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【サッカー】「歴代最強だと思うセリエAの日本人選手」ランキング!圧倒的1位となったのは?【ファン120人に聞いた】

  • 2024.2.14

 

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写真:PIXTA(イメージ)

サッカーファンなら知らない人はいない「セリエA」。イタリアにおけるプロサッカーリーグのトップディビジョンであり、欧州における5大プロサッカーリーグの1つです。 ユベントスやACミランなど世界中にファンを持つ人気、チャンピオンズリーグでの優勝経験を持つ実力を兼ね揃えたクラブがいくつもあります。

今でこそ当たり前のように多くの日本人選手が欧州各国のリーグでプレーしていますが、セリエAは、日本のプロリーグであるJリーグが創設された1993年以降で、初めて日本人選手がプレーした欧州のトップリーグでもあります。つまり、アジアカップで奮闘していた日本代表選手のさきがけが選んだ舞台が、セリエAだったのです。そこで今回は、「セリエAの日本人選手」に注目してみました。 

セリエAで初めてプレーした日本人選手は、ご存じ「キングカズ」こと三浦知良選手。1994年、当時のヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)からジェノアに期限付き移籍を果たし、日本人のみならずアジア人として初のセリエAでプレーした選手となりました。以来、このリーグでプレーした日本人選手は、2024年1月までの段階で三浦選手を含めて10人以上にのぼります。

そんな「セリエAでプレーした日本人選手」の中で「歴代最強」はいったい誰なのか? 

今回は、全国のサッカーファン120人にアンケートを実施し「歴代最強だと思うセリエAの日本人選手」ランキングを作成。その結果をご紹介します。 

なお、「最強」の定義は投票者に委ねていますので、投票理由も多岐にわたります。また、女子サッカーのセリエAもありますが、今回は男子のみが対象です。在籍期間に制限は設けていません。

一体、誰が「歴代最強だと思うセリエAの日本人選手」に選出されるのか……。投票結果を見てみましょう。 

【第3位】本田圭佑(7票) 

第3位にランクインしたのは、本田圭佑選手でした。 

本田選手は、2005年に石川県の星稜高校からJリーグの名古屋グランパスエイトに加入。2年目にレギュラーの座をつかむと、2008年にはオランダのVVVフェンロに移籍し、チームの中心として目覚ましい活躍を見せます。その後日本代表選手として臨んだ2010年のワールドカップ南アフリカ大会では、チームを決勝トーナメントに導く活躍を披露し、世界でも知られる存在となりました。 

2010年にロシアの強豪CSKAモスクワに移籍した本田選手は、ヨーロッパリーグの舞台で実績を積んだ後、2013年、ACミランへ念願の移籍を果たします。背番号は「10」。サッカーにおいて、10番は攻撃の中心を担う背番号として知られており、クラブ史上初めて所属する日本人プレーヤーがいきなり名門の10番を背負ったということで、センセーショナルな話題を呼びました。 

ACミランは、スクデット(リーグ優勝)獲得19回の実績を持つ、セリエAを代表するビッグクラブの1つですが、本田選手が加入した頃は財政的な問題もあって戦績は低迷。シーズン毎に、さらにはシーズン中にも次々に監督が交代し、本田選手は期待された優勝への貢献や、チャンピオンズ・リーグでの躍動を披露することはできませんでした。 

しかしそんななかにあっても、本田選手は常に鍛錬を怠らず、チームの勝利を求めて戦い続けました。リーグ戦での戦績は2014~2017年の通算で81試合9得点。ケガの影響などもあり、本人にとっても決して満足できるものではありませんでしたが、主に右のサイドハーフから卓越した戦術眼と正確なキックで決定機を演出し、ミランの一員としての足跡を刻みました。 

セリエAといえば、本田圭佑選手以外思いつかないほど印象深い方です。独特のキャラクターと、謎のオーラがそう思わせるのでしょうか? ビジネス進出にも意欲的で、今後も頑張って欲しいので選びました。(18歳・男性) 
世界の強豪チームで背番号10を3.5シーズンも背負ったので。(48歳・男性) 
当時、セリエAの有名チームで出場していた日本人選手がほぼいなかったためです。彼の影響で、イタリアでの日本人市場が開拓されていったと考えています。(41歳・女性)
フリーキックを譲らず、でもしっかり決めるシーンが印象的。(26歳・男性) 

【第2位】長友佑都(26票) 

2位に入ったのは、現在JリーグのFC東京に所属している長友佑都選手です。 

現在37歳の長友選手は、2010年、2014年、2018年、そして2022年と、日本代表として4大会のワールドカップに出場。身長165cmと小柄な体格ながら、驚異的な運動量と鍛え上げたフィジカル、そしてDFとしての優れた対人能力で、「不動の左サイドバック」として代表チームに君臨してきました。 

そんな長友選手が、在籍していたFC東京からセリエAのクラブに移籍を果たしたのは、2010年のことでした。最初に加入したのは、当時20シーズンぶりにセリエA昇格を果たしたチェゼーナ。長友選手は、2010-2011シーズンの開幕戦から先発出場を果たすと、そのままレギュラーの座を獲得します。そして驚くことに、年が明けた2011年1月末に、その前年に通算18回目となるスクデットを獲得していた名門中の名門、インテルへの移籍が電撃発表されたのです。 

インテルにとって初の日本人プレーヤーでしたから、当初は懐疑的な声も多数聞かれましたが、長友選手はプレーパフォーマンスでそんな声をねじ伏せます。さらにはその順応性の高さと本人の努力で言葉の壁をも乗り越えると、いつしかチームメイトやファンからも愛される存在になっていきます。ゴールを決めた際、サネッティ選手(イタリア)やスナイデル選手(オランダ)らと行った「お辞儀パフォーマンス」はあまりに有名なシーンです。

食事やトレーニングにもこだわり、プロとして万全の準備をして試合に臨む姿勢、回数を厭わない左サイドのオーバーラップを可能にするスタミナと献身の精神、そして溢れんばかりの勝利への執念によって、誰が見ても欠くことのできない選手の1人となっていったのです。 

長友選手は2017-2018シーズンの途中までインテルに在籍。セリエAでの通算試合出場数186試合は、歴代日本人プレーヤートップです。そのほとんどが、各国の一流選手を集めたスター軍団・インテルに所属したうえでの数字ですから、改めて長友選手の偉大さがうかがい知れます。 

セリエAで日本人選手最多出場なので!長く活躍していてすごかったです!(32歳・女性) 
当時世界最強だったインテルにて、見事にレギュラーを確保。そして長く活躍して印象的なゴールも決めている。メンタル的にも模範的。(43歳・男性) 
インテルという超名門のクラブでレギュラーとして活躍していた。他にも選手はいるが、彼ほどコンスタントに出場し日本代表にも影響を与えた選手はいないと思う。(27歳・男性) 
小柄な身体ながらイタリアの名門インテルで8シーズンもプレーしました。 1対1にも強く、積極的なオーバーラップで攻撃にも参加。日本代表に欠かせない選手として活躍し続けた実績は高く評価されているから。(21歳・男性) 

【第1位】中田英寿(78票) 

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写真:アフロ

2位を大きく離す得票数で1位となったのは、中田英寿選手でした。 

中田選手が所属するベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)から、セリエAのペルージャに移籍を果たしたのは、1998年。ビッグクラブのインテルで活躍した長友選手がセリエAに渡った年からさらに10年以上前のことですが、それでも多くの人々の記憶に残っているのは、やはり中田選手の活躍ぶりが衝撃的であり、記憶に残るものだったということでしょう。 

1997年、まだ20歳になったばかりだった中田選手は、初めて日本代表に選出されると、その類まれな戦術眼ですぐにチームの中心選手として活躍。日本をワールドカップ初出場に導いたうえに、フランスでの本大会ではチームは3連敗となりましたが光るプレーを随所に見せ、ペルージャへの移籍が決まります。まだ日本人の海外移籍は珍しい時代でしたから、メディアは連日その一挙手一投足を報じました。 

そして1998-1999シーズン開幕戦で、最初の衝撃が日本中を駆け巡ります。相手は、ジネディーヌ・ジダンやアレッサンドロ・デルピエロ、ディディエ・デシャンといったそうそうたる顔ぶれが揃うスター軍団、ユベントスでした。0-3とリードされた後半、中田選手は自ら2ゴールを奪い、1点差としたのです。「ついに日本人が欧州で活躍する時代が来た」と、誰もが感じた瞬間でもありました。 

中田選手は、ペルージャの攻撃の核としてこのシーズン33試合に出場。10ゴールをあげる活躍で、ペルージャのセリエA残留に貢献しました。この中田選手の活躍が、後の日本人選手の海外移籍の道を大きく広げ、また日本人選手の目を欧州へと導く結果をもたらしたといっても過言ではないでしょう。 

この活躍が認められ、中田選手は1999-2000シーズンの途中でセリエAの古豪・ローマに移籍します。ただ、ペルージャに比べて格段に選手層の厚いローマでは先発出場の機会が減り、さらにこの頃のイタリアにあった「EU加盟国の国籍を保有しない選手は1試合につき3名までしかベンチ入りできない」という規定のために、試合に出場する機会さえも少なくなっていきました。 

それでも2000-2001シーズン終盤、首位を行くローマとユベントスの試合で、0-2のビハインドから交代出場で1ゴールを奪い、さらに2点目につながる鋭いシュートを放つなどの活躍は、ローマのサポーターだけでなく、多くの日本人の脳裏に残っている中田選手の名シーンの1つではないでしょうか。この劇的なドローゲームのおかげもあり、ローマは見事にスクデットを獲得。中田選手は日本人として初めてセリエA優勝を経験しました。 

残念だったのは、2001-2002シーズンにパルマに移籍して以降、チームや監督との波長が合わず、さらには自身のケガの影響もあり、リーグ戦では思うような戦績を残せなかったことでしょう。中田選手はその後ボローニャ、フィオレンティーナでプレーし、惜しまれつつもイタリアを去った後は、イングランドのクラブへと移籍します。そして中田選手は、翌2006年のワールドカップドイツ大会を最後に、29歳でサッカー選手を引退してしまいました。その見事なまでの潔さも、中田選手の伝説を形作っているのではないでしょうか。 

日本人選手が海外移籍出来るようになる流れを作った選手であり、長年セリエAでプレーし続けたという意味でも最強だと思うから。(41歳・男性) 
やっぱり、日本のサッカー黎明期を支えた選手というイメージがあるから。(35歳・男性) 
ボールキープ力に長けており重戦車かのようなフィジカルで前線まで運ぶところです。フィニッシュに繋げるまでのパスも素晴らしく、特にスルーパスで好機を演出するところにテクニックのすごさを感じさせてくれます。(32歳・男性) 
イタリアでのスマートなサッカーにあっていたし、しっかり自分の意見を言って活躍しているところはすごいと思う。(47歳・女性) 
ユベントスで短期修行の後、当時セリエAに昇格したペルージャに引き抜かれた時はとてもセンセーショナルだった。加入後の活躍は言うまでもないが、後進の日本人サッカープレーヤーに活路を開いた功績はとても大きいと思う。(49歳・女性)

4位以下の選手とコメント

三浦知良(6票)

Jリーグ創設時からの活躍もそうだが、アジア人初のセリエA進出の功績は大きいと思う。一生現役だし人としてのオーラが格別。(25歳・女性)  

中村俊輔(2票)

自分自身としては左足から繰り出されるフリーキックが大変変化をし、そして美しい軌道でゴールを決めるからです。(41歳・男性)  

鎌田大地(1票)

ハットトリックも成功したことがあるから。(31歳・女性)  

結果はこちら

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回答結果を元に作成したグラフがこちらになります。中田選手が圧倒的な票数を獲得し、長友選手がそれに続く2位でした。彼らの功績や影響力を考えれば、やはり納得の結果といえるでしょう。

また、3位の本田圭佑選手に惜しくも1票差でトップ3入りを逃しましたが、4位にはアジア人初のセリエAプレーヤー、三浦知良選手がランクイン。5位には2002年から2005年までレッジーナに所属していた中村俊輔選手、また2023年8月からラツィオでプレーする鎌田大地選手にも票が入りました。

まだ日本人選手が扉を開いてから歴史が浅いセリエA。今後この大舞台で活躍するサムライたちが増えていくことに期待しましょう。


調査方法:インターネットサービスによる任意回答(記述式)

調査実施日:2023年1月18日

調査対象:全国の10代~50代

有効回答数:120

※記載している回答は原文ママ2024年1月24日時点での情報です。

※現在現役・引退をした選手に関わらず敬称は「選手」で統一しています。

※サムネイル写真出典:PIXTA(イメージです)

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