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「歴代最強だと思う巨人に移籍したバッター」ランキング!3位「清原和博」、2位「小笠原道大」を抑えた1位は?【野球ファン183人に聞いた】

  • 2024.3.9
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写真:PIXTA

長きにわたり、日本プロ野球界の盟主として君臨してきた読売ジャイアンツ

長嶋茂雄選手や王貞治選手を擁してV9時代を形成するなど、生え抜き選手のみで黄金時代を作り上げてきましたが、1993年オフにFA制度が導入されると、その豊富な資金力などを背景に各球団の強打者を続々と獲得。多くのスラッガーたちが巨人のユニフォームを着てプレーしてきました。

そんな球史を代表する打者たちが多数プレーした巨人に移籍した強打者たちの中で、ファンが“歴代最強”だと思う選手はいったい誰なのか?

今回、全国のプロ野球ファン183人を対象にアンケートを実施し、「歴代最強だと思う巨人に移籍した打者ランキング」を作成。その結果をご紹介します!

なお、「最強」の定義は記録や数字だけでなく、投票者に委ねていますので、投票理由も多岐にわたります。また、巨人に入団以降のだけでなく、入団前・移籍後のプレーを含めたプロ野球選手人生トータルでの「強打者」という評価軸としています。

一体誰が選出されるのか……。

投票結果を見てみましょう!

【第3位】清原和博(26票)

第3位に入ったのは清原和博選手

巨人在籍時は故障に泣かされることも多く、在籍した9年間で規定打席に到達したのは3シーズンと本来の実力を発揮できたとは言い難いですが、それでもファンの記憶には「KKコンビの復活」「憧れた巨人への入団」が強く印象に凝っているようでした。

清原選手にとって、巨人は高校時代からの憧れの球団。ところが1985年のドラフト会議時、巨人は競合必至の清原選手の指名を回避して清原選手の高校時代のチームメイト、桑田真澄選手の単独指名を敢行。後にKKドラフト事件とも称された大波乱の結果の末、清原選手は西武へ入団します。

西武在籍11年間で329本塁打を放ち、8度のリーグ優勝、6度の日本一を経験するなど球界を代表するスラッガーに成長した清原選手は1996年のオフにFA権を行使して憧れの巨人へ入団。PL学園時代のチームメイト、桑田選手とも再びコンビを組みKKコンビが復活することになりました。

巨人移籍当初、清原選手はそのプレッシャーと苦手な内角を徹底的に攻め込まれたことでスランプに陥り、さらに故障にも見舞われるようになりましたが、肉体改造を経て復活。2000年には75試合の出場で16本塁打を放ち、巨人移籍後初の日本一に。翌2001年には5番打者に定着してキャリアハイの121打点をマークします。

その後も故障がちではありましたが、随所で勝負強さを発揮。2002年も日本シリーズで古巣・西武と対戦すると2本塁打を放って優秀選手賞を獲得し、日本一に大きく貢献しました。

ずっと憧れていた巨人に新規入団できず、泣きながら西武に入団して活躍後の、満を持しての巨人入りは衝撃でした。タイトルこそ取れませんでしたが打席に立った時のオーラはものすごく、一発当たれば球場が沸き立つ選手はそうそういないと思います。(55歳・女性)
西武ライオンズの1年目から活躍していた強打者。当時巨人に在籍していた桑田真澄投手とは、PL学園からの同級生。甲子園で活躍していた2人がプロ野球でまた同じチームでプレーする姿がとても感動的だったし、清原選手も怪我やプレッシャーとの戦いはありましたが、力強いホームランはとても魅力的でした。(45歳・男性)
力強いバッティングでヒットに持ち越す姿が最強だったから。(37歳・男性)
プロ1年目から4番を任せられ、常に優勝争いをする常勝チームだったライオンズを引っ張っていき、1996年11月にFAで巨人に移籍してからも、長距離打者として多くのホームランを打つなど、活躍した彼がやはり巨人に移籍した打者として最も最強だったと思います。(43歳・男性)

【第2位】小笠原道大(39票)

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提供:産経新聞

「ガッツ」と称された小笠原道大選手が第2位となりました。

職人肌なプレースタイルはもちろんながら、多くの選手が移籍前よりも成績を落としてしまいがちな中で、巨人移籍後も移籍前とほぼ同じかそれ以上の活躍を収めるなど、その抜群の安定感を評価する声が多く目立ちました。

日本ハムに入団して3年目の1999年、この年から捕手から一塁手へとコンバートされた小笠原選手は、持ち前のフルスイングを武器に台頭。バントをしない2番打者としてブレイクしたこの年以降、強打者が揃うパ・リーグの打撃ランキングの上位に食い込むようになりました。

2002年から小笠原選手は2年連続で首位打者のタイトルを獲得し、チームが北海道に移転してからも中心選手として活躍。2006年には32本塁打、100打点で本塁打王と打点王の二冠を達成。さらにリーグMVPに選出され、チームを44年ぶりの日本一に導きました。

そんな小笠原選手がFA移籍で巨人にやってきたのは日本ハムを日本一に導いた直後の2006年オフ。トレードマークだった髭も剃り落として臨んだ入団会見も大きな話題となりましたが、移籍初年度から小笠原選手はクリーンナップに定着し、打率.313、31本塁打、88打点の素晴らしい成績を収め、リーグをまたぎ2年連続でMVPを受賞して、巨人のリーグ優勝に大きく貢献します。

小笠原選手がチームに与えた影響は大きく、2002年以来リーグ優勝から遠ざかっていた巨人を変えるキッカケに。小笠原選手が移籍してきた2007年から巨人は3年連続でリーグ優勝を達成。小笠原選手はその3年間すべてで打率3割、30本塁打以上を達成するなど、巨人復活の象徴として大活躍を収めています。

巨人に限らずFA移籍後に成績を落とす選手が多い中、小笠原選手はFA移籍後も移籍前と同等の成績を残し続けたから。統一球が導入され、打てなくなってしまったこともあったが3割100打点を記録するなど成績面が圧倒的であったから。(22歳・男性)
常にフルスイングをする姿が本当にカッコよかったです。巨人に移籍して1年目からセリーグMVPを獲得して、優勝に大きく貢献した選手の一人です。打てなくなってもフルスイングを貫いていて、サムライのように見えました。(32歳・男性)
パリーグでMVPを取った翌年に移籍、両リーグ跨いでセリーグMVPを取った選手は小笠原ただ一人である。フルスイングで打率も本塁打も残せる選手は少ない。成績に関してもなぜ野球殿堂入りできないのか不思議だと思うほどの成績を残しているため、歴代最強打者だと思います。(32歳・男性)
ミスターフルスイングと言われ打席ではいつも全力だった小笠原選手。コンスタントに30本以上の本塁打もあり心強い選手でした。(44歳・女性)

【第1位】落合博満(55票)

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提供:産経新聞

映えある第1位となったのは落合博満選手でした。

FAで巨人に移籍してきて、在籍期間は3シーズンと短いものではありましたが、アンケートを見るとその高い打撃技術、さらに当時20歳だった松井秀喜選手の一本立ちに力を貸すなど、若手の育成にも力を注いだ点が大きく評価されました。

ロッテ時代に3度の三冠王、そして球史に残る大型トレードで中日へ移籍してからも数々の打撃タイトルを総なめしてきた落合選手が、FAで巨人にやってきたのは1993年オフ。開幕時に40歳とプロ野球選手としてはすでに高齢だった落合選手を獲得したことに当初は賛否両論ありましたが、落合選手は結果でねじ伏せました。

移籍初年度の1994年。落合選手は打率.280、15本塁打とこれまでの成績から考えると少々寂しい成績に終わりましたが、古巣・中日とリーグ優勝を争った10.8決戦では先制の本塁打を放って巨人のリーグ優勝に貢献。さらにチームを日本一へ導き、移籍当時目標にしていた「長嶋茂雄監督(当時)を胴上げする」を実現しました。

翌1995年、落合選手は当時の史上最年長記録となる41歳4ヶ月で通算2000本安打を達成し、首位打者争いに参戦するなど、打率.311を記録。1996年には開幕当初不振に陥っていた松井選手に替わり4番に座ると、熟練の打撃技術を駆使して43歳にして打率.301、21本塁打を記録し、メークドラマと称された巨人の逆転リーグ優勝に貢献します。

40歳を過ぎていても3年間で打率3割を2度達成し、本塁打は年々増やすなど、肉体的な衰えを一切見せなかった落合選手。こうした一流選手ならではのプレーは当時の巨人の若手たちに大きな影響を与え、1996年にリーグMVPを受賞した松井選手はその後、球界を代表する打者に育っていきました。

三度三冠王になる程の実力の持ち主。移籍当時の巨人は強打者揃いだったいうのに、即四番を打つなど実力が圧倒的過ぎます。(51歳・男性)
三冠王をはじめ、最多出塁率や最多安打などあらゆる打者タイトルを総なめにした歴代でもトップクラスの打者です。主軸としてチームが劣勢になっている場面でも試合をひっくり返す一打を打てるところが印象に残っています。(32歳・男性)
ロッテで三冠王になってから、中日でもリーグ優勝に導いた後の巨人移籍で、その巨人でもMVP級の活躍で優勝に導いたことがすごいと思ったからであります。(49歳・男性)
ジャイアンツ在籍は3年間ながら、晩年に40歳で中日から移籍して来て、レギュラーとして活躍し続けた。1年目・2年目・3年目とホームランの数が増加している点も見事。(43歳・男性)
長嶋監督がほれ込んだホームランバッターで若手の育成にも力を注いだので。(48歳・男性)

4位以下の選手とコメント

アレックス・ラミレス(23票)

ホームランだけでは無く単打も打てて打率も残せる選手でした。同時にムードメーカーとしても当時の巨人を元気にしてくれました。(35歳・男性)

張本勲(13票)

日本プロ野球でただ一人の3000安打達成者であり、同じく日本プロ野球でただ一人の500本塁打300盗塁達成者。首位打者7回等記録を見ても歴代最強は間違いないと思います。(66歳・男性)

中田翔(6票)

巨人へ移籍する前の日本ハム時代はパワーでホームランを打つような打撃であったが、巨人へ移籍してからは広角にバットコントロールを活かしてヒットを量産していてバッティングを使い分けているのが凄いと思いました。(30歳・男性)

丸佳浩(6票)

広島から移籍して巨人を優勝に大きく貢献しました。繋ぐバッティングも良し、自分で決めるも良しの素晴らしい選手です。(40歳・男性)

江藤智(5票)

ジャイアンツでの満塁ホームランが印象的。代打としても結果をしっかり残しているから。(48歳・男性)

結果はこちら

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数多くの打者が巨人に移籍してきたこともあり、4位以下にも名打者が多く名を連ねました。中でも惜しくもランク入りを逃したのが23票を獲得したラミレス選手。ヤクルト時代から強打で知られたスラッガーでしたが、2008年に巨人へ移籍すると小笠原選手とともに強力クリーンナップを形成。その強打だけでなく、明るい性格で様々なホームランパフォーマンスを見せてくれたこともファンには強く印象に残っています。

その他、現在も巨人に在籍する選手では丸佳浩選手が6票を獲得。広島のリーグ3連覇の中心選手として活躍し、2019年に巨人へFA移籍を果たすと、抜群の安定感で2年連続全試合出場を果たし、巨人のリーグ2連覇に貢献。昨年オフに新たに2年契約を結び直して迎える今季は、どんな成績を残すか注目が集まります。


調査方法:インターネットサービスによる任意回答(記述式)
調査実施日:2024年2月9~14日
調査対象:全国の10代~70代
有効回答数:183

※記載している回答は原文ママ

※2024年2月21日時点での情報です。記事内の画像はイメージです。

※現役・引退をした選手に関わらず敬称は「選手」で統一しています。

文:福嶌弘
1986年横浜生まれ。フリーライター。幼少期より競馬・野球に興味を持ち、ヤンキー向けバイク雑誌、中古車雑誌などを経て2005年からフリーライターとして独立。以降は野球、競馬のスポーツを中心に街、クルマ、グルメ、アウトローetc…とジャンルを問わずに各媒体で執筆。生来の巨人ファンのため、主な出没場所は東京ドーム、横浜スタジアムそして後楽園、関内の居酒屋など

アンケート集計:TRILLスポーツ

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