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【京都検定】伏見の広大な史跡を公園に保存☆三代上皇院政・戊辰戦争の舞台「鳥羽離宮跡」

  • 2023.10.7

汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は伏見区、京都南インターすぐの場所にある史跡公園。三大上皇院政、戊辰戦争の中心舞台となった場所。

広大な敷地を誇るかつての院政拠点

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伏見区、京都南インターにもすぐで、この東側には城南宮もある場所。ここに広大な敷地誇る公園「鳥羽離宮跡公園」があります。以前から鳥羽離宮について詳しく知りたいと思いつつやってきました。

公園の名称からもわかるとおり、かつてこのあたりに鳥羽離宮があり、今回訪れた鳥羽離宮公園はかつて南殿のあった場所。

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鳥羽離宮(鳥羽殿)は、11世紀末に藤原季綱が白河天皇に別邸を献上し造営された御所。孫の鳥羽天皇の代にほぼ完成し、白河・鳥羽・後白河三代上皇の院政の中心舞台として14世紀頃まで活用された場所。最盛時には、南北約800メートル、東西約600メートルの池を含む広さ約100ヘクタールの広大な規模を誇っていました。

ちなみに、「院政」とは平安時代末期~鎌倉時代に行われた政治形態のことで、上皇または出家した上皇である法皇が天皇に代わり政務を行うこと。日本史ちんぷんかんぷんの方への豆な(笑)

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御所には、南殿・北殿・馬場殿・泉殿・東殿・田中殿等があり、ここから東のエリアを中心に点在。今では想像がつきませんが、かつて南殿の南には造園と伝わりつつも広大すぎる池が広がり、移動には船を使うほどだったと聞き及んでいます。

現在の公園内にも、その面影を残すがごとく池が造園されていますが、かつてはこんなもんではない馬鹿デカさだった様子(笑)

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さらにこの鳥羽離宮跡公園周辺は、幕末・明治時代の戊辰戦争・勃発の地でもあり、その発端となった鳥羽伏 見の戦い顕彰碑や布陣図碑が建てられています。

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公園北側は小高い丘になっており、かつての鳥羽殿の庭園に設けられた築山の遺構「秋ノ山」と考えられています。

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鳥羽離宮は鎌倉時代以降衰退し、南北朝内乱の兵火でほとんど焼失。

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公園の南側にも広大な敷地があり、かつての南殿の池があった場所。フェンスで囲われサッカー場として活用されているのか、サッカーゴールがありました。

この周辺には、今でも鳥羽離宮のかつての面影を残す寺院や史跡があり、それらを関連付けてめぐってみると、また面白い発見がありそうですね。

詳細情報

名称:鳥羽離宮跡(鳥羽離宮跡公園)
場所:京都市伏見区中島御所ノ内町

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