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ティモンディ前田裕太「私もあざとくなりたい」【僕のあまのじゃく#101】

  • 2023.9.24

僕のあまのじゃく#101

ティモンディ前田裕太さんの人気コラム【前田裕太の乙女心、受け止めます!】がリニューアル。

◁◁

ガラリと雰囲気を変えて、毎週変わるお題に沿って、前田さんに自由に言葉を紡いていただくフリースタイルエッセイ【僕のあまのじゃく】をお楽しみください♡

前田裕太(まえだ・ゆうた)
PROFILE:1992年8月25日、神奈川出身。グレープカンパニー所属のお笑い芸人ティモンディのツッコミ、ネタ作り担当。愛媛県の済美高校野球部に所属した同級生・高岸宏行が相方で、2015年1月に結成。2人の野球経験を活かした『ティモンディベースボールTV』の登録者数は23万超え。ar web連載『僕のあまのじゃく』では、フリースタイルエッセイを毎週お届け中。

テーマ:あざとい

私は仕事を一緒にする人で、とても嫌いな人間がいた。
その人はすこぶるあざとい。
あざとくて、したたかで、打算的。
ずる賢い人間があまり好きではない性格なもので、なかなかその人を受け入れることができなかった。

その人と一緒に仕事をするたびに、私達と仕事をしているというよりも、私達でお金を稼ぐというのが透けて見えるのだ。
もちろん、仕事をするのにお金は大切だ。
けれど、私の中ではお金なんかよりも仕事を一緒にする相手の方が大事で、対価なんて二の次、三の次。
その人の姿勢が苦手だった。

常に、その場で一番偉い人間を見抜き、胡麻を擦る。
「あにき、すごいっすねぇ」だなんて多方面に露骨なよいしょをしている姿を見るたびに、虫唾が走った。
明らかに偉い人の機嫌を取りにいっているあざとさが見える。
処世術は大切だけれど、人との繋がりの方が大切ではないか。
人に上も下もない。
その人が反対に、誰かのことを粗雑な扱いをしていたり、粗暴な言動をしているところを見るたびに「嫌い。滅、滅」と頭の中で唱えていた。
全員にそのスタンスであるならば構わないけれど、明確に、権力を持った人に対して向けられるごますりは滅である。

何故、ここまで負の感情を抱いてしまったのだろうか。
きっと私は、差別はよくない、人間みな等しく平等だと思っていて「地位や金銭のある人間」に対して態度を変える人間に見えるから、そう思ってしまったのだろう。
誰だって生まれて死ぬのは変わらない訳で、たかが100年くらいの人生で人としての価値に差なんて出ないよ、と思うのだ。
だから、ごまをすり、媚びへつらう姿を侮蔑の目で見てしまっていた。
社会人とは、そういうものなのだろうか。
こんな露骨なあざとさがなければ、出世できないものなのだろうか。
だとしたら、社会人になんてなってやるものか、と社会不適合者まっしぐらの思考になっていった。

けれど、私自身が矛盾していた。

人も仕事も皆等しく平等だと思っているのだとしたら「人によって態度を変えない人」も「人によって態度を変えない人」も等しく同じに扱うべきだ。
平等、だなんてたいそうな思想を掲げているのであれば、思想が自分と違うからといって、嫌悪感を覚えることがそもそも違う。
「私、何かを嫌いって言う人嫌い!」と言っているようなもので、お前もその信条に触れるような心の動きをしていると叱咤されるべきことを思っていたのだ。

加えて、誰が何のために仕事をしようが、その人が私に咎められる謂われはない。

何を偉そうに、人の仕事へのスタンスに嫌悪感を感じていたのだろうか。
傲慢甚だしい。
私自身の哲学のように考えていた思想は矛盾を孕んでいて一貫性がなかった。

では、あざとい、あの私の嫌いだった人はどうだろうか。
どんな現場でも、したたかな姿勢を貫いていた。
如何なる場所でもそのスタンスを崩さない姿を思いかえすと、私よりもよっぽど一貫性があって、そこに矛盾はない。
結局、自分はしたくないこと、出来ないことを平然としているから、嫌悪感を覚えていただけなのだ。

私という人間はなんて情けない人間なのだろうか。
そもそも、人間あざとい方がいいではないか。
人って特別な対応をされた方が喜ぶ割合の方が多い訳で、あざとかったとしても好意を向けられたら嫌だと思う人は限りなく少ないだろう。
こんな分かり切ったことでも、することができない私は本当に生きるのが下手だなあと思う。

嫌悪していたけれど、今の私に必要なのは、あざとさなのかもしれない。

ー完ー

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