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「歴代最強だと思う昭和の二塁手」ランキング!3位「辻発彦」、2位「高木守道」を抑えた1位は?【野球ファン140人に聞いた】

  • 2024.3.19
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写真:PIXTA

昭和9年(1934年)に誕生し、55年という歴史を誇る昭和時代のプロ野球。内野のポジションはダイヤモンドと称されますが、その中でも比較的地味な扱いを受けるのが二塁手(セカンド)

しかし、プロの二塁手ともなれば守備の達人の宝庫。華麗な守備でチームのピンチを救ってきた選手はもちろん、高い打撃技術と俊足ぶりでリードオフマン役を務めた選手など、チームに欠かせない活躍を見せてきたタイプの選手が目立ちます。

そんな歴代の名手たちが多数ランクインした「昭和に活躍した二塁手」の中でファンが“歴代最強”だと思っている選手はいったい誰なのか?そこで今回、TRILLスポーツでは、全国のプロ野球ファン140人にアンケートを実施、「歴代最強だと思う昭和の二塁手ランキング」を作成。その結果をご紹介します!

なお、「最強」の定義は記録や数字だけでなく、投票者に委ねていますので、投票理由も多岐にわたります。なお、前後でポジション転向をした選手も対象となります。また、平成をまたいで活躍した選手も昭和時代に出場・活躍をしていれば対象としました。

一体、誰が「昭和最強の二塁手」に選出されるのか? さっそく、ランキングを見てみましょう!

【第3位】辻発彦(15票)

二塁手と言えば「守備の達人」とも言うべき名手が浮かぶかと思いますが……そうしたイメージにピッタリとハマる辻発彦選手が第3位となりました。

現役時代に二塁手として獲得したゴールデングラブ賞の数は、なんと歴代最多となる8回を数えます。グラブの紐の独特な閉じ方が話題となり、やがて「辻トジ」と呼ばれるようになるほど。多くの二塁手に影響を与えた選手と言っても過言ではないでしょう。

辻選手がプロ入りしたのは昭和59年(1984年)。当時の西武の二塁手はベテランの山崎裕之選手がいたためレギュラーに定着することはできませんでしたが、その高度な守備は当時の広岡達朗監督をうならせるほどでした。

山崎選手が引退した昭和60年(1985年)に辻選手はレギュラーとして二塁のポジションを掴み、翌昭和61年(1986年)には二塁手として初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。西武の日本一に貢献します。

華麗な守備で知られる辻選手でしたが、実は走塁の技術も抜群。昭和62年(1987年)の日本シリーズでは対戦した巨人選手たちの守備の緩慢さを見抜き、一塁走者だった辻選手はシングルヒットで一気にホームインするというビッグプレーを見せました。この俊足ぶりも二塁守備に大きく貢献したのは言うまでもないでしょう。

昭和最後の年となった63年(1988年)に辻選手は選手会長を任命されると、この年も全試合出場を果たして、2度目のゴールデングラブ賞を受賞。この賞は平成8年(1994年)まで7年連続で辻選手が受賞しています。

二塁手として、昭和ではNPB最多(歴代2位)の8度のゴールデングラブ賞を受賞し、かつ打率3割越えを記録し首位打者を獲得し、攻守ともに活躍したから。(47歳・男性)
西武黄金時代を支えた守備の名手。バッターの傾向と投手投げる球種から飛ぶ方向が予測できると語るほどの頭脳派で絶妙のポジショニングで確実にアウトを取る技術は素晴らしかった。(58歳・男性)
基本に忠実な堅実な守備と首位打者を獲得する巧みなバッティングが魅力的だったから。(36歳・男性)
西武の黄金期を守備から支えていたのと、いぶし銀の様なイメージを感じました。日本シリーズの巨人戦での好走塁でホームインした試合が印象的です。(44歳・男性)

【第2位】高木守道(31票)

オールドファンから名前が多く挙がった高木守道選手が第2位に。

二塁手として出場した2,179試合で11,477守備機会という通算守備記録を残しましたが、これはすべてNPBの二塁手で歴代1位のもの。そのため、高木選手は今でも「プロ野球史上最高のセカンド」と称されています。

岐阜商業高校時代から二塁手としてプレーしていた高木選手でしたが、その非凡なセンスを最初に見出したのはなんと当時立教大学に在学していた長嶋茂雄選手。後ろの方で練習していた高木選手を高く評価したことから、高木選手は一目を置かれるようになり、1年生ながらすぐにレギュラーに定着し、甲子園大会にも出場しました。

昭和35年(1960年)に中日へ入団した高木選手は51試合、80試合、96試合と順調に出場機会を増やしていって入団4年目の昭和38年(1963年)にレギュラーに定着。前年に先輩の半田春夫選手から教わったというバックトスが高木選手の代名詞となっていきました。

堅実な守備と俊足がウリな高木選手はこの年に50盗塁を決めて盗塁王のタイトルを獲得すると、中利夫選手と1・2番コンビを結成。リードオフマンとしてチームに欠かせない存在となっていきました。この手のタイプの選手は長打が期待できないと言われますが、高木選手はレギュラー定着後は毎年コンスタントに2桁本塁打を放つなど、長打も期待できる選手として活躍しました。

打って良し、守って良しの名二塁手として名を馳せた高木選手は現役21年間でベストナインに輝くことはなんと7回。これは二塁手として史上最多の記録となっています。

伝説ともいえる華麗なバックトスの名手で、ダブルプレーを量産した守備力は圧巻。打撃も良くて2000本安打を達成しているし、盗塁も369個。走攻守に優れた選手だった。(59歳・男性)
守備の上手さは勿論、二塁手では珍しい長打も打てる所がすごいです。また、選手、コーチ、監督すべてで中日一筋、まさにミスタードラゴンズの称号そのものな部分もかっこいいからです。(38歳・男性)
何度もピンチを救う守備に加えて、バッティングもパンチ力がありました。二塁手で通算236本もの本塁打を放っています。当時は凄い投手がたくさんいましたし、守備を重要視される二塁手であることを考えると素晴らしい数字です。(32歳・男性)
昭和の時代には歴代最高の二塁手と呼ばれていて、打って良し、守って良し、走って良しと本当に三拍子そろった選手で、その守備は捕ってから早くグラブさばきがすごかったからです。(39歳・男性)

【第1位】篠塚和典(篠塚利夫)(52票)

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提供:産経新聞

そして、第1位に輝いたのは篠塚和典選手

80年代の巨人でアイドル的な人気を誇ったスター選手ですが、アンケートの回答を見ると「鉄壁の守備とシュアなバッティング」「何気ない様子で難しい打球を軽やかに捌いていた」というスマートさが伝わるプレースタイルが多くのファンの記憶に残り、この票数につながる結果となりました。

銚子商業で2年生ながら三塁を守る中心選手として活躍し、チームを甲子園優勝へ導いた篠塚選手は3年時に肋膜炎を発症し、一時はプロ入りを危ぶまれるほどでしたが、そんな篠塚選手を誰よりも評価していたのが、長嶋茂雄監督でした。昭和50年のドラフト会議で長嶋監督は周りの反対を押し切って、篠塚選手を1位指名で巨人に入団させます。

長嶋監督の期待に応えるように篠塚選手は順調にステップアップしていき、プロ入り5年目の昭和55年(1980年)にレギュラーに定着。翌年には首位打者こそ逃しますが、打率.357というハイアベレージを記録して、巨人の日本一に大きく貢献します。篠塚選手もベストナインとゴールデングラブ賞のダブル受賞を果たしました。

その後も細身の体型から華麗なバットコントロールでヒットを量産する姿や華麗に舞う二塁守備で巨人ファンから絶大な支持を得た篠塚選手は、セ・リーグの中心選手として台頭。昭和59年(1984年)には3番打者としてプレーして自身初となる首位打者のタイトルを獲得し、昭和62年(1987年)には2度目の首位打者に。この年の巨人のリーグ優勝における中心選手となりました。

打って守れて、打率がしっかり残せるセカンドだと思います。長年巨人軍で安定した成績が残せて、大事な場面で打撃、守備ともにチームを救った1人かと思います。(27歳・男性)
華麗で鉄壁の守備とシュアなバッティングで首位打者2回とゴールデングラブ賞も4回受賞しています。(61歳・男性)
とにかく三振が少ないし、変化球でタイミングを外されているのに身体が流れません。イチロー選手と同等の神レベルの流し打ち技術です。(41歳・男性)
スマートな体形で、なにげない様子で難しい打球も軽やかにさばいていた、まさにセンスのかたまりというべき選手だから。(56歳・女性)
バットコントロールとバッティングセンスは歴代プロ野球選手でもトップレベルだと思う。(45歳・男性)

4位以下の選手とコメント

落合博満(14票)

三冠王3回。それに尽きるが、セカンドの守備率も悪くない数字を残している。たった4年間だけのセカンドだが、他を寄せつけない圧倒的な成績を残しているため、選出した。(32歳・男性)

岡田彰布(6票)

バックスクリーンへのホームランなどがかっこよかったからです。また、苦手なピッチャーがいないぐらい、たくさん打っていた印象があるので、すごい選手だったように思うからです。(34歳・女性)

土井正三(6票)

派手さはないが、適切なポジショニングに基づく手堅い守備ぶりが素晴らしかった。玄人好みの選手。(59歳・男性)

大石大二郎(5票)

俊足を生かした守備範囲の広さで、打者の特徴や試合の流れまで考慮し、普通ならヒットになる打球を難なくアウトにする、頭脳的な守備を実践していた彼が最強の2塁手だと思います。(43歳・男性)

結果はこちら

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職人肌な選手が多く名を連ねた今回のランキングですが、辻選手と熾烈な3位争いを繰り広げたのが14票を獲得した落合博満選手。主に三塁や一塁を守っている姿が印象的な選手ですが、実はロッテ時代にレギュラーとして定着した最初のポジションは何と二塁手。4年ほど二塁手としてプレーして、昭和57年(1982年)には三冠王に輝き、ベストナインにも選ばれています。

その他にも岡田彰布選手土井正三選手がそれぞれ6票で同率5位。どちらも東西の人気チームで二塁手を務め、後に監督に就任しているという共通点があるのも面白いポイントでした。


調査方法:インターネットサービスによる任意回答(記述式)
調査実施日:2024年2月7~21日
調査対象:全国の10代~70代
有効回答数:140

※記載している回答は原文ママ

※2024年2月29日時点での情報です。記事内の画像はイメージです。

※現役・引退をした選手に関わらず敬称は「選手」で統一しています。

文:福嶌弘
1986年横浜生まれ。フリーライター。幼少期より競馬・野球に興味を持ち、ヤンキー向けバイク雑誌、中古車雑誌などを経て2005年からフリーライターとして独立。以降は野球、競馬のスポーツを中心に街、クルマ、グルメ、アウトローetc…とジャンルを問わずに各媒体で執筆。生来の巨人ファンのため、主な出没場所は東京ドーム、横浜スタジアムそして後楽園、関内の居酒屋など

アンケート集計:TRILLスポーツ

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