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阪神ファン歴30年のライターが選ぶ「1990年代の阪神ベスト9」…“暗黒時代”でも輝きを放ち愛された選手ばかり

  • 2024.2.18
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写真:PIXTA

2023年、球団にとって18年ぶりのリーグ優勝、38年ぶりの日本一を達成した阪神タイガース。日本一からは遠ざかっていたが、2000年代以降は2003年、2005年にリーグ優勝。2010年以降も昨季までの14年間でAクラスが10回と、セ・リーグでは“強豪球団”の地位を確固たるものとしている。

ただ――。1990年代の阪神タイガースは少し違った。1990~1999年の10年間でAクラスはわずか一度、逆に最下位は実に6度を数える。ファンにとってもつらい時代だったのは間違いない。

私事にはなるが、筆者はそんな1990年代に阪神タイガースの魅力に取りつかれ、現在に至るまで30年間以上、「阪神ファン」を続けている。ファンになったころ、小学生だった私は、それなりにさびしい思いもした。

ただ、ファンを辞めたいと思ったことは一度もない。たしかに結果は出なかったかもしれないが、当時の阪神にもファンを熱狂させ、夢中にさせてくれる選手が大勢いたからだ。

今回は、そんな“1990年代の阪神タイガース”について、ファン目線、さらには独断と偏見(?)も交えつつ、ベストナインを選出してみようと思う。阪神ファンの方も、そうでない方も、当時を懐かしみながら(あとは広い心を持って)読んでいただけると幸いだ。

■阪神タイガース 1990年代ベストナイン

1番ライト 坪井智哉
2番セカンド 和田豊
3番サード 八木裕
4番ファースト トーマス・オマリー
5番レフト 桧山進次郎
6番センター 新庄剛志
7番キャッチャー 関川浩一
8番ショート 久慈照嘉

先発投手 藪恵壹
セットアッパー 葛西稔
クローザー 田村勤

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TRILL作成

1990年代の“阪神ベストナイン”を決めるうえで真っ先に名前が思い浮かんだ選手がふたりいる。それが、藪恵壹和田豊だ。藪は1993年ドラフト1位で阪神に入団。プロ1年目から先発ローテに名を連ね、9勝9敗をマークして新人王に輝いた。“織田裕二似”と言われた甘いマスクも相まって、特に関西圏では絶大な女性人気も博した。2年目以降も先発ローテの軸として、阪神タイガースのエースとして奮闘してくれたピッチャーだ。

しかし、チーム状態が悪かったこともあり、なかなか勝ち星には恵まれなかった。1年目の1994年から1999年までの6年間で三度の2ケタ勝利をマークしたが、負け星は1995~2000年まで6年連続で2ケタ。そのうち三度、リーグ最多敗戦を記録している。ただし、藪が悪かったわけではない。巷では「阪神以外の球団なら、勝ち数と負け数は逆転したはず」と言われるほど、打線の援護に恵まれなかったのだ。

負けても負けても、投げ続ける。そんな藪の存在は本当に頼もしかったし、ファンとして歯がゆくもあった。同時に、なぜか「申し訳ない」とすら思っていた気もする。

1990年代の阪神において“エース”と言えば藪恵壹――。これに異論を唱えるファンはいないのではないだろうか。

もうひとりの和田も、1990年代の阪神を語るうえで外せない選手だ。レギュラー定着は1988年。そこから1990年代終盤まで、阪神で不動の主力として活躍をつづけた“ザ・いぶし銀”。本塁打こそ少ないが、芸術的な右打ちに、ここぞで決める送りバントと堅実な守備。毎年のようにレギュラーがコロコロ変わる当時の阪神において「セカンド・和田」だけはサンクチュアリ=聖域だった

1990年代は10年間で打率3割を5度(規定打席未到達年も含む)マーク。シーズン終盤、すでに優勝の可能性が途絶え、現在のようにクライマックスシリーズもなかった中、阪神ファンのモチベーションは「藪の2ケタ勝利」と「和田の打率3割」だけだったと言っていい。

この2選手以外にも、在籍4年(1991~1994年)ながらコンスタントに打率3割をマークしてくれた頼れる助っ人、トーマス・オマリー(ヤクルト移籍は記憶から消去している)や、1990年代の阪神を代表するスターとしてファンを楽しませ、いろいろな意味で心を揺さぶってくれた新庄剛志。現役晩年は“代打の神様”となった八木裕桧山進次郎といった面々も、忘れることはできない。

悩ましかったのがキャッチャー、ショート、リリーフ陣、そして新庄、桧山に次ぐ外野手だが、キャッチャーではとにかく「打てる」ことでファンをワクワクさせてくれた関川浩一、ショートでは1990年代でもっとも長くレギュラーを張ってくれた実績を考慮して久慈照嘉、外野ラスト1枠については1998年入団ながらルーキーイヤーに今なお破られていない新人最高打率.327という鮮烈なデビューを飾り、翌1999年も打率.304をマークした坪井智哉を選出させて頂いた。リリーフは時代的にも絶対的なセットアッパー、クローザーがいない……という現実があったが、「1990年代に阪神投手陣を支えた」という理由で葛西稔田村勤の2投手を選ばせてもらった。

■まとめ

改めて「1990年代の阪神ベストナイン」を見返してみると、やはり成績的に突出した選手がいたわけではない。とはいえ、どの選手もそれぞれ個性があり、“暗黒時代”と呼ばれ他チームの中でも輝きを放った選手ばかりだ。阪神ファンにとっても思い出深いだけでなく、多くの選手が現在は指導者、評論家として活躍している。「勝つ」ことはできなかったかもしれないが、当時を知るファンにとっては、どの選手も“スーパースター”だったのは間違いない。


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※本記事は、2024年2月16日執筆時のものです

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