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「最強だと思う昭和の三塁手」ランキング!第1位は「長嶋茂雄」、では第2位と第3位は?【野球ファン186人に聞いた】

  • 2024.3.20
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写真:PIXTA

昭和9年(1934年)に誕生し、55年という歴史を誇る昭和時代のプロ野球。当時のプロ野球の花形ポジションと言えば三塁手(サード)。「ホットコーナー」と呼ばれるように、鋭い打球が飛んでくるポジションで人一倍ファイトが必要なだけでなく、一塁に向かう走者を刺すための鋭い強肩がないと務まらないため、各チームともスター選手が務めるポジションでした。

それだけに昭和のプロ野球で三塁を守った選手はどこか華やか。クリーンナップを務めて本塁打をかっ飛ばすクラシカルなスラッガーはもちろんながら、華麗な守備で見せた名プレーヤー、そして俊足を生かした選手などまさに多種多様な華のある選手が現れました。

そんな歴代の名選手たちが多数プレーした「昭和の三塁手」の中でファンが選ぶ“歴代最強”はいったい誰なのか?

そこで今回、TRILLスポーツでは全国のプロ野球ファン186人にアンケートを実施。「最強だと思う昭和の三塁手ランキング」を作成。その結果をご紹介します。

なお、「最強」の定義は記録や数字だけでなく、投票者に委ねていますので、投票理由も多岐にわたります。なお、前後でポジション転向をした選手も対象となります。また、平成をまたいで活躍した選手も昭和時代に出場・活躍をしていれば対象としました。

一体、誰が「昭和最強の三塁手」に選出されるのか? さっそく、ランキングを見てみましょう!

【第3位】原辰徳(14票)

昨季限りで巨人の監督を退任した原辰徳選手が第3位となりました。

15年間の現役生活で巨人の4番打者を1000試合以上も務めた名選手として知られていますが、派手なプレーに勝負強いバッティングなど、主に40代から50代のファンからの支持を得ました。

父の貢氏が監督を務める東海大相模高校でも三塁手としてプレーした原選手は甲子園のアイドルとして注目を集めると、東海大学を経て昭和55年(1980年)のドラフト会議で4球団競合の末に巨人に入団。

そうして迎えた昭和56年(1981年)。原選手がこれまで守っていた三塁には当時売り出し中だった中畑清選手がいたため、プロ初出場は二塁手としてでしたが、5月に中畑選手が故障して戦線を離脱すると、本職の三塁へ。

それまで原選手が守っていた二塁には篠塚利夫選手(当時。後に「篠塚和典」に登録名を変更)が入り、故障から復帰した中畑選手は一塁へとコンバートされたことで巨人の内野は固まり、この年チームは日本一に。新人王に選出された原選手は巨人の新しいスター選手となりました。

その後も強打でチームの主軸を担うようになった原選手は昭和58年(1983年)に打点王のタイトルを獲得し、リーグMVPを受賞。三塁手としてベストナインには3度、ゴールデングラブ賞も2度獲得しています。

高校時代からスターで巨人に入団してからもスター街道を歩み、バッティングでの勝負強さ、華麗な守備でファンから愛された選手なので。(27歳・男性)
華があるスターとして、ある意味最強的だった気がします。腰の回転で打つ打撃は、非常にかっこよかった。回転にはね返り的ロスがあるとの指摘もあったが、巨人の4番のプレッシャーの中、ホームランを30本以上打つのは並大抵ではない。飛距離を気にせず、数を追いかけて欲しかった。(52歳・男性)
私にとって最高の三塁手は、原選手です。力強いホームラン、勝負強いバッティング、華麗なフィールディング、さらには甘いマスクなど。どの点をとっても幼い私にとっては憧れの存在でした。そんな原選手も晩年は、怪我や落合選手の加入等によって一時はレギュラーも危うくなることもありました。その中で必死にもがく彼の姿を見て、プロの厳しさを見せつけられるとともに、男の意地であったりプライドというものも学ばせて貰いました。その為、応援することで私にとっても人間的にも成長させてくれて原選手が歴代最強だと思っています。(42歳・男性)
今でも忘れられない、引退試合でのホームラン。まだまだ現役で続けてほしいと思った。(47歳・男性)

【第2位】掛布雅之(19票)

原選手と同時期に活躍した掛布雅之選手が第2位となりました。

名門の阪神で15年プレーし、放った通算349本塁打は今でも阪神の球団記録となるなど“ミスタータイガース”として絶大な人気を誇りました。

掛布選手はテスト入団でドラフト6位指名で阪神に入団するなど、プロ入り当初は注目されていなかった掛布選手でしたが、ルーキーイヤーの昭和49年(1974年)から一軍に定着すると、2年目には佐野仙好選手とのポジション争いで三塁の座を掴みレギュラーに。翌昭和51年(1976年)は打率.325を記録して、初めてベストナインに選ばれました。

その後、阪神の中心選手として台頭した掛布選手は昭和54年(1979年)に48本塁打を放って本塁打王のタイトルを獲得すると、リーグを代表する強打者に成長します。

土のグラウンドでイレギュラーが多い阪神甲子園球場をホームグラウンドとしているにもかかわらず、華麗な守備で現役時代には6度もダイヤモンドグラブ賞(現:ゴールデングラブ賞)を受賞。守備についている際に、甲子園の土をペロッと舐めるというパフォーマンスも話題になりました。

掛布選手の素晴らしいところは故障への強さ。昭和56年(1981年)から5年連続で全試合出場、昭和61年(1986年)4月に死球で骨折するまで663試合連続で三塁手として出場し続けました。

この間に掛布選手は本塁打王を2度獲得し、さらに昭和60年(1985年)には4番打者として阪神の球団創設初となる日本一に大きく貢献するなど、昭和末期の名三塁手として大活躍を収めました。

高卒1年目から1軍に定着し、本塁打王3度、ベストナイン7度という輝かしい活躍をし、更に守備面でもダイヤモンドグラブ賞を6度も受賞するなど、守備面でも抜群の成績を残した彼が最強の三塁手だと思います。(43歳・男性)
3割近い通算アベレージを残しながら、ホームラン王を獲得するなど、長く主軸として活躍していました。チーム成績が良くない中で数字を残した分、他の選手より上の評価となりました。(63歳・男性)
左打者にとって不利とされる浜風と広い甲子園で、シーズン本塁打王を3回獲得し、スゴい人気もあったので、最強の三塁手と考えます。(51歳・男性)
野球に詳しくない人でもこの人を知らない人はいないのではないでしょうか。攻守ともにミスタータイガースとして阪神を支え続けてくれた選手です。(55歳・女性)

【第1位】長嶋茂雄(136票)

「昭和の名三塁手」というテーマで、この人物の名前が挙がらないわけがありません。投票186人中136票を集めるという圧倒的な大差を付けて1位に輝いたのは「ミスタープロ野球」、長嶋茂雄選手でした。3位の原選手も2位の掛布選手も幼少期に憧れた選手として名前を挙げるエピソードで知られている点を考えても、貫禄の1位と言えるでしょう。

立教大学に在籍時、当時の六大学リーグの新記録となる通算8本塁打を記録しただけでなく、守備や俊足等も評価された長嶋選手は昭和33年(1958年)に鳴り物入りで巨人に入団すると、すぐに三塁手としてレギュラーに定着。いきなり29本塁打、92打点を記録して新人ながら本塁打王と打点王のタイトルを獲得しました。さらに三塁手のベストナインを受賞。ベストナインは1年目から現役引退年まで受賞し続けるという史上唯一の快挙を成し遂げています。

プロ入りしてすぐにレギュラーどころか「4番・三塁手」の定位置を掴んだ長嶋選手に引っ張られるかのように巨人は常勝チームに。昭和40年(1965年)から始まったV9時代でも長嶋選手は中心選手としてプレーして、リーグMVPを5回受賞、さらに昭和47年(1972年)から始まったダイヤモンドグラブ賞の初代受賞者となりました。

通算2471安打、444本塁打と打撃面でも突出した記録を誇る長嶋選手ですが、守備でも一流の成績をマーク。三塁手として出場した2172試合、1767刺殺、5325捕殺、434併殺はいずれもNPBの三塁手として歴代最高の記録となっています。

そんな長嶋選手の三塁守備の特徴は深い守備位置。普通の三塁手よりも1.5メートルほど後ろに下がって守るため、守備範囲が広く取れて時には隣の遊撃手の打球まで奪って処理するほど。ゴロを処理した後のスローイングの動作も特徴的で、当時のちびっ子たちがマネしたことでも知られています。

そんな長嶋選手ですが、実はフライ処理があまり好きではなかったという逸話も。「捕ったらすぐにアウトになるため、絵にならない」という理由ですが、ファンのことを考えた長嶋選手らしいエピソードとして今もなお語られています。

ミスタープロ野球と言えばこの人、すべての野球ファンから愛され、昭和のジャイアンツ絶対の4番打者、そしてサードゴロを華麗にさばく姿はお見事。球史に残る名三塁手でしょう。(44歳・女性)
ファンに「魅せる」という意味で、この人に右に出る人はいません。空振り時は派手にヘルメットを飛ばし、三塁守備では普通のプレーをさも難しいプレーであったかのように見せるなど、ファン第一主義を貫いた日本プロ野球史上最高のスーパースター。(46歳・男性)
読売ジャイアンツ入団してから引退するまでの17年連続でベストナインを獲得しているのは別格すぎます。数々の打撃タイトルと大事なところで力を発揮できる勝負強さで、記録と記憶に残る活躍をした昭和最強の三塁手だと思います。(39歳・男性)
ミスタープロ野球は、野球の枠を飛び越えた昭和のヒーロー。記憶に残る派手なプレーだけではなく、タイトルをいくつも獲得したまさに最強の三塁手。(48歳・男性)
誰よりも華のある、言わずと知れた存在で、当時を知らない人でも長嶋茂雄の名前は知っているほどの人物です。記録よりも記憶、その代名詞だと思います。(38歳・男性)

4位以下の選手とコメント

衣笠祥雄(7票)

2215試合連続試合出場の日本記録を持っており、「鉄人」と言われる強靭な体を持っていた。死球も通算161回で、これはセ・リーグ記録。本塁打も通算504本という強打者。(64歳・男性)

落合博満(4票)

二年連続三冠王という称号がすごさを物語っているから。素人目であるがすごくほれぼれするバッティングをする選手であったため。(29歳・男性)

結果はこちら

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長嶋選手が7割以上という圧倒的な投票率を得たため、4位以下の選手が少なかった今回のランキング。

その中でも4位に入ったのは7票を獲得した衣笠祥雄選手。広島黄金期を支えた名選手として知られ、連続試合出場記録などを打ち立て「鉄人」と称されましたが、守備にも定評があり、ゴールデングラブ賞を3度受賞しています。

そして落合博満選手が4票を獲得して第5位に。三冠王に三度輝いたことで知られる大打者ですが、ロッテ時代から中日時代にかけては三塁がメインポジション。ベストナインもゴールデングラブ賞も受賞しているため、こうした稀有な結果が出たと言えるでしょう。


調査方法:インターネットサービスによる任意回答(記述式)
調査実施日:2024年2月7~21日
調査対象:全国の20代~70代
有効回答数:186

※記載している回答は原文ママ

※2024年2月29日時点での情報です。記事内の画像はイメージです。

※現役・引退をした選手に関わらず敬称は「選手」で統一しています。

文:福嶌弘
1986年横浜生まれ。フリーライター。幼少期より競馬・野球に興味を持ち、ヤンキー向けバイク雑誌、中古車雑誌などを経て2005年からフリーライターとして独立。以降は野球、競馬のスポーツを中心に街、クルマ、グルメ、アウトローetc…とジャンルを問わずに各媒体で執筆。生来の巨人ファンのため、主な出没場所は東京ドーム、横浜スタジアムそして後楽園、関内の居酒屋など

アンケート集計:TRILLスポーツ

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