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社会学者・上野千鶴子さん「キャリアも結婚も子育ても、は欲張りじゃない」

  • 2023.9.20

「世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひとたちがいます――」。東京大学の入学式でのそんな祝辞が話題を呼んだ、社会学者・上野千鶴子さん。女性学の先駆者として、弱者に寄り添う視点を持ち続け、研究や活動を行ってきました。男性主流だった研究者の世界で道を切り開いてきた上野さんに、その道のりについて伺いました。

「そもそも女性学って学問ですか?」

――ジェンダー研究の先駆者である上野さん。男性主流の研究の世界での向かい風は相当きつかったのではないでしょうか。

上野千鶴子さん(以下、上野): 学問の言葉は「男性語」です。それを習得しないと学者の世界では生きられません。自然言語ではないので、学者の世界に入ったら外国語を習得しなきゃいけないようなものです。それを習得してうまく操れるようにならないと、学問ができるとみなされません。

そこに女性学を持ち込むと、「これは主観的で学問じゃない。個人的な恨みつらみでしょ」と何度も言われました。研究の動機を書いたらなおさらです。女性学の講座を組むときにも、「そもそも女性学って学問ですか」と教授会で面と向かって言われました。

――それに対して上野さんはどういう反論をされたのですか。

上野: 当時の大学はちょうど総合講座ブームだったので、「女性と人権」など複数の教員による講座を設定しました。その担当は全て非常勤の教員でした。「こういう講座を全員、非常勤でそろえなければならないことが、女性学が必要な理由です」と申しました。すると男性陣は黙りました。発言は否定的でしたが、それでも通しました。

――教員として就職される際もご苦労されたと伺いました。

上野: 私たちの世代の女子大学生は何しろ就職できませんでした。まして結婚していたら「君は結婚しているから働く必要がないね」と言われる。当時は、今のように公募はなく、指導教員が就職先を斡旋(あっせん)する時代。大学には学閥もある。私はシングルでしたので、教授の前をできるだけうろちょろするという戦略をとりました。「目障りでしょ。私を早く追い出したいでしょ」って(笑)。

それでも、同期の男たちがどんどん売れていく中、私は就職口がありません。「私と同じ程度に無能な男が就職していくのになんで私は就職できないの? 私が女だから?」とやっと気がつきました。ちょっと遅かったですね(笑)。公募に23回応募して、23通目にやっと引っかかったのが女子短大の専任講師でした。30歳の時です。

――研究者として一歩進んだと実感されたのはいつですか?

上野: 1993年4月、東京大学文学部助教授に就任したときです。初めて「ジェンダーとジェネレーション」という分野で東大に呼んでいただいたのです。ついに女性学の看板を堂々と掲げることができる。それまでどの分野でも、パイオニアは社会学や文学研究の看板を掲げて中身が女性学、というように雌伏(しふく)してきましたから、女性学がアカデミアの一つの分野として市民権を得たことはやはり大きかったです。

――一方で、女性であることが追い風になったご経験はありますか。

上野: 33歳の時、国際文化会館が主催の「新渡戸フェローシップ」という奨学金で初めて海外に出ました。これは、現役の社会科学分野の研究者を対象にした2年間の海外研修です。採用枠は年に8人ですが、当時選ばれるのは男ばかり。するとアメリカ側が、「なぜ日本は男しか送ってこないのだ」と言ってきたそうです。そこで、私の採用年度に、初めて8人のうち2人が女性になりました。そのうちの1人が私です。30歳を過ぎてからアメリカに出していただいたことは、その後の人生や研究を大きく変えましたね。

――どのような点で大きく変わりましたか?

上野: 語学力がつきました。当時、読み書きはできましたが、話す、聞くができなかったんです。フェローシップの採用面接を担当したネイティブスピーカーから、語学力にクレームがつくほどに。ところが、日本の面接官たちが、「あの人ならきっとすぐにうまくなるだろう」と。事実、その通りになりましたね。留学を経て、海外の研究者と普通にコミュニケーションが取れるようになったので、海外に人脈ができ、海外の情報も入ってきやすくなった点で、私の大きな武器になりました。それだけでなく日本で自分がやっていることが決して劣っているわけではない、と自信がつきました。

2019年7月19日、恵原弘太郎撮影(写真1枚目も)

全力で働いて、遊んで、0時から論文執筆

――telling,世代の頃の上野さんは、随分お忙しかったのではないでしょうか。

上野: 「週に9日働いてる」って言っていました(笑)。コマ数の多い私立大学の教員をやり、週末はほぼ講演。本も山のように書きました。調査や研究、フィールドワークにも出かけました。私みたいなことをやっていると周りから揚げ足を取られがちです。だから、お給料をもらう分は、手抜きをしないで、どこからも後ろ指を指されないようにきっちり働く。それに加えて遊びもしました(笑)。

でもね、子どもを育てた人に比べれば、圧倒的に楽ですよ。ある時、子どもを産んだ同僚の女性研究者からこんなふうに言われました。「上野さんは子どもさんがいないんですから、たくさん仕事をしてくださいね」って。あれはいじわるだったのかもしれませんけど(笑)。子どもを育てながら仕事をしてきた人に大きな顔はできませんが、やっぱり時間がなかったですね。昔は飲んで遊んで帰って、0時から論文が書けたんですが、今はもう無理です(笑)。

――パワーがみなぎっていらしたんですね。

上野: 結果的にそのようにやってきましたね。いろんなオファーをいただきましたが、私にはそんなに組織の後ろ盾がなかったので、一度しくじったら後がありません。なので、オファーは基本全部お引き受けして、全てに手を抜かないようにやってきたというだけです。

女性管理職を生ませない男社会

――「キャリアを重ねたくない」「管理職になりたくない」という女性も少なくないと言われます。その現状についてどう思われますか

上野: その理由はたくさんありますが、まず、魅力的な管理職のロールモデルがいないこと。これはすごく大きい要因です。会社でもどこの組織でも、そこに20年ぐらいいる人を観察してください。「この人のようになりたい」と思える人はいますか? いなければ、その組織は辞めたほうがいいです。

二つめは長時間労働。「女性が昇進するときの最大の壁は管理職の長時間労働だ」というのは、各種の調査結果で明らかにされています。管理職が定時退社できるようになればなりたがる人も増えるでしょう。実際にそういう実験をしている企業もあります。長時間労働で責任と負担が重いのに報酬は大したことがなければ、誰もなりたくありませんよ。

男が管理職に求めるのは賃金じゃなくて、ホモソーシャルコミュニティーの中のステータスなんです。同期の顔色を見ながら、「あいつはそこまでいった、俺はここまでだ」というパワーゲームの中の位置取りが彼らの報酬なので、彼らはさほど賃金が高くなくても頑張るんでしょう。

ただ、管理職になると良いこともあります。経営やマーケットの動向などの広い世界が見えてくるので、視野が広がるし、人脈も広がります。おまけに動かすことのできる資源の規模が増え、自己決定の裁量権が違ってきます。そういった意味では管理職はおもしろい仕事なんです。

――キャリアを積みたくない、と考えるのは女性のせいではない?

上野: 「女性は管理職になりたがらない」と言われると、意欲を低下させたのはどこのどいつだと思いません? その組織の文化や上司の対応ですよ。新入社員のときには、男女社員ともに管理職をほぼ同じ程度目指しているというデータがあります。それが3年から5年の間に女性の方は低下していく。「アスピレーションのクーリングアウト(達成願望や意欲の冷却)」という現象です。

その結果、女性は「適応調整」をするようになります。なぜなら、いったん雇用を手放したら後が大変だと痛感しているから。女性の勤続年数が伸びているのは、その職場にしがみつくために適応調整しているからです。つまり、自分の期待や希望のレベルを下げて、こんなもんだと思って職場に残る。その人が元々持っていた意欲はどこかに消え、挫折してそれに気づいた人は会社を出ていくわけですね。こうなると会社にとって大きな損失です。だから、男の管理職が、「女性の意欲がなくて管理職になりたがらないんです」って言うたびに、じーっと顔を見てあんたの責任やって言いたくなります。

――仕事と家庭の両立において負担が大きいと感じる女性が多いですが、どういった意識改革や行動が必要だと思われますか。

上野: 女が変わるよりも男と社会が変われよって。今、育休取得率は高いですが、復帰後にその人たちの希望をくじいてるのが「マミートラック」です。戻ってきた子持ちの女性たちに戦力外通知をして責任のないポストに配置します。配慮という名の差別です。結局、そうやって女性の能力を腐らせているのは会社の責任です。復職した女性たちは、時短勤務になったからと言って、やりがいのある仕事を外される理由は何もない。彼女たちは「やりがいのある仕事だったら頑張れる」と言っています。

キャリアも結婚も子育ても全部ゲットしたいと女が思うのは欲張りではありません。だって、男は全部手に入れてきたんですから。

もう一つ大事なことは、職場だけじゃなくて、夫と交渉するための交渉力を持つことですね。「夫に言っても無駄」と諦めて家庭でも適応調整する人も多いのでは? 妻が夫の態度に適応して不満を抑えれば摩擦はおさえられるでしょうが、事態は変わりません。異文化が激突するのだから、波風立つのは当たり前。でも、その結果、状況は改善されるかもしれません。子どもは両親の姿を見て育ちますから、もし交渉を避けたら、夫婦関係ってこんなもの、と人生をなめるような態度を子どもが学ぶことになります。

2019年4月12日、林紗記撮影

「強者もいつかは弱者になる」 東大祝辞への思い

――大きな話題となった2019年の東京大学の入学式の祝辞では、「あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶(おとし)めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください」と話されました。どんな理由からでしょうか

上野: 第一に、やはりそういう人たちとたくさん出会ってきたから、ですね。女性学というのは大学の外で育ったので、集会にはいろんな人が来ます。ある日、大根を積んだ自転車をひいた女性がやって来て、「姑(しゅうとめ)に買い物に行くと言って出てきた」と。「女性学の研究会に行く」なんて言ったら、「お前が今頃そんなものを勉強してどうする」と言われるから、口実を作って出てきたのです。どの人もいろいろな経験をしていましたが、それを夫や親族、自分の家族に言っても取り合ってくれない。「コンシャスネス・レイジング」というのですが、女たちの集まりで語り合うことで、初めて誰かに共感してもらって、自分を肯定する。そういう人たちとの出会いを通して、「なんで女はこんな目に遭うんだろう」という風に考えたのが私の出発点です。

――東大の祝辞に、そのような思いを込められた意図とは?

上野: 東大生って、はたから見ると強者ですが、強者は不安の塊です。強者はずっと強者ではいられませんから。強者もいずれ弱者になることへの想像力を彼らに持ってもらいたいと思ったからです。彼らは、それまで何でも平均以上にできて、ずっと親の期待に応え続けてきた。子どもってけなげだから、親に褒められたくて頑張るでしょ? でも、それができなくなるときが必ずきます。強者だった自分が弱者になり、誰かに依存する存在になったときに、自分の、そして他者の弱さを受け入れられる人になってほしい。そういう思いを込めました。

■黒澤真紀のプロフィール
愛媛県生まれ。5年間の都内学習塾勤務を経て、2011年にフリーライターに転身。ウェブや雑誌のインタビュー記事、教材や試験問題の作成や小論文の添削などを担当する。高校生と中学生の息子とのおしゃべりが大好き。

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