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【サッカー】大激戦!「歴代最強だと思う背番号7の日本人選手」ランキング!3位「三笘薫」「柴崎岳」、2位「中田英寿」を抑えた1位は?【ファン157人に聞いた】

  • 2024.2.12
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写真:PIXTA(イメージです)

かつてサッカーにおける背番号は、フォーメーションのポジションによって決まっていることがほとんどでした。ゴールキーパーの「1」を起点に「11」まで割り振られ、有名な番号ではセンターフォワードの「10」があります。そして、「7」は左ウィンガーのポジションを意味していましたが、現在ではその概念が崩れ、主にサイドアタッカーなどの攻撃的なポジションの選手間で「7」が定着しています

背番号「7」で最も有名なのはポルトガル代表の「CR7」こと、クリスティアーノ・ロナウド選手ではないでしょうか。また、キリアン・エムバペ選手もイメージした方は多いかも知れません。引退した選手だとデビッド・ベッカム選手などでしょうか。

そして、日本人サッカー選手でもJリーグ、そして日本代表で過去に多くの背番号「7」が誕生してきましたが、その中でサッカーファンが思う「歴代最強」の「7」の選手は誰なのか? 

今回はサッカーファン157名を対象に「歴代最強だと思う背番号7をつけた日本人選手」についてアンケートを実施しました。

そこで得られた回答結果をランキング形式で紹介します。

なお、背番号「7」を付けた期間や代表での試合出場数だけで判断することなく、「最強」の定義自体を特に指定していないため、投票理由も千差万別です。また、中には背番号変更により一時的に「7」を付けた経験がある選手もいますが、そういった選手も投票対象としています。代表、クラブなども問いません。

それでは早速見ていきましょう。

【第3位タイ】三笘薫(5票)

第3位は2人います。

まず1人目は、ワールドカップカタール大会での「三笘の1ミリ」で世界中から注目を集めた三笘薫選手

三笘選手がサッカーファンに最初の衝撃を与えたのは2017年、大学2年時に背番号「9」で出場した天皇杯2回戦です。Jリーグのベガルタ仙台を相手に2得点を挙げ、ジャイアントキリングに貢献すると、その名が関係者の間で知れ渡るようになります。

2018年、大学在籍時から背番号「32」で川崎フロンターレの特別指定選手としてJリーグの試合に出場していた三笘選手。2020年に背番号「18」で正式加入し、Jリーグ公式戦にデビューすると5試合連続でゴールを奪います。新人史上5人目となる2桁得点を記録するなど、ベストイレブンに選出される活躍で川崎のJ1リーグと天皇杯優勝の二冠達成に貢献しました。

その後、ベルギーのサンジロワーズを経て、最高峰のイングランド・プレミアリーグ、ブライトンに移籍。2022-23シーズンには背番号「22」を纏い、リーグ7得点で日本人選手のプレミアリーグシーズン最多得点記録を更新しました。

こうして振り返ると、クラブでは一度も背番号「7」のユニフォームに袖を通していない三笘選手ですが、日本代表ではどうでしょう。「三笘の1ミリ」が生まれたW杯カタール大会こそ「9」番でしたが、2023年6月のキリンチャレンジ杯からは、本人が「好きな番号」だと語る「7」に変更され、代表出場17戦目のペルー戦で代表通算7点目のゴールを決めました。

背番号「7」での試合出場がそう多くない三笘選手が3位票を獲得した理由は、前述したとおり、ポジションにおける背番号のイメージ(サイドアタッカー=「7」)がサッカーファンの間で強いのかもしれません。

現在行われている「AFC アジアカップ カタール 2023」でも三笘選手は「7」で招集されています。左足首の負傷のためグループステージでは出場できませんでしたが、決勝トーナメントからは復帰が予想されていますので、「7」の躍動に期待しましょう。

現日本代表選手として活躍中ですし、あの最強にキレのあるドリブルと左サイドから切り込むテクニックはまさに最強だと思います。(52歳・女性)
スピードが速い、突破力。(44歳・女性)
彼のたぐい稀なサッカーセンスはすごいと思います。どんなに劣勢な試合でも彼が入ることで雰囲気を一偏させることが出来ます。個人技も一流ですが、チームの得点チャンスを作りだせる能力がすごいと思っています。(67歳・男性)

【第3位タイ】柴崎岳(5票)

第3位2人目は、日本代表の背番号「7」の系譜を受け継いだ柴崎岳選手

高校サッカーの名門、青森山田高等学校時から背番号「10」を背負い、2011年に背番号「20」で鹿島アントラーズに加入した柴崎選手。2012年にはナビスコカップ連覇に貢献し、最優秀選手賞を受賞するなど活躍。2016年には、過去にジーコ選手、レオナルド選手、ビスマルク選手が付けた「10」を継承しています。同年に行われたクラブW杯でレアル・マドリードを相手に2得点を挙げ、世界に衝撃を与えました。

今回、歴代最強の背番号「7」で3位に選出された柴崎選手ですが、そのプレースタイルはクラブでの実績が示すとおり、「7」というよりはむしろ「10」です。トップ下のポジションで運動量豊富なゲームメイカーとして活躍しました。

日本代表に初選出されたのは2014年でした。ベネズエラ戦で代表デビューを果たすと、この試合では代表初ゴールも挙げています。当時の日本代表では、ゲームメイクする司令塔タイプが「10」ではなく「7」を付ける系譜がありました。柴崎選手は「(背番号7だった)中田英寿、遠藤保仁の後継者」として、22年まで日本代表で60試合に出場し、3得点を挙げるなど、日本代表の「顔」とも言える「7」を背負い、ファンの期待に応え続けました。

尋常じゃないパスセンス。(54歳・男性)
プレーに華がある。目を引く。いざというときやってくれる感じがして頼もしい。(40代・女性)
日本代表で7をつけていたと思うのですが、海外移籍前のまだ鹿島アントラーズにいた時にクラブW杯でレアル・マドリードと対決した時の柴崎選手の2ゴールは忘れられません。凄かった!(31歳・女性)

【第2位】中田英寿(68票)

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写真:アフロスポーツ

第2位となったのは日本代表の「7」で多くの伝説を残した中田英寿選手でした。

中学3年の時にU-15日本代表に選抜されると、その後すべての年代別日本代表に選出された中田選手。高校卒業時にはJリーグ11クラブからオファーを受ける中、ベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)に加入し、1年目から背番号「7」番を付けて躍動しました。その後もベストイレブン、AFC最優秀選手に選出、A代表デビューも飾っています。

1998年のW杯フランス大会では類まれなフィジカルの強さとキラーパスでチームは3連敗ながら個人として活躍した中田選手。その才能が世界の目にとまり、大会後に当時世界最高峰のリーグと謳われたイタリア・セリエAのペルージャに移籍します。そこでも「7」を付けた中田選手は、セリエBからAに昇格したばかりの弱小クラブで、シーズン10得点を挙げる大活躍を見せます。なかでも衝撃的だったのが、ユベントスとのデビュー戦。最強チームを相手にいきなり2ゴールを挙げ、世界を驚かせました。中田選手仕様の背番号「7」のユニフォームが、異例の5万枚をセールスしたことも実力の裏付けといえるでしょう。以降は同じイタリアのローマやパルマ、ボローニャ、フィオレンティーナなどでプレーした中田選手ですが、そこでは主に背番号「10」でプレーしています。

日本代表では日本初のベスト16入りした2002年のW杯日韓大会から「7」を背負います。1勝1分で迎えた第3戦のチュニジア戦では、1点リードで迎えた後半75分に市川大祐選手からのアシストを受けた中田選手が自身W杯初得点をダイビングヘッドで決め、日本は初の決勝トーナメントへグループ首位での進出を決めました。2006年のW杯ドイツ大会でも「7」で登録。死力を尽くした最後のブラジル戦で敗退後にピッチに倒れ込んだシーンは有名です。その試合を最後に、代表とともに中田選手は現役の引退も表明し、日本中に衝撃を与えました。

7番の存在感を、一番強烈に感じさせた孤高の天才だから。(43歳・男性)
サッカー選手にまったく興味がなかった学生時代のある日、テレビに映る「中田英寿」さんを見て衝撃を受けました。プレイスキル(キラーパス特集)やルックス、これまで感じたことのない「華」があったからです。それからは、ワールドカップを含めてサッカー観戦をするほどサッカーファンになりました。(40歳・男性)
年齢、クラブ所属歴を気にするのが日本人だと思うが中田英寿は自分より先輩に違うことは違うとお話されているところはテレビ放送されてました。才能、スキルもさることながら、自分が日本を引っ張るという自信が歴代最高選手です。(29歳・男性)
彼の技術、コードビジョン、フィールド上でのカリスマ性はとても素晴らしく、サッカーだけでなく、彼のスタイルや哲学は人々に影響を与え、日本サッカー界の象徴するプレイヤーの1人です。(22歳・男性)

【第1位】遠藤保仁(71票)

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写真:YUTAKA/アフロスポーツ

激戦を制し、第1位となったのは、先日引退を発表した遠藤保仁選手でした。

1998年に横浜フリューゲルス(現横浜F・マリノス)に加入し、京都パープルサンガ(現サンガF.C.)を経てガンバ大阪に移籍すると3年目から鹿児島実業高校以来となる「7」番を付け、その年、初のJリーグベストイレブンを受賞しました。

G大阪での在籍20年の中で18シーズンに渡り「7」を背負った遠藤選手。Jリーグベストイレブンを歴代最多の12回受賞するなど、Jリーグの顔として活躍し続けた遠藤選手の「7」は、G大阪はもちろん、Jリーグでも代名詞となっていました。その功績が、2023年にJリーグ開幕から30年を記念して設けられた「J30ベストアウォーズ」でMVP受賞という栄誉を生みました。

日本代表では、2002年から2015年まで史上最多の国際Aマッチ152試合に出場し、2007年からの56試合で「7」番を背負いました。

W杯では2006年ドイツ大会の予選に5試合出場しましたが、本大会ではフィールドプレーヤーとして出場機会がありませんでした。ただ、「7」番で挑んだ2010年の南アフリカ大会は予選で12試合、本大会でも4試合プレーし、3戦目のデンマーク戦では本田圭佑選手とフリーキックを1本ずつ決める大会44年ぶりの2本成功で日本を2度目のベスト16進出に導きました。3度目となった2014年のブラジル大会でも予選13試合、本大会2試合に背番号「7」で出場しています。

また現在、G大阪では、宇佐美貴史選手が「7」を付けています。どうしても「7」を譲ってほしい宇佐美選手が、遠藤選手(当時ジュビロ磐田)との焼肉の席で、ここぞとばかりに「7」の使用の許可を求めたというエピソードもあります。G大阪の看板選手である宇佐美選手ですら、G大阪の「7」は特別な番号であることが、この話から見えてきます。

2023年のシーズンを終え、J1通算最多の672試合に出場し、103得点をマークした遠藤選手は今年の1月に引退を表明。海外クラブに移籍することなくJリーグで26年間プレーした遠藤選手の引退は、チームを問わず多くのサッカーファンから惜しまれました。

試合を通してミスが少なく、試合自体をコントロールしている。また、好不調の波が少ないことから、いつ彼のプレーを見ても楽しませてもらった。(31歳・男性)
ゲームコントロール能力が高く、空いたスペースに絶妙なパスでゴールを多く演出していました。代名詞のコロコロPKも魅力の一つです。(32歳・男性)
日本代表で最多キャップの選手で長きに渡って日本代表を支えた選手なので。冷静な判断ができてパスも正確でPKも正確にどんな場面でも落ち着いて決めていたので間違いなく最強の7番だと思います。(29歳・女性)
常に全体を見ることができる選手だからです。実力もさることながら驕らない選手ですし、統率力は歴代No.1だと思います。(32歳・女性)
正確なパスで日本の心臓と言われるほど欠かせない存在で、多彩なパスからチャンスを作ってアシストしたりコロコロPKやフリーキックでも点数を取れるからです。(25歳・男性)

5位以下の選手とコメント

名波浩(2票)

最強だったジュビロ磐田の中でも一際レベルの高いプレーで君臨している印象が強いから。(38歳・女性)

宇佐美貴史(1票)

若くしてバイエルンミュンヘンへと移籍した時は衝撃でした。海外や日本代表では苦しんだイメージもありますが、Jリーグでの実績は確か。プレーにも華がありまさに「7番」らしいプレイヤーだと思います。(21歳・男性)

結果はこちら

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回答結果を元に作成したグラフがこちらになります。

5位には、名波浩選手がランクイン。J1クラブの大半、そしてセリエA・ヴェネツィア時代も「7」番を付けていました。

今後「7」をまとった新たなスターが誕生するのか、注目です。


調査方法:インターネットサービスによる任意回答(記述式)

調査実施日:2024年1月19日

調査対象:全国の10代~60代

有効回答数:157

※記載している回答は原文ママ。2024年1月26日時点での情報です。

※現在現役・引退をした選手に関わらず敬称は「選手」で統一しています。

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