1. トップ
  2. ライフスタイル
  3. 市原隼人さん、人のせいにしていた20代 「明日を壊すのも作るのも自分次第」

市原隼人さん、人のせいにしていた20代 「明日を壊すのも作るのも自分次第」

  • 2023.10.4

10月9日からtvkほかで順次放送されるドラマ「おいしい給食 season3」に出演する俳優の市原隼人さん(36)。2008年のドラマ「ROOKIES-ルーキーズ-」に代表される「硬派」というイメージがありますが、「自分は甘えたところがあるんです」と、自身の弱い一面も吐露してくれました。そんな市原さんに、自身の20代や今の仕事への思い、「一歩踏み出すために大切なこと」などについてうかがいました。

体を鍛えることが精神的な支えに

――「おいしい給食」で演じた甘利田先生は、給食のために学校に行っていると言っていいほどのマニアでしたが、市原さんにとって給食はどんな時間でしたか。

市原隼人さん(以下、市原): 僕も給食の時間は大好きでした。学生の頃って、足の速い人がかっこいいと言われたりしていたじゃないですか。僕は給食を早く食べることがかっこいいと思っていたので、だれよりも早く食べて一番におかわりをして、牛乳じゃんけんがあれば率先して手を挙げる。そういうことに必死でしたね(笑)。

給食を食べる時、机を合わせて班になるじゃないですか。ちょうどその時に好きな女の子と目が合うので、その子が見える場所を譲ってもらって、それが密(ひそ)かな楽しみでした。今振り返ってみると、給食は「義務」から外れて、子ども自身が精一杯学校を謳歌(おうか)できる場所と時間だったんだなと思います。

――市原さんも、ご自身で魚をさばくなどお料理している様子をInstagramに投稿されていて、「食」への興味関心が人一倍あるとお見受けしました。

市原: 食べることが大好きだし、自分で作るのも好きなんです。マイ包丁は10本以上持っていますし、ステーキだったら800gは食べます。今回のロケで行った函館の現場の近くに寿司屋があって行ってみたのですが、そこで食べた寿司が人生で1番と感じたくらい美味しかったです。体を絞らなければいけない時以外は、量を気にせず、食べたいものを我慢しないようにしています。

朝日新聞telling,(テリング)

――「食」を楽しみつつも、引き締まった体をキープされていますよね。

市原: 僕は基本的に甘えたところがあるので、自分を律していかないと、どんどんだらしのない人間になってしまうかもしれないという不安が今でもあるんです。20代前半の頃は、そんな不安から眠れなかったり、涙が止まらなかったりすることが多かったので、トレーニングをすることで体もメンタル面も鍛えようと思いました。トレーニングが芝居に繋がっていくこともありますし、今では精神的な支えになっています。

――「自分を変えなきゃ」と本格的にトレーニングを始めたきっかけになった出来事があったのですか?

市原: トレーニング自体は昔からやっていたのですが、しっかり始めたのは本当にここ最近なんです。今回の「おいしい給食」もそうですが、撮影で使うエネルギーが今の自分のキャパを越えてしまったんです。やっぱり体力が資本の仕事ですし、しっかりと物作りができて、もっと感情をさらけ出すことができる体力を持っておかないと、見ていただく方々に対して失礼だと感じたんです。今後も役者をやり続けるためには必要不可欠なものだと思います。

迷いが生じたらいつでも原点に戻る

――telling,読者の中には、年齢を重ねることについて不安や焦りを感じる方もいるのですが、そうした女性の不安について、どう思われますか?

市原: 僕と一緒ですね。僕も毎日焦っていますし、不安です。特に若い頃は、頑張るポイントが分からなかったので、「自分の存在意義は何なんだろう」ということが整理できていなかった。それがだんだん年を重ねていくことで、色々なことが明確になってきて、努力するポイントを自分で探し出せるようになり、自分なりの秩序ができてきたんです。

一つ一つの物事が何のためにあって、だれのために何をするべきなのか、というのは正解がないですよね。その答えを追いかければ追いかけるほど迷子になってしまう。そういう時に物事の根源を見つめることができると、自分のバイタリティーやポテンシャルも変わっていくと思います。僕の場合は「お客さまのため」ということが一番なので、迷いが生じたらいつでもその原点を振り返るようにしています。

――迷子になってしまった時は、もう1度「自分は今の仕事を何のためにやっているのか」を、思い返すことが大切なんですね。

市原: あとは「仕事をする」ことも仕事ですが、「自分の仕事を見せる」のも仕事だと思っています。自分が何に向かってこの仕事をしているのかを人に伝えていかないと、それを評価してもらえないこともありますよね。僕も芝居をしながら、監督に「今はこういう思いでこの動きをしていました」「こういうお客様に向けて、今の芝居を構成しています」と常に自分の気持ちを伝えています。

あとは、「ありがとうございました」で終わるのか「ありがとうございます。次からはこうします」と挨拶の次の言葉が出るかどうかは、人との関係性やこの先の自分が変わってくる境目でもあると思っています。

朝日新聞telling,(テリング)

人に頼らず、いい環境は自分で作る

――20代のころはどんなスタンスでお仕事をされていましたか。

市原: 自分の20代は恥だらけです。たくさん挑戦して失敗をして、恥をかいて。心が折れることばかりで、悔しい思いもたくさんしてきました。そうやって悩み、模索しながら自分のスタンスや形というものを探っていたように思います。

30代になってやっと周りが見えてくると、自分が本当にやるべきことが分かるようになってきたんです。30代は一番体力がある時期だと思うので、今は寝ないで仕事しようかなと思っているんですけど(笑)、そのお釣りが50代や60代に来れば嬉しいなと思いながら、 今はとにかく目の前のことを一生懸命にと思っています。

――年齢や経験を重ねたことで、仕事に対しての心境の変化はありましたか?

市原: 明日を壊すのも作るのも、自分次第なんです。僕は若い頃、「いい仕事が来ればいいな」「いい環境で、いい人たちと出会えたらいいな」という恥ずかしい考え方をしていました。でもそれは間違っていたんです。いい仕事がしたいなら、人に頼らず自分でいい人間関係を築いて、いい環境を作るべきであって、全て自分次第だった。うまくいかないことを人のせいにしていたと、30代前半で気づきました。

それからは、自分がいることで周囲も向上していくような、だれかのプラスになる人間になりたいと思うようになったんです。「あいつがいてくれたら助かるな、あいつがいてくれなきゃ困るな」と思ってもらえるように、自分の存在意義を精一杯探して、表に出すことを意識しています。それは決して人に押し付けるものではなく、背中で見せることが大切なので、そこを間違ってはいけないと常に心にとめています。

――自分のしていることが周りにとって少しでもプラスになったら、自己肯定感も上がりますね。

市原: あとはやっぱり愛情が大切ですよね。どんな仕事でも人と人が作って、繋がっていくものですから。「おいしい給食」はまさにそのことを感じさせてくれた作品です。5年前にドラマがスタートして、劇場版、そして今回のseason3まで来ることができたのは、この作品を愛してくださったみなさまの賜物ですので、少しでも恩返しできるよう、自分もいつも愛情を持って仕事をしていきたいと思います。

朝日新聞telling,(テリング)

「全ては一歩から」という気持ちで

――telling,読者の中には「やりたいことがあっても一歩踏み出せない」という人もいるのですが、何かアドバイスを頂けますか。

市原: 先日、13年ぶりに富士山を登ったんです。普段登山をしないので、辛くて途中で「もう山頂にはたどり着かないかもしれない」と思ったのですが、歩みを止めなければ、必ず目的地に到着する。どんなに苦しくても、一歩一歩前に進んでいけば必ず自分の目標を達成できる、諦めなければ必ず目標にたどり着くんだということを改めて学びました。それは全てに通じることだと思うんです。望む場所、願うところに行くまで1週間かかるのか、1年なのか、もしかしたら10年かかるかもしれないけど、「全ては一歩から」という気持ちを持ち続けることが大事だと思います。

――もう「新人」とはいえない年齢になってくると、今から新しいことを始めたり、そこで失敗したりするのが怖いと思って躊躇(ちゅうちょ)してしまう人も多いかもしれません。

市原: 年齢を重ねていくと、自分なりのものがだんだん構築されてくるので、今までやってきたものを崩すのは怖いですよね。きっと、50代、60代になっても初めてのことはたくさんあると思うんです。最初はできなくて当たり前で、そこで諦めるかやってみるかの違いだけなんですよ。それがどんなに滑稽で人から笑われても、本気で生きないと後悔します。一生懸命人生に向かっていれば、本気で笑って泣けて、悔しがれる。それに、美味しいご飯も食べられますから(笑)。

■根津香菜子のプロフィール
ライター。雑誌編集部のアシスタントや新聞記事の編集・執筆を経て、フリーランスに。学生時代、入院中に読んだインタビュー記事に胸が震え、ライターを志す。幼いころから美味しそうな食べものの本を読んでは「これはどんな味がするんだろう?」と想像するのが好き。

■家老芳美のプロフィール
カメラマン。1981年新潟生まれ。大学で社会学を学んだのち、写真の道へ。出版社の写真部勤務を経て2009年からフリーランス活動開始。

元記事で読む
の記事をもっとみる