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妻子を殺された夫は「罠」を仕掛けた。韓国で話題の復讐ミステリー

  • 2023.9.19

「私は憶(おぼ)えている。」

チョン・ミョンソプさんの『記憶書店 殺人者を待つ空間』(講談社)は、韓国で話題を呼んだ復讐ミステリー。個人的にここ数年、韓国の小説やエッセイに注目していて、本書も気になって読んでみた。好奇心をそそられる巧みな構成で、ページをめくる手がだんだん加速していった。

主人公のユ・ミョンウは15年前、目の前で妻と娘を殺された。自ら「ハンター」を名乗った男は現場から逃走。喪失感と自責の念に苛まれ、「記憶の重み」に押しつぶされそうになりながらも、ユ・ミョンウは生きてきた。そしていま、「罠」を仕掛けてハンターをおびき寄せようとしていた。

「家族を失った怒(いか)れる男のかつてない復讐劇が、いま始まる。」

接近する二人

ユ・ミョンウは大学教授、古書収集家、テレビのコメンテーターで、車椅子を使用している。ある日のテレビ番組で、今後は大学教授もコメンテーターも辞めて古書店を開くと発表した。店名は「記憶書店」。「先に逝った家族を記憶する場所」という意味を込めている。来店は予約制で、古書愛を語ってユ教授を説得できた客には、本を無料で譲るという。

ユ教授は、画面の向こう側で見ているかもしれないハンターに聞かせるつもりで話していた。15年間、念入りに計画と準備をしてきた。ハンターがこの餌に食らいつくことを願いながら、ついに待ちに待った時が来たと興奮していた。

「あいつのための落とし穴は掘ってある。(もう逃がさないぞ。また会おうな)」

なぜ「古書店」がハンターをおびき寄せる「罠」になるのか。それは、ハンターもユ教授と同じ古書愛好家だからだ。

15年前、ユ教授はハンターに襲われた時、古書の入ったカバン(ハンターの持ち物)を盾に抵抗した。そこで一瞬、相手がためらったのを見逃さなかった。ハンターは現場から逃走し、古書はユ教授の手元に残った。古書を取り戻すために、あいつは「記憶書店」を訪れるはずだとユ教授は見ている。

一方のハンターは、この日も画面越しにユ教授を見ていた。15年前の事件以来、人目につかないように殺人(狩り)を繰り返しては、痕跡を残さないように死体(獲物)を処理してきた。ユ教授もさっさと片づけたかったが、著名人なので標的にしづらい。そしていま、そのユ教授に挑発されていることに腹を立てていた。

「十五年前のことにけりをつける時が来たと直感した。もちろんその書店が自分をおびき寄せるための罠であることはわかっている。いつにもまして用心深く接近しなければならない。(俺に挑戦しようってか)」

容疑者たちをめぐる考察

殺人に次いで古書を見ることに喜びを感じるハンターは、素性を隠し、「一番それっぽくないもの」を装い、開店したばかりの「記憶書店」を訪れた。ハンターは来ると確信していたユ教授は、客を一人ずつじっくり観察した末、容疑者を4人に絞り込んだ。

1人目は、木工職人のキム・ソンゴン。熱心な古書愛好家だ。声は15年前に聞いたハンターの声とは違うが、眼光に見覚えがある。

2人目は、ユーチューバー兼作家のチョ・セジュン。古書ではなくユ教授に興味があると言い、「僕と一緒に本を出しませんか」と予想外の提案をしてきた。

3人目は、キム・セビョク。体型は当時のハンターとは異なる小太りだが、がに股気味の歩き方はよく似ている。古書には興味がなく、ユ教授に会うことが目的だったと言う。

4人目は、小さな男の子を連れたオ・ヒョンシク。虐待とも言える高圧的な振る舞いが目に余る。殺人鬼が家庭を持つとは考えづらいが、あり得ないことではない。

それぞれにハンターを匂わせる要素はあるものの、そう装っているだけかもしれず、全員もれなく怪しい。うぅむ、と唸りながら考察を楽しんでいると、ユ教授が妙案を思いついた。4人の中で、ハンターである可能性が最も低いと判断したチョ・セジュンを呼び出し......。

「容疑者たちを調査して、そのうちの誰がハンターなのか突き止めて下さい。後は私が処理します」

容疑者の一人に協力をあおぐとは、なんとも大胆である。中盤まで、ユ教授とハンターの視点から語られるパートが交互に進行し、一触即発のヒリヒリした空気が漂っていた。そこにチョ・セジュンのパートが加わり、ユ教授VSハンターの構図から、ユ教授とチョ・セジュンと読者VSハンターの構図に変わった。本当に、最初から最後まで飽きさせない。大切なものに対する人間の執念を、本作に見た。

訳者の吉川凪さんによると、韓国では以前から東野圭吾さんや赤川次郎さんなど日本の推理小説が人気で、近年になって韓国の推理小説作家も増えてきたという。チョン・ミョンソプさんもその一人。吉川さんはあとがきに「現代韓国の優れたミステリーを紹介できた」と書いている。

■チョン・ミョンソプさんプロフィール
1973年ソウル生まれ。大企業勤務やバリスタを経て現在は歴史小説、推理小説、ヤングアダルト小説、童話など多様なジャンルと年代の作品を発表している。中編小説『記憶、直指』で2013年第1回直指小説文学賞最優秀賞を受賞し、2016年第21回釜山国際映画祭においては『朝鮮弁護士王室訴訟事件』でニュークリエイター賞を受賞した。ヤングアダルト小説『消えたソンタクホテルの支配人』は2019年<原州一都市一冊読書>対象図書に選定された。2020年『墓の中の死』で韓国推理小説賞大賞を受賞した。著書として『星世界事件簿――朝鮮総督府バラバラ殺人』『月が砕けた夜』『オンダル将軍殺人事件』『墓の中の死』『遺品整理士――蓮の花の死の秘密』『上海臨時政府』『南山谷の二人の記者』、共著『ゾンビ説録』などがある。

■吉川凪さんプロフィール
よしかわ・なぎ/大阪生まれ。仁荷大学国文科大学院で韓国近代文学専攻。文学博士。著書に『朝鮮最初のモダニスト鄭芝溶』、『京城のダダ、東京のダダ──高漢容と仲間たち』、訳書としてチョン・セラン『アンダー、サンダー、テンダー』、チョン・ソヨン『となりのヨンヒさん』、李清俊『うわさの壁』、キム・ドンシク『世界でいちばん弱い妖怪』、金源一『深い中庭のある家』、朴景利『完全版 土地』、崔仁勲『広場』などがある。金英夏『殺人者の記憶法』で第4回日本翻訳大賞受賞。

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