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"息抜き""思い出づくり"先行で学びが置き去りに…保護者と教師の負担が大きい修学旅行を放置していいのか

  • 2023.10.6

東京都港区が、2024年度から区立中学の修学旅行の行先をシンガポールにすると発表し、あらためて修学旅行のあり方に注目が集まっている。「隠れ教育費」研究室の教育行政学者・福嶋尚子さんと公立中学校事務職員・栁澤靖明さんは、費用負担や教員への負担、教育的意義をあらためて問い直し、修学旅行の可否や内容を、見直すべき時にきているのではないかという――。

東京駅の通路いっぱいに並んで座り、先生の話を聞いている修学旅行中の生徒たち
※写真はイメージです
コロナ禍が変えた修学旅行

日本で100年以上も続いてきた修学旅行が、見直しの岐路に立っている。

日本修学旅行協会の抽出調査によると、コロナ禍が到来する前の2018年度、中学校段階では94.1%が国内、4.6%は海外で修学旅行を実施している。中学校全体では98.7%の実施率だ。

行先は、京都がトップで23.1%、続いて奈良(19.6%)、東京(10.6%)、大阪(9.2%)、千葉(9.0%)、沖縄(4.6%)、広島(3.1%)となっている。歴史学習・平和学習やレジャーランドでの観光を中心とした、こうした修学旅行のあり方は一定程度定着したものだった。

しかし、2019年度末に日本を巻き込んだコロナ禍が、修学旅行にも大きな影響を与えた。

2021年度の同調査(最新)を見ると、修学旅行の実施率は78.3%(2020年度は47.8%)となっている。感染拡大の影響で落ち込んだ実施率が、まだ完全には回復していない状況といえる。

行先も、大きく変化した。京都、奈良がそれぞれ1位(7.7%)、2位(7.0%)という順位に変化はないが、そのシェアは急落している。3位が山梨(5.9%)、続いて長野(4.7%)、三重(4.4%)、北海道(3.8%)、岩手(3.3%)となっており、修学旅行の行き先が全国に分散したことがわかる。

修学旅行で重視される活動も、平和学習や芸術鑑賞などに代わって自然・環境学習やものづくり体験、スポーツなどが増えてきた。2019年度には91.0%で実施されていた班別行動は、2021年度は31.1%まで減っている。

感染拡大の下、施設等における営業形態の変更もあって、生徒たちの自主性を尊重した従来通りの修学旅行を実施することは難しくなってきているといえる。コロナ禍収束後に、従来の修学旅行に戻す意向であるのは全体の14.6%に過ぎず、63.9%はコロナ禍の変化が今後も持続するとみている。コロナ禍が、歴史ある修学旅行に及ぼした影響は大きい。

港区立中学校はシンガポールへ

そんななか、東京都港区立中学校で2024年度に実施する修学旅行の行き先をシンガポールとする――、という報道があった。全国的に修学旅行見直しの機運があるなかで、これまでにない港区の判断が報じられ、賛否の声が上がっている。

10の区立中学校3年生760人が、保護者負担金は一人当たり7万円で据え置かれたまま、3泊5日でシンガポールに行くことができるという。区で力を入れている国際教育の一環として修学旅行を位置付ける意図から、英語が公用語であり、移動について負担が少なく、治安の良いシンガポールが選ばれた。区として5億円を投じ、この構想を実現するつもりだという。

区が5億円を負担して実現

コロナ禍前の2018年度に、修学旅行で海外に行った中学校の割合は4.6%で、しかもそのほとんどが私立だったことを考えると、公立中学校で区内全校が海外へ修学旅行に行く、というのはかなり驚きである。

子どもを港区立中学校に通わせている保護者は、費用負担を増やすことなく海外へ行かせることが可能になる。しかし、保護者が負担する金額の数倍を区が負担する予定であることから、海外修学旅行が他の施策に優先すべきものなのかどうか、住民からは賛否の意見が出て当然だろう。

また、他の自治体で同様の施策を実現できるかというとそれは難しいと考えるのが一般的である。最近は、経済状況や家庭環境などによって体験機会に格差が生まれる「体験格差」にも注目が集まっているが、子どもたちの体験格差が自治体間で生じるのではないかといった否定的意見も上がっている。

そもそも、行先が国内にしろ海外にしろ、修学旅行を実施するにあたっては、その費用負担や労働負担と、教育的意義を比較した上で、後者の方が大きい場合にその実施が妥当とされる、という視点は常にもっていなければならない。

特に小中学校の場合、修学旅行参加はほぼ必須であり、実施学年を担当する教員も、修学旅行に関わる職務が自動的に発生する。経済的に厳しい家庭の子どもが修学旅行に行くため、就学援助制度を通じて公金が投入されることを鑑みると、個人が自分の意志で参加・不参加を決められるようなものでもないと思えてくる。「学校という場で行われる全員参加の教育活動」なのである。

学校徴収金だけで6万円以上

一般に修学旅行費といえば、「修学旅行積立金」などと呼ばれる学校徴収金を指すことが多いだろう。これは各家庭が共通して支払う費用であり、教職員にも保護者にも「見えやすい」費用負担である。

『隠れ教育費』(太郎次郎社エディタス)によれば、その費用は小学校で2万1600円(埼玉から日光1泊2日)、中学校では6万6200円にもなる(埼玉から京都・奈良2泊3日)。これはたとえば、交通費や宿泊代、見学料や保険料などであり、おこづかいも含まれている(同書p.140)。

徴収の方法はさまざまであるが、よく聞くのは分割払いだろうか。中学校の場合では、1年生の時から2年生にかけた割賦徴収である。積立金のゴールが6万6000円ならば6600円×10回払い――1年生と2年生でそれぞれ5回ずつ=3万3000円×2年間で徴収するのだ。

集金袋ではなく、金融機関からの自動振替が一般的といえるが、なかには授業参観の日など保護者が来校するタイミングに合わせた現金一括払いという方法を取る学校もあると聞く。

長崎平和公園の平和の泉を訪れている修学旅行中の生徒たち
※写真はイメージです
「見えにくい」学校徴収金以外の家庭負担

修学旅行にかかる費用は積立金だけでは足りない。教職員からは「見えにくい」保護者の費用負担もある。それぞれの家庭が用意するもの、いわば現物持参品である。

まず、大きめのバッグが必要だ。単身旅行に慣れている子どもは少ないだろうし、このタイミングで購入する場合が多い。旅行用の洗面用具やタオルなども同様に考えられる。また、旅行先で着用する衣類を新調することもあるだろう。着古したパジャマを持参する家庭は少ないようだ。中学校の場合は、体操着やジャージといった、学校生活でも使用している衣類を指定している場合もある。旅行先で洗濯をする行為は想定されないため、買い増しが必要になる家庭も多く、それを見越して学校が斡旋販売することもある。

修学旅行はなぜ高いのか

旅行には「募集型企画旅行」(パッケージツアー)と「受注型企画旅行」(オーダーメイドツアー)がある(旅行業法)。前者は旅行会社が目的地や日程、宿泊先などと費用を定めた旅行であり、後者は旅行者の依頼に応じてそれらを定めた旅行となる。そのため、後者の場合は、旅費のほかに旅行企画料金(旅行費用全体の10%前後)が加算される。

修学旅行は、学校が発注して旅行業者が受注する旅行であり、「受注型企画旅行」の部類になる。

単純な比較はできないが、大手旅行メーカーのウェブサイトで首都圏から京都・奈良に向かう募集型企画旅行(修学旅行と同様に2泊3日、朝夕食付)を検索してみると、4万5800円であった。前述の、『隠れ教育費』に例示されている中学校の修学旅行積立金(6万6200円)より約2万円も安い。これに現地での交通費や昼食代、拝観料や入場料などを加えたとしても、その差はなくならないだろう。しかも、修学旅行は学生団体割引が適用され、新幹線の料金は50%OFF(JR)になるが、それでも旅行代金は高くなるのだ。

単純な旅行代金(交通費や宿泊費)以外にも高額となっている理由がある。たとえば、班別行動のタクシー使用、鉄道移動も可能だが貸切バスを使用、アミューズメント的施設の利用などである。卒業記念旅行として「お祝い」色が強まることや、過度の安全対策が費用を増している。

貸切ジャンボタクシーで班ごとに各名所をまわる場合、5~7時間の貸切が多い。時間によって料金が変わり、1台4万~6万円程度の費用がかかるため、それを乗車人数で除する。ひとりあたり、6時間で8000円程度の費用が必要となる。

学校側は、タクシーを利用することで、安心して生徒たちを班別自由行動に解放できる。交通機関の乗り継ぎより、タクシー移動は安全性が高いのだ。さらに運転手がガイド役もしてくれるというお得感にひかれる学校も多くある。

貸切バスや遊園地の費用も

移動費1000円弱で済む鉄道(他利用者と共有)ではなく、3000円強をかけて貸切バス(関係者の専有)を使う場合も多い。他利用者とのトラブルや事故、事件などを回避するために後者を選択したくなる気持ちはわかるが、学習効果や費用負担を考えると再検討の余地はあるだろう。

さらに、アミューズメント施設の利用にも目を向けたい。地方からの修学旅行では、千葉県や大阪府、長崎県などの大型アミューズメント施設を利用することも多いらしい。子どもにとっては歴史的名所めぐりよりも「たのしい」と感じやすい。さらに、アミューズメント施設では、修学旅行客をターゲットにした「修学旅行料金パック」や「修学旅行限定ランチ」が生徒たちを出迎えてくれる。こうした企業努力が修学旅行を支えているとも考えられるが、そのことが修学旅行本来の目的達成を遠ざけていないか――悩む部分もある。

「先生は楽をしている」という誤解

このようにみてくると、修学旅行の引率(教員)はずいぶん楽をしている、という誤解を招いてしまうかもしれない。

実態としては、修学旅行に関わる担当教員の負担はとても大きい。「修学」旅行であるから、かなりの時間を割いて事前学習を行う必要がある。下見にも行き、晴天時だけでなく荒天時の行動案も考える。あらゆる事故を防ぐために万全の対策をとり、不測の事態には学校に残っている教職員とどのように連絡を取り適切な判断をするかというシミュレーションまで行う。

修学旅行の引率にあたっては、規定の特殊業務手当が後日支給されるが、その額は1日あたり5100円(千葉県・埼玉県の場合)となっている。修学旅行引率時は、通常と異なる環境で、浮足立つ生徒らのトラブル回避やアレルギー対策など、安全管理に24時間体制で取り組んでいるにもかかわらず、この5100円を超える特別な手当はない。

X(旧・Twitter)上では、「夜も眠れず対応する教員が手当どころか自腹を切らされる」という恨み節も渦巻く。

交通費や宿泊費については基本的に支給されるが、訪問先の入場料は旅費支給の対象外となることもある(免除の場合もある)。また、生徒らと共に食べる昼食代は、自己負担のこともある。入場しても、教職員自身は展示やアトラクションを楽しむわけではなく、生徒の様子をひたすら見守るだけだ。自分が食べたいものを選べるわけではなく、割高な食事をかきこむように食べる。そのため、入場料や昼食代への不満は多い。

このように、修学旅行は保護者にも学校にもかなりの負担を強いながら維持されてきている。特に、教職員の労働負担・経済的負担は見えにくいが甚大だ。コロナ禍で修学旅行の実施率が急降下する以前から、「それでも修学旅行に行くべきか」という議論が提起されてきたのは、こうした理由が大きい。

130年以上の歴史を持つ「修学旅行」

「修学旅行」という名称の始まりは、1886年までさかのぼる。東京高等師範学校の教頭を務めていた高嶺秀夫が初めてその名をつけたと言われている。高嶺は、軍事教育の一環として行われ始めていた「行軍」という教育活動に疑義を唱え、史跡や地形、植物・鉱物の学習など「学術研究」の側面も加えた「修学旅行」を提起し実践した。

高嶺の実践が教え子である教員たちを通じて広がっていき、19世紀後半の修学旅行は「学術研究」としての側面ももつものだった。具体的には、寺社・博覧会・建築物・工場・学校などの訪問先で、教師が主導して教科横断的に学習する機会が多く設けられていたのである。

戦後の社会復興とともに急速に復活・普及した修学旅行であるが、準備や運営にかかる教員の労働負担は非常に重いものだった。そこに商機を見いだした斡旋業者が現れ、修学旅行の性格は大きく変わっていく。入念な準備に基づいて教師の専門性を発揮するような学術研究としての側面は大きく後退したのである。

こうした歴史の中で、娯楽に傾きすぎたために「教育的意義が薄い」として修学旅行を取りやめる判断をしたり、参加を自由にしたりするところもあったことは興味深い。翻ってレジャーやアミューズメントに比重を置いた現代の修学旅行をみると、本当にその「教育的意義」はあるといえるだろうか。

「息抜き」や「思い出づくり」でいいのか

現在、中学校学習指導要領上では、修学旅行は特別活動の一環の「学校行事」の中、「旅行・集団宿泊的行事」として登場する。「平素と異なる生活環境にあって,見聞を広め,自然や文化などに親しむとともに,よりよい人間関係を築くなどの集団生活の在り方や公衆道徳などについての体験を積むことができるようにすること」がその目的である。

学習指導要領解説の表現では、長い修学旅行の歴史の中にみられた「学術研究」的側面は控えめで、「人間的な触れ合い」や「楽しい思い出をつくる」「集団生活の在り方」「よりよい人間関係」などの言葉がみられる。子どもたち自身や過去に修学旅行を経験したひとびとも、「修学」ではなく、息抜きや思い出づくりの場として修学旅行を捉えてはいないだろうか。

学習指導要領解説は、重ねて、「単なる物見遊山に終わることのない有意義な旅行・集団宿泊的行事を計画・実施するよう十分に留意」と述べている。学校や家庭、そして子どもたち自身が負担を負いながら行われている修学旅行であるからこそ、その負担に見合った教育的意義が追求される必要がある。そして、教育的意義がもはや見当たらないのであれば、大胆な見直しも必要だろう。

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