったライフコースが崩れてしまった現在、結婚することも、子どもをもつことも、個人の選択とみなされつつある。子持ちになれば、ごみひとつ出しに行くことすらできないとなれば、「子どもをもつのは大変だ」「そこまでして、結婚したくない」という感想をもつことは、当然の論理的帰結である。

このような改正案の提案は、まさに少子化対策の逆を行っているとしかいえない。関東の一自治体での条例だったとしても、その影響は全国区である。自民党の支持率はさらに下がったのではないか、とすら予想してしまうほどの印象を私たちに残した。

県議団団長は自民党の「左派」だった

さて、この条例案に対してネット上では、「やはり自民党は宗教団体と関係があるからダメなんだ」「右派だからだ」「『親学』の影響がある」などという声が渦巻いているのを見て、私は正直にいって虚を突かれた。

「なるほど、ひと昔前なら確かにそういうふうに解釈しただろう」ということを思い出した。確かに、そういう側面がまったくないとまではいえない。

しかし自民党県議団の団長の田村琢実議員は、埼玉県のいわゆるLGBT条例、性の多様性条例を成立させた議員でもある。また、圧力をかける宗教団体を批判し、その圧力をはねのけたことも公言している。いわば、稲田朋美議員と同様、与党自民党における「左派」なのである(稲田氏を、「左派」と書く日がくるとは、まさか数年前には思いもしなかったが)。

アメリカのまねではないか

この条例案を見て、即座に「アメリカのまねだな」と思った。

基本的にアメリカでは、小学生をひとりで家に置いておくことは、違法であり、虐待にあたる。虐待には、場合によっては通報義務がある。アメリカでは、どんどん親の責任が重くなってきている。パートナーが子どもの虐待をしているのに通報することなく「見て見ぬふり」をしたりすることも、罪を問われる場合がある。たとえ本人がパートナーからの暴力(DV)の被害者であったとしても同様だ。子どもへの虐待加害者よりも、さらに重い罪に問われることすらある。

こうしたアメリカの枠組みをそのまま日本に輸入したのだろう、というのが条例案をパッと見た感想だった。

もちろん、アメリカではひとりで子どもが出歩くことなど、治安の問題からして考えられないことである。学校にはスクールバスがあり、家の前まで送迎をしてくれる。私立校に通わせていたり、バスがないとしても、親が車で出勤するついでに学校に寄るというスタイルを取っていることが多い。

通勤も出勤も、朝早い。移民のベビーシッターがおり、送迎を頼むこともできる。こういった社会の条件があるなかで、システムが構築されている。

それをそのまま、日本にもってきたとしても、うまくいかないのは道理である。ただでさえ待機児童や学童不足が嘆かれているのに、「子どもにつきっきりでいるべきだ」とは、非現実的もいいところである。

スクールバスに乗り込むアメリカの子供たち
※写真はイメージです
「左派」や「右派」の軸は意味を失っている

つまりこれを、「右派」の問題にだけに還元してしまうと、見えなくなってしまうものがある。これはむしろ、海外のシステムを導入する際に、その背景や条件を理解したり、必要な制度構築をすることなく、そのまままねをして事足れりとする態度の問題なのではないかと、私には見える。こうした提案自体は、「先進的」でも、「グローバルスタンダード」ですらもないように見えるのである。

このように考えれば、もう従来的な「左派」や「右派」という軸自体が、意味を失っていることが明らかだろう。

変質せざるをえなくなった自民党

一強となった自民党のなかで、「左派」の主張はむしろ、かつての野党の役割をも兼ねざるを得ず、理想主義的で「リベラル」寄りになってきている。そして、自民党のなかでの「右派」も、こうした「左派」の態度に呼応するように、「リベラル」な装いをまとうようになっている。

例えば、先のLGBT法案に対する自民党内の反対意見は、つねに「保守派」「右派」と報道されていた。しかし少なくとも初期の議論では宗教的なイデオロギー色はなく、実は「女性や子どもの人権や安全」という論理で批判されていた。イデオロギー色を出したら、とたんにリベラルなマスコミに叩かれ、世論の支持を失うため、イデオロギー色や宗教色は出しにくくなったのだろう。「LGBT法案が成立したら、皇室の危機が訪れる」といった類いの批判が強くなったのは、ほぼ法案の成立が確定してからである。

こうして、一強となったがために変質せざるを得なかった自民党に対して、「保守」の色が足りないという批判が外部から出始めたという構図になっているように、私には見える。

条例案の真の問題点

話を埼玉の虐待禁止条例案に戻そう。

虐待を防止したいという願いに、賛同しない人はいないだろう。しかし問題は、こうした理想主義的な目標を掲げたにもかかわらず、そのために何が必要であるのか、地に足をつけて考えることのないその態度なのではないか。具体的な子育て支援サービスの提供や、保育園や学童の拡充などをすることなく、海外のシステムをただ輸入すればいいと考え、精神論的に乗り切らせようとする、その安直さなのではないだろうか。

千田 有紀(せんだ・ゆき)
武蔵大学社会学部教授
1968年生まれ。東京大学文学部社会学科卒業。東京外国語大学外国語学部准教授、コロンビア大学の客員研究員などを経て、武蔵大学社会学部教授。専門は現代社会学。家族、ジェンダー、セクシュアリティ、格差、サブカルチャーなど対象は多岐にわたる。著作は『日本型近代家族―どこから来てどこへ行くのか』、『女性学/男性学』、共著に『ジェンダー論をつかむ』など多数。ヤフー個人

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