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「最強だと思う昭和の一塁手」ランキング!「王貞治」が圧倒的第1位、では2位と3位は?【野球ファン179人に聞いた】

  • 2024.3.18
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写真:PIXTA

昭和9年(1934年)に誕生し、55年という歴史を誇る昭和時代のプロ野球。その歴史を紐解くと数多くのスラッガーが誕生しましたが……そうした強打者たちがこぞって守っていたポジションが一塁手(ファースト)です。

他の野手からの送球を処理するという重要なポジションなだけに捕球能力が問われる一方、比較的運動量が少ないためか、伝統的に強打者が守りやすいポジションに。そのため各チームともクリーンナップを任せられるようなスラッガーを配置する傾向があり、チームの主軸になるケースが目立ちました。

そんな歴代の強打者たちが多数プレーした「昭和の一塁手」の中でファンが選ぶ最強選手はいったい誰なのか?今回、TRILLスポーツでは全国のプロ野球ファン179人にアンケートを実施し、「最強だと思う昭和の一塁手ランキング」を作成。その結果をご紹介します!

なお、「最強」の定義は記録や数字だけでなく、投票者に委ねていますので、投票理由も多岐にわたります。なお、前後でポジション転向をした選手も対象となります。また、平成をまたいで活躍した投手も昭和時代に出場・活躍をしていれば対象としました。

一体、誰が「昭和最強のファースト」に選出されるのか? さっそく、ランキングを見てみましょう!

【第3位】ランディ・バース(11票)

「史上最高の助っ人外国人選手」の呼び声も高いランディ・バース選手が3位となりました。

阪神に在籍したのは6シーズンのみ、最後の年は途中帰国という幕切れだったにもかかわらず、プロ野球ファンの間では今でも「神様」としてバース選手の印象が強く残っています。

幼少期に足を複雑骨折した影響で守備に難点を抱えていたバース選手は、メジャーリーグではレギュラーに定着できず、昭和58年(1983年)に阪神へ入団。

入団当初、一塁のポジションが埋まっておりライトを守ることもしばしばでしたが、すぐに一塁手に定着するとバース選手の強打が爆発。入団3年目の昭和60年(1985年)には打率.350、54本塁打、134打点を記録して見事に打撃タイトル三冠王に。そして阪神をリーグ優勝に導きました。

そして迎えた日本シリーズでは、「守備が苦手なバース選手がウィークポイント」と西武の広岡達朗監督にマークされますが、バース選手は奮起し、3戦連続で本塁打を放ったうえ、第2戦ではスクイズの打球を素手でキャッチしてすかさず送球し、本塁に突入するランナーをアウトにするというファインプレーを見せ、チームの日本一に大きく貢献。シーズン通じて大活躍を見せたバース選手はこの年のリーグMVP、日本シリーズMVPに輝きました。

さらにバース選手の活躍は止まらず、昭和61年(1986年)にはNPB最高打率となる.389、47本塁打、109打点でまたも打撃タイトル三冠王を達成。セ・リーグのベストナイン一塁手部門も3年連続で受賞しました。

小学生の頃、甲子園球場で見たホームランがかっこよかったです。タイガースの最強助っ人。(49歳・男性)
2年連続三冠王に輝くなど圧倒的な数字も叩き出し、日本文化にも対応していたイメージもある。決して俊敏な動きとは言えないが、守備は上手くてゴロに対するグラブ捌きはすごかった。多分ファーストに限らず、どこでも守れるのではないかなと思いました。(51歳・男性)
殿堂にも入るほどの記憶、記録ともに残る選手だから。(52歳・男性)
助っ人外国人の中で一番印象的で活躍していたイメージがある。三冠王の一塁手。(46歳・男性)

【第2位】落合博満(16票)

バース選手を凌いで第2位にランクインしたのは落合博満選手。三冠王に輝くこと3度という打撃技術の高さが知られる選手ですが、実は柔らかいミット捌きには定評があり、一塁手として通算4度ベストナインに選ばれています。

プロ入り当初は三塁手だった落合選手は、ロッテ時代の昭和58年(1983年)に当時の一塁手、レオン・リー選手がトレードされたため、一塁手へコンバート。守備の負担が減ったためか、この年は例年以上に打撃成績が好調で、打率.332で首位打者のタイトルを獲得します。

その後ロッテでは再び三塁手に戻った落合選手でしたが、3度目の三冠王に輝いた昭和61年(1986年)のオフにトレードで中日へ移籍。

移籍直後はゲーリー・レーシッチ選手が一塁手を務めていたため、ロッテ時代同様に三塁を守っていましたが、昭和63年(1988年)は主に一塁手を務め、打率.293、32本塁打、95打点を記録。さらに勝負強い打撃で勝利打点19を記録してチームのリーグ優勝に大きく貢献。これらの活躍が認められ、セ・リーグ移籍後初となるベストナインに輝きました。

その後、時代が平成に移り変わると、落合選手のメインポジションは一塁手に。現役時代、二塁手、三塁手、一塁手と様々なポジションを渡り歩いた落合選手ですが、最も多くの試合に出場したのは一塁手でのもの。それだけに昭和の名一塁手として名前が挙がりました。

三冠王を3度も獲得した唯一無二の打者のため。守備もミットさばきが巧く安定していた。三塁など他も守っていたが一塁手のイメージが強い。(56歳・男性)
三冠王を何度もとり、セパ両リーグでの活躍はまさに最強です。(45歳・男性)
成績を見れば一目瞭然ですが、バッティングの内容も凄いです。エース級の決め球を狙って打っている技術は球界随一だと思います。(41歳・男性)
三冠王のタイトルに輝いたほか、複数回のベストナインを授賞するなど、卓越した成績を残したためです。(39歳・男性)

【第1位】王貞治(130票)

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提供:産経新聞

179人中130人がその名を挙げブッチギリの第1位となったのが王貞治選手

アンケートの声を見ると、「ホームランの世界記録868本の大打者」といった打撃面での功績があがるだけでなく「長身を生かして一塁に構える守備面でも貢献した」など、守備に対する声も目立ちました。

本塁打の世界記録保持者となった王選手ですが、実は巨人への入団は投手として。早稲田実業をセンバツで優勝させた投手ということで高い期待を背負っての入団となりましたが、首脳陣は王選手の非凡な打撃センスを評価して打者への転向を指示。左投げ左打ちの選手だった王選手のポジションは必然的に一塁手になりました。

プロ入り直後は伸び悩んだ王選手でしたが、荒川博打撃コーチと出会ったことで伝家の宝刀である一本足打法を開発。昭和37年(1962年)からこの打法で打ち始めた王選手は本塁打を量産。この年に38本塁打を放ち、自身初タイトルとなる本塁打王を獲得。昭和49年(1974年)まで13年連続でこのタイトルを獲得するという最長記録を打ち立てます。

同僚の長嶋茂雄選手とのON砲と称された強力クリーンナップを形成した王選手は、巨人のV9時代の中心選手となりましたが、特筆すべきは守備。初めて本塁打王に輝いた年から4年連続で刺殺数ではリーグトップとなりました。

さらに、昭和47年(1972年)から新たに制定されたダイヤモンドグラブ賞(現:ゴールデングラブ賞)を9年連続で受賞しました。この9度受賞というのは同じく巨人などで活躍した駒田徳広選手に次ぐ歴代2位の好記録。さらに9年連続は一塁手部門で歴代最長となっています。

成績と人気ともに圧倒的な実力を誇る、名プレーヤーだったから。通算本塁打868本は日本のプロ野球史上で最多であり、現在まで破られていない偉業。そして一本足打法とよばれる象徴的な打撃フォームによって、当時のプロ野球ファンはもちろん、野球に興味ない国民にも強い印象を与えていた。。(62歳・男性)
昭和時代の一塁手の代名詞としか言えない。打撃だけでなく大きめの身長をいかして一塁に構え、守備面でも大きく貢献した。(43歳・男性)
ずば抜けた打撃実績に加え、一本足打法の美しさ、王シフトが敷かれるなかでのホームランなど、魅せる野球も素晴らしかった。(63歳・男性)
ホームランの世界記録868本の大打者、長嶋さんと並び、巨人のV9時代を支えた名選手。真面目な人柄でもあり、昭和を代表する1塁手はこの人しかいないと思います。(44歳・女性)
世界のホームラン王であり、2度の三冠王など打撃面では並べる選手はいないと思います。堅実な守備力も高かったので、昭和はもちろん歴代でも最強だと思うファーストです。(39歳・男性)

4位以下の選手とコメント

清原和博(7票)

高卒1年目で新人王の活躍、2年目の日本シリーズでの一塁での涙。人間くさく、人の心をうつスタープレイヤーだと思います。(44歳・男性)

中畑清(5票)

「ゼッコ-チョー」などの名言を残し、ファイト溢れるプレーが思い出に残るからです。(60歳・男性)

駒田徳広(4票)

ファースト守備がうまくてショートバウンドも簡単に捌けるぐらいうまい。また、とにかくチャンスに強く満塁男と言われるほど満塁に強い選手だったので。(27歳・男性)

結果はこちら

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王選手が7割以上の票数を占めた今回のアンケート。それだけに4位以下に上がった選手はごくわずかでしたが、惜しかったのが7票で第4位に入った清原和博選手

西武黄金期の主力打者として大活躍を収めた清原選手でしたが、プロ入りしたのは昭和61年(1986年)のため平成時代の印象が強いのかもしれません。

また、昭和の巨人の一塁を守った中畑清選手が5票で第5位に。王選手が監督時代で一塁を守っていた選手で、明るいキャラクターと「絶好調!」のフレーズで人気を集めた様子が今もなおファンの記憶に残っているようです。


調査方法:インターネットサービスによる任意回答(記述式)
調査実施日:2024年2月7~21日
調査対象:全国の10代~70代
有効回答数:179

※記載している回答は原文ママ

※2024年2月29日時点での情報です。記事内の画像はイメージです。

※現役・引退をした選手に関わらず敬称は「選手」で統一しています。

文:福嶌弘
1986年横浜生まれ。フリーライター。幼少期より競馬・野球に興味を持ち、ヤンキー向けバイク雑誌、中古車雑誌などを経て2005年からフリーライターとして独立。以降は野球、競馬のスポーツを中心に街、クルマ、グルメ、アウトローetc…とジャンルを問わずに各媒体で執筆。生来の巨人ファンのため、主な出没場所は東京ドーム、横浜スタジアムそして後楽園、関内の居酒屋など

アンケート集計:TRILLスポーツ

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