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「歴代最強だと思う昭和の抑え投手」ランキング!3位「鹿取義隆」、2位「津田恒実」を抑え半数以上の支持を集めた1位は?【野球ファン112人に聞いた】

  • 2024.3.8
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写真:PIXTA

昭和9年(1934年)に誕生し、55年という歴史を誇った昭和時代のプロ野球。当時のプロ野球は現在とは異なり、先発投手が完投するのが当たり前という感覚。そのため中継ぎや抑え投手の価値は今よりも低いものとされてきました。

しかし、昭和49年(1974年)に抑え投手の指標となるセーブが公式記録として採用されると、抑え投手の価値は一変。チームの勝利のために試合を締めくくる守護神の存在は必要不可欠なものとなり、その中から名投手が多数登場しました。

そんな歴代の名投手たちが活躍してきた「昭和時代の抑え投手」の中でファンが“歴代最強”だと思う投手はいったい誰なのか? そこで今回、全国のプロ野球ファン112人にアンケートを実施し「歴代最強だと思う昭和の抑え投手ランキング」を作成。

その結果をご紹介します!

なお、「最強」の定義は記録や数字だけでなく、投票者に委ねていますので、投票理由も多岐にわたります

一体、誰が「歴代最強・昭和の抑え投手」に選出されるのか……。投票結果を見てみましょう!

【第3位】鹿取義隆(9票)

サイドハンドから投げ込む技巧派としても鳴らした鹿取義隆投手が第3位に。

現役19年間で挙げた通算セーブは131。本格的にクローザーとして定着したのは意外にも西武へトレードされた1990年以降ではありますが……アンケートを見ると、馬車馬のように投げても故障とは無縁だった巨人時代の投球が印象に残っているようです。

空白の1日事件で巨人がドラフトをボイコットした1978年にドラフト外指名で巨人に入団した鹿取選手は、プロ入り1年目の開幕戦でプロ初登板を飾るなど、いきなりブルペンに定着。ルーキーながら主に中継ぎ投手として38試合に登板するなど、首脳陣から高く評価されました。

その後も中継ぎ投手としてキャリアを積んでいった鹿取投手は、谷間の先発、そして抑えもこなすというマルチな投手として80年代の巨人においてなくてはならない存在に。そんな鹿取選手を最も高く評価していたのは1984年から監督となった王貞治監督でした。

王監督の就任を機にクローザーとして定着した鹿取投手は1984年には自己最多となる6セーブを記録すると、1987年にはリーグ最多の63試合に登板し防御率は1.90、18セーブを挙げて巨人の守護神に。勝ちゲームとなると、王監督は毎回、投手交代時に鹿取選手を指名したためか、いつしか王監督の「ピッチャー鹿取!」というコールは流行語にまでなりました。

そんな王監督の信頼に応えるかのように、この年の鹿取投手はサイドハンドから繰り出す直球とシンカーで危なげない投球を披露。リーグ優勝、そして西武と対戦した日本シリーズでも大活躍を収めました。

防御率が高くしっかりと毎回完璧に抑え、チームの優勝に貢献した選手で強かったからです。(37歳・男性)
3球で肩をつくれるとの伝説もあり、抑えとしての活躍は鮮明に記憶にあり、まさに昭和最強の抑えでした。(45歳・男性)
とにかく、凄い体力で、毎日のように登板し、ことごとく抑えていた。あんな投手は他にいない。(56歳・男性)

【第2位】津田恒実(13票)

「炎のストッパー」の異名を持つ津田恒実投手が第2位にランクイン。

脳腫瘍のためわずか32歳でその短い生涯を閉じてしまいましたが、アンケートを見ると「変化球を投げずに速球主体の投球」「真っ向勝負で抑える姿」など、ストレート一本槍な投球が今もファンの間では語り草となっています。

プロ入り1年目の1982年に先発投手として11勝を挙げ、広島カープで初めて新人王を獲得した津田選手ですが、2年目以降は低迷。持病の中指の血行障害やさらにルーズショルダーで肩が安定しないなど思うように投げられずに登板機会は激減。そして再起をかける意味で1986年に抑え投手に転向しました。

すると津田投手は不死鳥の如く復活。最速150キロを超えるストレートでグイグイと押していく投球スタイルはライバル球団の打者たちも打ちあぐね、当時の阪神タイガースのスラッガー、バース選手もストレート勝負で三振に倒れた後に「ツダはクレイジー」とお手上げ状態にするほど。

さらに終盤には首位争いを演じた巨人相手にも一歩も引かず、当時の巨人の4番打者、原辰徳選手との対決は大きな話題になるほど。この年は49試合に登板して22セーブを挙げる大活躍でカムバック賞を獲得。広島のリーグ優勝に大きく貢献します。

この後、毎年のように安定してカープの抑え投手として君臨した津田投手は1989年に自己最高成績をマーク。51試合に登板して12勝5敗、28セーブを記録して防御率は1.63。この年の最優秀救援投手、ファイアマン賞という抑え投手のビッグタイトルを獲得して、名実ともに「炎のストッパー」と称されるようになり、その存在は広島ファンだけでなくすべての野球ファンに今なお焼き付いていることでしょう。

炎のストッパーとして実働は短かったですが、語り継がれている選手でその投球はほとんどがストレートだったという真っ向勝負が出来る投手でした。ファールした原さんの腕を骨折させたという逸話からもその凄さがわかる投手だからです。(39歳・男性)
活躍した期間は短かったが、変化球ばかり投げないで剛速球主体で豪快に投げていて、当時対戦した多くのバッターも後年に絶賛していたから。(49歳・男性)
闘志溢れるピッチング!ほとんどがストレートの真っ向勝負で、好打者を力で抑え込んでいく姿は、まさに「炎のストッパー」。当時は巨人が好きだったが、津田が出てくると、試合は終わったなと感じるほどだった。ただ速いのではなく、とにかく球に伸びがある。いまのスピードガンで測定したら155キロは出てるような気がする。(55歳・男性)

【第1位】江夏豊(63票)

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提供:産経新聞

「昭和の抑え投手」というテーマで、この投手のことを外すことはできません。第1位に輝いたのは江夏豊投手

日本のリリーフ投手の草分け役とも言うべき名投手が貫禄のランキング1位を獲得しました。

阪神時代には先発投手として快投を演じてきた江夏投手は1976年に南海ホークスへトレード。このころの江夏投手は心臓の持病のため、先発投手としては限界が近づいていましたが、圧倒的な実力を活かすため、当時の南海の選手兼監督である野村克也監督から「球界に革命を起こそう」と声をかけられた江夏投手は以来、クローザーとしてチームを支える存在に。1977年には19セーブを挙げて最優秀救援投手のタイトルを獲得しました。

そしてこの年のオフ、江夏投手をクローザーとして蘇らせた野村監督が解任されると、江夏投手もトレードを志願。広島に移籍すると、それまで衰える一方だった直球の威力が回復し投球の幅を広げると、1979年には22セーブを挙げて最優秀救援投手というタイトルを獲得。広島を4年ぶりのリーグ優勝、そして自身にとっては初となる優勝を経験します。

さらに江夏投手を伝説の抑え投手としたのがこの年の日本シリーズ。近鉄と対戦した広島は3勝3敗。第7戦に登板した江夏投手は9回裏に無死満塁という大ピンチを迎えましたが、圧倒的な投球力と、存在感で近鉄打線を抑え込み、見事に優勝。球団創設初の日本一の立役者となりました。

その後、江夏投手は再度トレードで日本ハムへ移籍。ここでも1981年に日本ハムを初のリーグ優勝に導くなど、いきつくチームを必ず優勝させる、「優勝請負人」としても名を馳せました。

プロ野球歴代タイとなる5度の「最優秀救援投手」を獲得している。1971年には、オールスターで9者連続三振の記録を樹立した。(55歳・男性)
江夏の21球など印象的なエピソードもありますが、この人がプロ野球における抑え投手の役割を確立させたと思うからです。(34歳・男性)
先発としてもノーヒットノーランを達成するなど素晴らしい実績を残しているが、抑えに転向してからも、“江夏の21球”に代表されるように大舞台で活躍し、日本におけるクローザーの価値を高めた人。(63歳・男性)
コントロールがよく多彩な変化球で緩急をうまく使い三振を簡単に取るといった選手で最多奪三振や現在でいうセーブ王も受賞したことがあり、大投手で間違いなく昭和に活躍した抑え投手だと思います。(27歳・男性)
球速に加えて高い制球力を武器に4年連続で最優秀救援投手タイトルを獲得するなど、抑え投手として卓越した活躍を見せたためです。(39歳・男性)

4位以下の選手とコメント

角盈男(8票)

巨人黄金期を支えたストッパー。サイドスローから繰り出される変則的なフォームでタイミングがとりづらく、うちづらいことで、最優秀救援投手にも何度か輝いているから。(51歳・男性)

牛島和彦(3票)

最多セーブ王のタイトルを獲得したことがあり、野球脳が高いエピソードも多く聞くため。(36歳・男性)

郭源治(3票)

熱い気持ちを全面に出してくる気迫がすごく、抑え向きだったと思うのと、球もものすごく速かったイメージがあるから。(48歳・男性)

宮田征典(3票)

8時半の男と呼ばれたリリーフ投手の草分け。1966年-1969年の実績がすごい。(58歳・男性)

結果はこちら

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江夏投手が全体の6割以上の票を稼いだため、4位以下は大混戦。そんな中、鹿取投手と熾烈な3位争いをしたのが8票を獲得した第4位の角盈男投手。左のサイドハンドという変則的な投球フォームから繰り出される変化球を駆使した投球で、3位の鹿取投手とともに80年代の巨人を支えました。

今のプロ野球界とは異なり、セーブのルールもややあいまいで、セーブを挙げた投手が少なかったというのもありますが、今回挙げた投手たちは皆、プロ野球ファンなら知っているであろう超有名投手ばかり。ここから平成、令和と時代が変わる中で今後、どんな投手が誕生するか注目するのも楽しいですよ!


調査方法:インターネットサービスによる任意回答(記述式)
調査実施日:2024年2月7~13日
調査対象:全国の10代~70代
有効回答数:112

※記載している回答は原文ママ

※2024年2月21日時点での情報です。記事内の画像はイメージです。

※現役・引退をした選手に関わらず敬称は「投手」で統一しています。

文:福嶌弘
1986年横浜生まれ。フリーライター。幼少期より競馬・野球に興味を持ち、ヤンキー向けバイク雑誌、中古車雑誌などを経て2005年からフリーライターとして独立。以降は野球、競馬のスポーツを中心に街、クルマ、グルメ、アウトローetc…とジャンルを問わずに各媒体で執筆。生来の巨人ファンのため、主な出没場所は東京ドーム、横浜スタジアムそして後楽園、関内の居酒屋など

アンケート集計:TRILLスポーツ

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