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江ノ電沿線、歩いてみました【腰越〜鎌倉高校前①】 by THE SHONAN MAG

  • 2016.1.6
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<THE SHONAN MAGより提供> 湘南を語るうえで外せない歴史は、鎌倉を拠点に源頼朝が幕府を創建した鎌倉時代。 鎌倉市はもちろん、湘南ではその深い歴史を垣間みることができる関連スポットがいたるところにあります。 今回は、江ノ電沿線「腰越駅」から海岸沿いに出る「鎌倉高校前」までをお散歩するコースをご紹介します。 およそ1000年の時を超えて鎌倉時代の情景が広がる、静かなひとときを堪能しましょう。

横切る江ノ電を見送り石段をのぼる

腰越駅から海へ向かう途中、ふと曲がり角をのぞくと線路が横切るその奥に石段が続いています。吸い寄せられて進んでいくと、カンカンカンと踏切が降りて江ノ電が通り過ぎていきました。住宅に挟まれた細い道から突然ニョキっと現れ、すぐ目の前を通り過ぎてまた住宅街へと消えていく姿は、辺りの静かな空間とちぐはぐな迫力でドキドキします。

通り過ぎる江ノ電のおしりを見送り、石段をのぼります。

視界がひらけて、お堂が見えました。ここは、744年に名僧で名高い行基によって開かれた真言宗のお寺「満福寺(まんぷくじ)」です。

義経・弁慶ゆかりの地で悲劇の物語を想う

また、満福寺は義経・弁慶ゆかりのお寺でもあります。

平家の軍を破りヒーローとなって鎌倉へと戻ってきた義経ですが、朝廷と関わりすぎたため、武士政権樹立を考える兄・頼朝と政治方針が合わず、怒りにふれて鎌倉入りすることが許されませんでした。

そこで義経が頼朝と和解するために嘆願文を書いたのが、鎌倉の「西の出入口」で宿駅として栄えていたこの腰越・満福寺だったのです。

その嘆願文こそ、義経悲劇の物語と切っても切れない「腰越状」。

境内には弁慶にまつわる様々なものが残されています。

およそ1000年前の弁慶の姿が、腰掛石や手玉石を介して現世とリンクしています。

弁慶が筆を取る際に水を汲んだと言われる「硯(すずり)の池」もありました。

ぼんやり当時を想い、この池で水を汲む弁慶の姿を想像してみます。その時、義経はどんな気持ちでいたのでしょう。

境内には、慈悲観音様や居眠り一休さんとねずみの姿も。

自然の岩の中に現れる稲荷神社は、とても神聖な空気を放っています。

満福寺の境内にはある面白い言い伝えがあります。

「腰越状を草案するとき弁慶が墨をすっていると、草むらでこおろぎがしきりと鳴いていた。そこで弁慶がやめろと叫ぶと、こおろぎはぴたりと鳴きやみ、境内は静かになったという。いまでもこの境内では、こおろぎが鳴かないと伝えられる。」

こおろぎをも黙らせる弁慶。こおろぎが静寂を呼び起こし、そこに弁慶の姿が浮かび上がるように感じられます。

笛の名手であった義経にちなんで、珍しい「笛供養」の碑がありました。

また満福寺は弘法大師ゆかりの霊場のひとつで、21カ所あるうち「15番目」の地。

境内の奥には像が祀られていて、様々な歴史の重なりを感じます。

本堂に残された貴重な品の数々

寺務所ではネコがのんびりお昼寝しています。近づいてもちっとも起きないほどぐっすりです。

本堂の中では義経の生涯を描いた迫力ある32面の「襖絵」を見ることが出来ます。

これは鎌倉の伝統工芸である「鎌倉彫」を取り入れた漆画で描かれていて圧巻です。

また、弁慶の筆跡とされる「腰越状の下書き」も展示されていて、義経悲劇の物語をゆかりの地でリアルに味わうことのできる満福寺なのでした。

今回のお散歩はいかがでしたか?

時代を超えてリンクする空間を彷徨いながら、時に通り過ぎる江ノ電の音で現代に呼び戻される、そんなひとときを楽しみました。

何気ない路地の先に、教科書の中だけのものだった世界が突然輪郭をともなって現れる―湘南には海や自然、街だけじゃない、そんなスポットがまだまだたくさんありそうです。

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