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小林ひろ美さん&君島十和子さんの肌遍歴トーク。肌落ち人生から再生を遂げるまでの道のりを対談

  • 2023.9.29

惚れ惚れするような美肌のおふたりですが、肌が落ち込んだり、勘違いケアをしたりという経験もたくさん。そこから導かれたキレイのヒントや美容へのモチベがぎっしり詰まった肌遍歴トーク、めいっぱい楽しんで。

小林ひろ美 君島十和子 エイジングケア
出典元:MAQUIA ONLINE
肌は“自分らしさ”そのもの

小林ひろ美×君島十和子今伝えたい「エイジングケア道」

小林ひろ美さん&君島十和子さんの肌遍歴トーク。肌落ち人生から再生を遂げるまでの道のりを対談_2
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美・ファイン研究所主宰。リバイタライズサロン「クリーム」ディレクター。独自のメソッドやコスメを活かす工夫で、多くのファンが。「肌を褒められるようになったのはアラフォーから。10代、20代の“やんちゃ美容”があったからこそ今がある(笑)」

小林ひろ美さん&君島十和子さんの肌遍歴トーク。肌落ち人生から再生を遂げるまでの道のりを対談_3
出典元:MAQUIA ONLINE

FTCクリエイティブディレクター。年齢を感じさせない美肌で人気沸騰中。近著『アラ還十和子』(講談社)も大ヒット。「危険なまでの日焼け肌。遠回りしたけれど“美容の知識”が美肌への扉を開いてくれました」

20代での肌落ち人生から再生を遂げた「私たちの美肌遍歴」

“肌が荒れていた時代は人前に出るのも嫌でした”━━ by Towako
真っ黒だった20代前半。そのツケが後から噴出

君島さん(以下十)私の仕事人生は、肌にとって過酷なものからスタートしているんですよ。航空会社のリゾートキャンペーンのモデルに起用していただいたので、19歳から21歳まで、日焼けすることが仕事の一部で。当時は日焼けが肌に悪いという知識が一般的でなく、私も何の疑問も持たず真っ黒に焼きました。
小林さん(以下ひ)私もやんちゃしていましたね。当時の美のアイコンといえば日焼け肌が格好いいファラ・フォーセットでしたもの。日焼け止めではなくキレイに焼くためのオイルの一番ダークなものを全身に塗りまくっていました(笑)。
化粧品会社のコマーシャルも、夏は日焼けオイル、ファンデは焦げ茶色の時代でしたね。キャンペーンが終わってモデルの仕事に戻ったら、秋冬のお洋服が似合わなくて仕事が激減する死活問題に(笑)。
そういう時代でしたよね。私も13歳でサーフチームに入った筋金入りのサーファー・ガールでした。“まんべんなく焼ける”と人気だった銀色シートを砂浜に敷いて、全身真っ黒に日焼けしたり(笑)。母から教わった美肌の価値観の真逆を突き進み、フロリダやブラジルでも生活。13歳から32歳まで、19年間焼きまくりました。
焼いてしまうと、その後が本当に大変ですよね。私は肌のくすみがなかなか抜けず、撮影に行くと肌が荒れていることを怒られて。芸能界のお仕事をしながらも人前に出るのが嫌になり、肌も気持ちも立て直すのに3年かかりました。
私が最初に肌落ちを実感したのは27歳の時。シミができ、ほうれい線にファンデが溜まるようになって、自己流でケアするように。その時は若いから改善したんですが、調子にのってまた日焼けを繰り返したの。転機が訪れたのは、32歳の時。子供の運動会のビデオを観ていたら、応援している私の頬にバーンとシミが! “点”ではなく“面”の大きなもので、さすがに大反省。

キレイになりたいとアラサーで迷走&暴走

そのくらいの年齢から、ケアの試行錯誤が始まるんですよね。私はUVカットを徹底しつつ、美白の美容液を4〜5つも重ね付け(笑)。闇雲に重ねても意味がないと気づいたのはだいぶ後のことなのだけれど。
すでに美肌オタクだったのですね。私は、それまでのツケを見直し始めたタイミングで出会った、透き通るような肌のスウェーデンのミス・ユニバースのアドバイスで目から鱗が。“美しい肌のためには体の中から巡りをよくしないとダメ”と言われて、なるほど!と。ケア人生が変わりましたね。あとは、母から教わった美容の基本が助けてくれました。
ひろ美さんにとってのお母様のような存在が、私の場合は皮膚科医でもあった主人でした。ただ、当時の皮膚科的な視点と私たちが求める美容的な美肌はちょっと違っていて、たとえば“くすみ”などは、医学的には疾病ではないので重要視されなかったり。美容的な美肌のための知識は、自分自身で探す必要がありました。

自分の肌質や性格を知ることが美肌の近道に

しかも、30代はいろんな迷いが生じますよね。私は一時期、“ケアの過激派時代”が訪れました(笑)。アメリカの顔が痛くなるほどのビタミンAコスメにハマってみたり。
あの頃は、必死だけれど無知だったんですよね。ファンデで肌をキレイに見せようとしていたから、友人の結婚式の写真を見ると、花嫁よりも白くて宇宙人みたいだった(笑)。
そうやって試行錯誤する中で、だんだん自分の肌や性格がわかってきたのが40代。厳選してシンプルなスキンケアに徹したり、コスメを生活動線に置いてすぐ手にとれるようにしたり。ようやく肌が褒められるようになったのはそれ以降です。
子育てや仕事が忙しいと、効率を考えざるをえないですもんね。私も急がば回れでインナーケアを始め、手応えを感じたのが40代。試行錯誤した自分の経験から、失敗しても、美肌は努力で、いつからでも取り戻せると断言できます!

“やらかしてしまった肌もケアで必ず回復します”━━ by Hiromi

共通点は日焼け時代&母娘美容!
肌に歴史あり。無謀な日焼けや

過激ケアを経て、自分のケアを模索

小林さん&君島さんの肌歴史-1
出典元:MAQUIA ONLINE

1撮影前日は、ホテルの屋上を貸し切りにして全裸で焼いていた、キャンギャル時代の十和子さん。2化粧品の成分や美容の知識を探求していた30代。

小林さん&君島さんの肌歴史-2
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3日焼けを続けていた32歳の頃。小麦肌なので目立たないけれど、すでにシミやくすみの予備軍が。4留学中、22歳の時のひろ美さん。

最高のお手本&情報源は、母や娘たち!
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最高のお手本&情報源は、母や娘たち。基本を大切にしつつ、知識を深めて美しく(右)長女の憂樹さん、次女との3人はいわば“美肌戦隊”。それぞれが収集した美容情報を披露しあい、時には厳しくチェックしあって美をアップデートしているそう。(左)ひろ美さんのお母様は、言わずと知れた美容研究家の小林照子さん。88歳の現在もご覧の通りの美しさで、ひろ美さんのキレイのお手本に。

MAQUIA 11月号
撮影/笹口悦民〈SIGNO〉 ヘア&メイク/広瀬あつこ(小林さん分) 黒田啓蔵〈Iris〉(君島さん分) スタイリスト/程野祐子(小林さん分) 後藤仁子(君島さん分) 構成・文/高見沢里子 企画/髙橋美智子(MAQUIA)

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