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【12月26日は"プロ野球誕生の日"】最初のプロ野球チーム"ジャイアンツ"はなぜ「巨人」と呼ばれているのか?

  • 2023.12.26
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写真:PIXTA

1934年12月26日に、日本で初めてのプロ野球チームが誕生しました。

2022年に大谷翔平選手が達成するまで、MLB史上唯一の「二桁勝利&二桁本塁打」を達成したベーブ・ルースや、MLB史上初めての永久欠番に指定されたルー・ゲーリックなどを擁する全米代表チームと対戦するために、千葉県の谷津球場(現在:谷津遊園)に30名の選手が集められ、全日本代表チームが結成されました。

全日本チームは16戦全敗(全米代表チームが16戦47本塁打119打点と圧倒)に終わりますが、後に「沢村賞」の起源となった、沢村栄治投手が、第9戦目に8回1失点と好投し、ベーブ・ルースをはじめ多くのメジャーリーガーが、沢村投手を称賛するコメントを残し、アメリカでも「スクールボーイ・サワムラ」の名前が知れ渡りました。

全国各地で開催された試合では大勢の観客が熱狂し、興行としては大成功を収めたこともあり、この時の全日本代表チーム19名を中心に、日本初の職業野球チーム「大日本東京野球倶楽部」が1934年12月26日に設立されました。

「大日本東京野球倶楽部」から「巨人」へ

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写真:PIXTA

1934年に結成された大日本東京野球倶楽部は、1935年2月からアメリカ遠征に行き、128日間に渡りマイナーチームを中心にアメリカ各地で計109試合を行いました。

アメリカ遠征の最初の対戦相手であった、サンフランシスコ・シールズを率いていた、フランク・オドールからの提案で(大日本東京野球倶楽部はアメリカだと分かりにくいという理由から)、当時アメリカで、ヤンキース、ドジャースと共に人気球団であり、オドールの古巣でもあったニューヨーク・ジャイアンツ(現:サンフランシスコ・ジャイアンツ)から、「東京ジャイアンツ」の愛称で残りの遠征を行うこととなりました。

帰国後の翌1936年に、日本初のプロ野球リーグ「日本職業野球連盟」が結成された際に、アメリカ遠征時に使用した東京ジャイアンツを和訳した「東京巨人軍」の名称に改称しリーグに参加しました。

この時から、チーム名が「東京巨人軍」、ニックネームを「ジャイアンツ」とし、活動を続けてきましたが、戦争の影響により連盟から英語の使用が禁止され、戦後までジャイアンツの名称は使用されませんでした。

1945年の終戦後、1946年に一時休止していたプロ野球が再開し、翌1947年に読売新聞社が運営母体となり「東京読売巨人軍」へ改称、ニックネームを「読売ジャイアンツ」としました。

実は今も、"正式なチーム名"は「東京読売巨人軍」であり、ジャイアンツはニックネームとなっています。

このような経緯もあり、ジャイアンツは"巨人"と呼ばれているのですね!


※本記事は、2023年12月26日執筆時のものです

サムネイル:PIXTA

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