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「歴代最強だと思う阪神のエース投手」ランキング!3位「藤川球児」、2位「江夏豊」を抑えた1位は?【プロ野球ファン100人に聞いた】

  • 2024.1.25
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写真:PIXTA

昨季38年ぶりの日本一に輝き、2024年で創立89年を迎える西の名門球団、阪神タイガース。プロ野球界でも屈指の人気を誇るこのチームではこれまで、球界を代表するエース投手が多く活躍してきました。

連日大観衆を集める阪神甲子園球場の崇高なるマウンドに立ち、150キロ超の豪速球や魔球というべき変化球でピンチを救い、チームを勝利に導いてきた阪神の歴代エース投手たち。各チームのライバル選手との対決は名勝負とたたえられ、プロ野球ファンを熱狂の渦に巻き込んでいきました。

そんな球史に名を残す選手が多数ランクインした「阪神のエース投手」の中で野球ファンが選ぶ「歴代最強」はいったい誰なのか?

そこで全国のプロ野球ファン100人にアンケートを実施、「歴代最強だと思う阪神のエース投手ランキング」を作成しました。その結果をご紹介します。

なお、「最強」の定義は記録や数字だけでなく、投票者に委ねていますので、投票理由も多岐にわたります。また、今回は「先発」「リリーフ」といった役割を定義せず全投手を対象とし「エース」を答えていただきました

プロ入りから引退まで、阪神一筋ではなくても、一時期阪神に在籍していた投手も対象となります。

それではさっそく投票結果を見てみましょう。

【第3位】藤川球児(9票)

日米通算245セーブを挙げた伝説のクローザー、藤川球児投手が第3位にランクイン。

通算811試合の中で先発登板は19試合のみですが、プロ野球ファンの中では“リリーフエース”として強烈に印象に残ったのか、今回の「阪神の歴代エース投手ランキング」で票を集めました。

高知商業時代から「高知三羽烏」と評判を集め、1998年のドラフト会議で阪神から1位指名を受けて入団するも、プロ入りから3年間は一軍で未勝利。肩の故障もあり、二軍でもなかなか登板機会に恵まれませんでしたが、プロ入り6年目の2004年に当時の一軍投手コーチである中西清起コーチのアドバイスで中継ぎに転向し、フォームを変えたことで「ホップするように伸びる」と称されたストレートが威力を増していきます。

そして翌2005年。背番号を22に変更した藤川投手は中継ぎ投手として一軍に完全に定着すると、火の玉ストレートと称された直球を武器に、プロ野球新記録となる17試合連続ホールドを記録。ジェフ・ウィリアムス、久保田智之との継投策は「JFK」と呼ばれる勝利の方程式とされ、阪神のリーグ優勝に大きく貢献。この年は53ホールドポイントを稼いで、最優秀中継ぎ投手のタイトルも獲得しました。

2007年からクローザーへ転向すると、2012年までの6シーズンで通算202セーブを記録。最多セーブ投手のタイトルは2度獲得するなど、阪神どころか球界最強のリリーフエースとなった藤川は2012年から海外FA権を行使してメジャーリーグへ挑戦します。

残念ながら故障に見舞われメジャーでは思うような成績を残すことはできませんでしたが、四国アイランドリーグの高知ファイティングドックスを経て2016年に阪神へ復帰するとすぐにクローザーとして起用され、阪神のリリーフエースとして活躍。復帰2年目の2017年にはNPB通算1000奪三振を達成。投球回数771回2/3での達成は従来の記録を大幅に更新するなど、代名詞である“火の玉ストレート”を武器にした不死鳥の如き活躍が今もプロ野球ファンの脳裏に残っているようです。

「リリーフエース」という意味でのエースですが、藤川球児一択です。火の玉ストレートと言われる直球は打たれる気がしませんでした。登場曲が他球団ファンに「絶望のテーマ」と呼ばれていた事が本当に誇らしいです。凄い試合は沢山ありますが、オールスターでパリーグを代表するカブレラ相手に予告ストレートをし、キッチリとストレートで三振に切り取ったシーンは球界に残る伝説の名シーンだと思います。(34歳・男性)
良くここぞというときに抑えていたので、上手いピッチャーで最強。(37歳・男性)
全盛期の火の玉ストレートは、球速表示以上の球威。投げてからミットに入るまで球筋が落ちず浮き上がるストレート。ボールが速くて振り遅れる三振ではなく、浮き上がる為、ボールの下を振り抜くまさに空を切る三振。一時期圧巻のストレート空振り率30%(平均8%)。異常な回転数と、ボールの回転軸の傾きが非常に少ないため起こる揚力(ホップ)。オールスター戦で見せた、小笠原、カブレラとのストレート宣告真っ向勝負には痺れました。(36歳・男性)

【第2位】江夏豊(21票)

「最強・阪神のエース投手」どころか「プロ野球歴代最強左腕投手」に名を連ねてもおかしくない大エース、江夏豊投手が第2位。

1971年のオールスターで史上初となる9者連続奪三振を記録したり、クローザーに転向して以降、「優勝請負人」として在籍するチームを優勝に導いたりする姿が語り継がれていますが、阪神では在籍9年間で159勝をマークしています。

プロ入り1年目の1967年にいきなり12勝、リーグ1位となる225奪三振を挙げて阪神の左のエースとして台頭すると2年目の1968年には林義一投手コーチによる変化球の指導が功を奏し、勝ち星と奪三振を量産。9月17日の対巨人戦ではライバルと公言していた王貞治選手から日本記録を更新する354奪三振を記録。その後も記録を伸ばしていき、最終的にはシーズン401奪三振。この記録は現在もNPBはもちろん、メジャーリーグ記録をも上回る大記録となっています。

それ以降も江夏投手は直球とカーブを武器にした本格派の投球で勝ち星と奪三振を積み重ね、1年目から9年連続で2桁勝利を記録し、この間に最多勝のタイトルは2度獲得。奪三振に至っては入団から7年連続で200奪三振を達成し、うち6シーズンでリーグ1位。さらに在籍9年間で200イニング以上を投げたのが8度と現在とは時代背景が違えど、まさに鉄腕というべき大活躍を収めました。

しかし、江夏投手が阪神に在籍していた当時のセ・リーグは最大のライバルチーム、巨人がV9を達成している真っただ中。1973年にはあと一歩とのところでリーグ優勝を取り逃すなど、阪神在籍期間中は優勝に縁がなかったことが2位に甘んじた遠因になったのかもしれません。

ちなみに江夏投手は打者としても優秀で、公式戦で通算7本塁打を記録。先述した1971年のオールスターゲームでも2回表に先制となる3ラン本塁打をかっ飛ばし、1973年8月30日の対中日戦ではノーヒットノーランを達成するとともに、延長11回裏にサヨナラ本塁打を放ち、史上初となる延長でのノーヒットノーランを達成するという離れ業を演じています。

高卒の新人で入団以来9年連続で二けた勝利を挙げているのは阪神の江夏以外いないし、その間は押しも押されもしない阪神のエースだったと思う。(66歳・男性)
奪三振401個を奪っているピッチャーなので彼が阪神最強のエースだと思います。(22歳・男性)
歴代でただ1人のシーズン400奪三振を達成している選手で、映像で見ても投球術が本当に凄いと思います。今とは投げる試合数が根本的に違うとはいえ驚異的な数字に違いはないので、歴代最強の阪神のエース投手だと思います。(39歳・男性)
年間最多奪三振401個。オールスターゲーム9連続三振。とにかく奪三振が魅力の剛腕サウスポーでした。(58歳・男性)

【第1位】井川慶(25票)

接戦を制して第1位に輝いたのは井川慶投手でした。

日米通算95勝と、2位の江夏投手や5位の村山投手など球史に名を残す大投手と比較すると成績は見劣りするのは事実。この結果はやや意外かもしれませんが、回答内容を見ると2003年に1985年以来、18年ぶりとなるリーグ優勝に導いた際の大活躍が強烈に印象に残っているようです。また、本記事末にある回答者の年代グラフを見ると、比較的若い世代が回答者に多かったのも後押となったのかもしれません

井川投手はプロ入り4年目の2001年に先発ローテーションに定着すると、9勝13敗と負け越したもののリーグ2位の防御率2.67を記録。直球とチェンジアップを主体とした緩急を武器にした投球でリーグを代表する投手に成長。翌2002年には自身初となる2桁勝利の14勝、206奪三振で初タイトルとなる奪三振王に輝きます。

そして迎えた2003年。井川投手はシーズン初登板こそ黒星スタートとなりましたが、勝負所の夏場に自身12連勝を飾り、シーズンで20勝、防御率2.80をマークして最多勝、最優秀防御率を獲得し、さらに先発投手にとって最高の栄誉である沢村賞も受賞。長らく低迷していた阪神を18年ぶりとなるリーグ優勝に導くなど押しも押されもせぬエースになりました。

それ以降も毎年のように安定した投球を続け、阪神のエースに君臨。メジャー移籍前年の2006年まで5年連続で2桁勝利をマークしました。投手の分業化が進み始め、同時期にJFKが台頭するなど、12球団屈指といえる鉄壁のリリーフ陣を擁していた当時の阪神で5シーズン中、200イニング以上を投げたのが3度。ひとりで投げ抜く姿が、往年のエース像とダブって見えたのかもしれません。

そして、井川は在籍9年間でリーグ優勝を2度(2003年、2005年)達成しているという点は歴代の阪神のエース投手たちと比べると大きなアドバンテージに。「優勝に導く阪神のエース」としてファンの記憶に残ったことがこのランキングにつながったと言えそうです

井川慶投手を選んだ理由はやはり、2003年に20勝をあげた実績と各球団のエースとも対等に投げ合っていたという理由から選ばせて頂きました。スタミナと角度のついたストレートは群を抜いていたのでエースにふさわしいと思います。(41歳・男性)
我が道を行く性格というのも興味を持ったし投手として肝が座っていたのも評価しています。20勝を挙げた年の投球は圧巻でした。(45歳・男性)
序盤から140キロ後半の速球で強気のピッチングする様はエースに相応しいと思います。(47歳・男性)
リアルタイムで見た投手ですと、やっぱり井川投手です。阪神時代、1軍に定着してからはほぼ毎年200イニング前後を投げていたのが、エースとして素晴らしいと思います。(34歳・男性)
真っ直ぐ、変化球あわせて緩急がつかえるピッチャーでまさに勝てるピッチャーの1人だと思います。優勝した年は本当に打てないオーラがあったように最強のエースだと思います。(27歳・男性)

4位以下の選手とコメント

小林繁(8票)

突然巻き込まれた形でのトレードだったのに、阪神でも大活躍してくれたので記憶に残るエース投手です。(53歳・女性)

村山実(7票)

リアルタイムでは見たことないですが、真っ先に思い浮かぶ選手です。ONとの名勝負など実績だけでなく存在感も含めて阪神ではNo.1のピッチャーです。(49歳・男性)

ランディ・メッセンジャー(7票)

イニングイーターとして先発投手としての役割をこなし長く阪神で活躍されました。ユーモアがあり力強い投球が魅力です。(39歳・男性)

青柳晃洋(5票)

クセ玉や独特なフォームを利用してシンカーやスライダーでまとを絞らせないのがすごい。(41歳・男性)

結果はこちら

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井川投手、江夏投手の上位2名で全体の4割以上の票を占めたのに対し、3位以下は大混戦に。藤川投手に1票届かず第4位となったのは空白の一日事件で巨人から移籍して以来、古巣巨人に対し鬼神の如き活躍を見せた小林繁投手、第5位にはザトペック投法と称された闘志むき出しの投球がファンに愛された村山実投手がそれぞれランクインを果たしました。

そして村山投手に並び5位タイとなったのはランディ・メッセンジャー投手。短期間でチームを離れることが多い助っ人外国人投手ながら球団最長となる10シーズン在籍して7度の2桁勝利をマークして、通算98勝。先発転向9シーズンでリーグ最多先発を6度記録するなど、長きにわたり阪神のエースとして君臨しました。

なお、現役投手では青柳晃洋投手、昨季新人王を獲得し、日本一に大きく貢献した村上頌樹投手がそれぞれランクイン。

今後の活躍次第では、こうした歴代の名選手たちを凌ぐ可能性の高い「最強エース候補」が多いだけに、今シーズンはそうした選手たちに注目してみるのもオススメです!


調査方法:インターネットサービスによる任意回答(記述式)
調査実施日:2024年1月5日
調査対象:全国の20代~70代
有効回答数:100

※2024年1月23日時点での情報です。記事内の画像はイメージです。

※現在現役・引退をした選手に関わらず敬称は「投手」で統一しています。

※サムネイル写真出典:PIXTA

原稿:福嶌弘
1986年横浜生まれ。フリーライター。幼少期より競馬・野球に興味を持ち、ヤンキー向けバイク雑誌、中古車雑誌などを経て2005年からフリーライターとして独立。以降は野球、競馬のスポーツを中心に街、クルマ、グルメ、アウトローetc…とジャンルを問わずに各媒体で執筆。生来の巨人ファンのため、主な出没場所は東京ドーム、横浜スタジアムそして後楽園、関内の居酒屋など

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