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135:いつもと変わらない

  • 2016.1.8
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雨が少ない冬。それでも空は鈍色に沈んでいる。「町の肺が詰まりそう」、と年の瀬にはイタリア各地で交通規制が敷かれた。
イタリア半島の最北端での用件を済ませ、規制と規制の合間を見計らって移動する。どうしても車でないとたどり着けない場所がある。年末年始には電車の移動は不適切で、この数ヶ月はテロ警戒や愉快犯の愚行が続き、シャックリを繰り返すような運行状況だ。
ヴェネツィアを背後に走る。干潟の沖合から湿った風が流れ込み、早朝から大陸には濃霧が広がっている。路面が霧に濡れて黒々と光り、いかにも寒々しい眺めだ。
行けども行けども霧は晴れず、とうとう視界は数十メートルに落ち、夜の帳が下りるとフロントガラスの中に見えるのは前を行く車のテイルランプだけとなった。白い幕が下りたような景色の中にぼんやりと浮かびあがる赤い二つの灯を追いながら、アクセルから足を離さず、踏み込まず。霧に驚いて、飛ばしても落としてもならない。
四時間半走ってミラノ、少々の休憩を挟んで、再び前へ。高速道路が閉鎖されないうちに走り抜けなければ。

新年明けましておめでとうございます。

着いたフランスでは恒例の大晦日の花火はなく、見回りの警官の姿は極端に少ない。私服の警備が徹底しているのを目の当たりにして、神妙な年明けである。
零下のミラノからピエモンテの深い山々を抜け、リグリアの出入りの多い海岸線の延長にあるイタリアとの国境であるこの一帯には、どの時代も異種が上陸し通過していった。異なるものが連れてくるのは不都合なものばかりとは限らず、生活慣習を改善するような物だったり情報だったりした。地盤を強固に守り貫いたほうががいいのか、流れるままに任せ緩くやり過ごすほうがいいのか、歴史だけが知っている。
町を行く人の会話の大半が、イタリア語である。
かつてはイタリアの領土だったこの土地が弱っている今、もともとの住民の末裔たちが舞い戻り活力を入れて応援するようにも見えるし、これを機に力関係が逆転したようにも見える。
そして、海も山も変わらない。

元日の浜辺を散歩していると次々に車が停まり、荷台から大きな買い物袋や折りたたみ式のテーブル、椅子を運び出す人たちがいる。質素な身づくろいで、どの人も心から打ち解けた様子で談笑している。七、八卓の折りたたみ式のテーブルを横一列に並べて真っ白のクロスを広げると、大テーブルが砂浜の上にできあがった。
座りたての赤ん坊が、砂浜に置かれて遊んでいる。若い母親二人は、離乳食をスプーンで混ぜている。
男たちはワインの大瓶を箱から出し、老いた女たちは手作りなのだろう、料理が詰まったプラスチックの容器をそのまま卓上に並べ始めている。
フランス語なのか、異国語なのか。混ざっては戻り、また遠くへと行く言葉。
テーブルのすぐ近くまで打ち寄せる波のようだ。

背後には野生の小花が壁一面に這い登り、満開である。
この浜からひと湾向こうには、別の国がある。沖合遠くには、別の国の島影が見えている。
辿り着いて、また発って。
境も溝も、あるようでない。

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