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「歴代最強だと思うドラゴンズの強打者」ランキング!3位「福留孝介」、2位「タイロン・ウッズ」を抑えた1位は?【野球ファン212人に聞いた】

  • 2024.2.18
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写真:PIXTA(イメージ)

2年連続リーグ最下位と、3年連続でBクラスに低迷してしまっている中日ドラゴンズ

セ・リーグでは巨人に次ぐ優勝回数を誇る伝統球団としては少し寂しい成績が続いていますが……その球団の歴史を紐解くと、“強竜打線”を牽引した球界を代表するスラッガー(強打者)を数多く輩出しています。2023年シーズンまでにホームラン王となった選手はリーグトップとなる10人を数えるほどです。

そんな歴代の中日ドラゴンズの強打者の中でファンが「歴代最強」だと思っている選手はいったい誰なのか?

そこで、全国のプロ野球ファン212人に「歴代最強だと思うドラゴンズの強打者は?」というアンケートを作成。その結果をランキング形式で紹介します。

なお、「最強」の定義は記録や数字だけでなく、投票者に委ねていますので、投票理由も多岐にわたります。また、在籍期間は問いません。

一体、誰が「歴代最強・中日ドラゴンズの強打者」に選出されるのか……。

さっそく見てみましょう!

【第3位】福留孝介(25票)

第3位にはメジャーリーグや阪神タイガースでも活躍した福留孝介選手

中日ファンの中では2004年、2006年と2度のリーグ優勝、2007年の日本一達成時の中心選手としての印象が強いようです。

高校野球の名門であるPL学園、社会人野球の強豪、日本生命へと進むなどアマチュア時代から野球エリートとして注目された福留選手は1998年のドラフトでドラゴンズに1位入団。プロ入り1年目からショートのレギュラーに定着して打率.284、16本塁打、52打点を記録してチームのリーグ優勝に貢献。スラッガーとして上々のスタートを切ったように見えましたが、一方でリーグワーストの19失策、121三振を喫するなど、まだまだ粗さが目立つ選手であったことは否めません。

その後は故障の影響もあり、打率は2年連続で.250台に留まるなど低迷しましたが、プロ入り4年目の2002年に大躍進。自身初の全試合出場を果たすと、打率は.343で松井秀喜選手(巨人)の三冠王を阻んで首位打者に輝きました。翌2003年には2年連続の打率3割(.313)を記録するとともに本塁打は自己最多となる34本塁打を放ち、チームどころか球界を代表する選手へと進化を遂げました。

そして福留選手がキャリアハイの成績を残したのは2006年。この年はシーズン前の春に第1回WBCで日本代表チームに選抜されると、準決勝の韓国戦で値千金の代打本塁打を記録。これで勢いに乗った福留選手は開幕間もなくして3番打者に固定されると、このシーズンは安定した成績を残して打率は.351、31本塁打、104打点そして100得点という素晴らしい成績を挙げました。福留選手は自身2度目となる首位打者を獲得し、さらにリーグMVPを受賞するなど中日黄金期を打で支え続けました。

松井秀喜の三冠王を阻止して首位打者のタイトルを勝ち取ったシーズンのバッティングが印象的です。他球場と比較しても広いナゴヤドームでホームランを打てる打力がありながら安打を量産し続けました。相手バッテリーとの駆け引きが秀逸で狙い球を呼び込むのが上手く、打率や本塁打は数字以上に打っていたほどの活躍ぶりです。(32歳・男性)
WBCにも選ばれ、メジャーリーグでも成績を残し、チャンスに強く長打力もあり走攻守揃っていて最強だと思います。(25歳・男性)
バッティングセンスと球の見極めは球界でも1、2を争うほど良かったと思うから。(30歳・男性)
中日時代に首位打者、MVPを獲得しており、侍ジャパンでも活躍していたため。(20歳・男性)

【第2位】タイロン・ウッズ(33票)

そんな福留選手とともにチームをバットで支えたのがタイロン・ウッズ選手が第2位に。

中日での在籍年数はわずか4年(2005〜2008シーズン)と意外と短いですが、その4年中、チームが日本シリーズに進出したのは2回、中日にとって53年ぶりとなった日本一時の4番打者だったことから、ファンに強烈な印象を残しました。

実は2003年に横浜ベイスターズに入団していたウッズ選手はいきなり2年連続で40本以上のホームランを放ち本塁打王に輝くなど、その長打力はリーグ最強レベルを誇りました。ところが、シーズンオフに契約でこじれてしまったことで横浜を退団し、2004年オフに中日へ移籍。ここから中日の黄金時代が始まることになりました。

ウッズ選手がドラゴンズで本領を発揮したのは移籍2年目の2006年。兼ねてから不安視されていた勝負弱さを克服したウッズ選手は持ち前の長打力に磨きをかけ、自己最多となる47本塁打を記録して2年ぶりに本塁打王に返り咲くと、球団新記録となる144打点をマークして自身初の打点王のタイトルも獲得。チームを2年ぶりのリーグ優勝に導きました。

そして2007年。この年はクリーンナップでコンビを組んでいた福留孝介選手が故障で離脱してウッズ選手ひとりが打線を引っ張ることが多くなりましたが、それでも打率.270、35本塁打を記録してベストナインを受賞。チームがシーズン2位だったことでクライマックスシリーズに出場すると、重要な局面で本塁打を放ち、シーズン1位だった巨人を破って日本シリーズに進出。頼れる4番打者として中日の日本一に大きく貢献しました。

その後、2008年もウッズ選手は8月に39歳となりましたが、140試合に出場して打率.276、35本塁打を記録。この年限りでチームを去りましたが、退団時にはファンからも惜しまれるなど愛された助っ人外国人でもありました。

ホームラン。中日の4番といったら、タイロンウッズ。中日が強かった時代の4番だから、特に印象が強い。(29歳・男性)
ホームランの出にくいと言われるナゴヤドームで、在籍した4年連続ホームラン35本以上の長打力はすさまじい。しかも打率も3割2回とよい。(22歳・男性)
ホームラン打者ながら打率も残せる。広い名古屋ドームで広角にホームランが打てるのも魅力。威圧感がすごくどこに投げても打たれそうな感じだった。(40歳・男性)
この人しかいないでしょう。HRキングの称号もふさわしくバッターBOXに入った時の威圧感たるや。チャンスの場面には期待通りの結果も出してくれる最強のバッターです。(29歳・男性)

【第1位】落合博満(80票)

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写真:ロイター/アフロ(2007年、監督時代)

80票を獲得し、大差を付けて第1位に輝いたのは落合博満選手

監督時代には福留選手、ウッズ選手をクリーンナップに据えてチームを強豪へと導いた名将として知られていますが、選手時代も中日屈指のスラッガーとして活躍を収めました。

ロッテオリオンズで3度の三冠王に輝くなど、打者として超一流の成績を収めていた落合選手が中日にやってきたのは1986年のオフ。落合選手1人に対して4人が交換相手に選ばれるというプロ野球史上最大の大型トレードで中日ドラゴンズへとやってきました。

移籍初年度の1987年、落合選手はタイトルこそ獲得できませんでしたが、リーグ3位となる打率.331で存在感を発揮すると、翌1988年にはともにリーグ2位となる32本塁打、95打点を記録して中日の4番打者として活躍してチームのリーグ優勝に大きく貢献。特筆すべきはこの年の勝利打点19はリーグ1位というところ。落合選手の持ち味である勝負強い打撃がフルに生かされることになりました。

その後、1989年には116打点を挙げて、中日移籍後初の打撃タイトルとなる打点王を獲得。ちなみに落合選手はロッテ時代にも打点王を獲得していたため、史上初となる両リーグ初の打点王になると、この年のオフに契約を更新した際、年俸は当時のプロ野球界で最高額となる1億6500万円にまで増額されました。

35歳を超えてからも落合選手の打棒は衰えることを知らず、1990年と1991年には2年連続で本塁打王を獲得。中日でのラストイヤーとなった1993年まで打率が.280を下回ったことは一度もないなど抜群の安定感を見せたことがランキング1位の要因になったと言えそうです。

やはり三冠王を三度達成しているのはだてではなく、監督としての実績もある。凄いプレイヤーだったと思う。(44歳・男性)
ロッテ時代に3冠王3回獲得が象徴的な成績ですが、中日移籍後も2度のホームラン王を獲得しその強打者ぶりは衰え知らずでした。中日の強打者としては落合選手以上の選手は思い浮かびません。(58歳・男性)
1988年のセ・リーグ優勝は、落合選手が四番バッターだったからこそ達成できたと思います。歴代の四番バッターの中でいちばん安心感のある選手だったと思います。長打力もあり、当時のナゴヤ球場でホームランを間近で観た感動は忘れられません。(46歳・男性)
ドラゴンズの4番バッターとして独特な構えからホームランを放つ姿が当時小学生だった私にはものすごく偉大な選手に見え、大人になった現在でもその当時の衝撃が忘れられないためです。(45歳・男性)
バッティングセンスもさる事ながらパワーもありますし中日ドラゴンズの中では歴代最強の強打者だと思います。(43歳・男性)

4位以下の選手とコメント

立浪和義(18票)

本塁打はそこまで多くありませんが、プロ野球記録の二塁打数を記録していて、二塁打のイメージが強くあります。安打も通算2480本で歴代8位の記録です。(32歳・男性)

トニ・ブランコ(9票)

打撃の飛距離が歴代の選手の中でも一番と思わせるほどでナゴヤドームのポールを長くさせるほど高く遠くまで飛ばす力があるからです。(30歳・男性)

谷沢健一(8票)

大卒でアキレス腱を切ったこともあるのに2000本安打達成、ホームラン数や打点も多く長期間活躍して優勝にも大きく貢献した。明らかに過小評価されている。(58歳・男性)

和田一浩(8票)

30を超えてからの2000安打達成や、名古屋ドームを本拠地とする中日でのシーズン30本以上のホームランを打っているのが印象に残っているから。(22歳・男性)

ダヤン・ビシエド(6票)

持ち前のパワーもそうだが、日本に来てから投手の配球など研究した結果打率も安定し、何よりファンから愛されている助っ人だと思っています。(51歳・男性)

山﨑武司(6票)

セパ両リーグでホームラン王を獲得しており、ドラゴンズ時代での松井秀喜とのホームラン争いは今も伝説となっている。(47歳・男性)

結果はこちら

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福留選手に続いて惜しい4位となったのが現在の中日の監督を務める立浪和義選手。打撃タイトルには無縁の存在でしたが、現役22年間を中日一筋でプレーして、通算2480安打、二塁打は歴代最多となる487本も放つなど、“ミスタードラゴンズ”として恥じない成績を残しています。

それ以外で注目したいのが第5位に9票でランクインしたトニ・ブランコ選手や、8位タイのダヤン・ビシエド選手などの外国人選手の活躍ぶり。伝統的に外国人選手の活躍が目立つ、中日らしいランキングになったと言えるでしょう。


調査方法:インターネットサービスによる任意回答(記述式)
調査実施日:2024年1月19日~2月1日
調査対象:全国の10代~70代
有効回答数:212

※記載している回答は原文ママ

※2024年2月10日時点での情報です。記事内の画像はイメージです。

※現役・引退をした選手に関わらず敬称は「選手」で統一しています。

※サムネイル写真出典:PIXTA(イメージ)

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