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後味のいい女、後味の悪い女

  • 2023.9.17

こういう後味の悪い会話を、経験したことがあるだろうか

こんな経験はないだろうか? 相談があるんだけど、と友人から恋愛の悩みを打ち明けられ、長年付き合っている彼氏への不満や疑惑を散々聞かされて、どう思う?と意見を求められる。だから彼女の立場に立って、彼女の気持ちを推し量って「その彼はあなたを幸せにしないかも……」と答えたとしよう。でもどういうわけか、彼女は「そうだよね、でもねッ!」と一瞬気色ばんだように表情を硬くして、反論を始める。反対に、彼氏にはこんないいところもあるのよと、一転彼氏を擁護し始めるのだ。

え~、話が違うじゃんと、裏切られたような気持ちになるだろう。100%相談者の味方になって答えたつもりなのに、いつの間にか自分が彼氏の悪口を言う悪者になっていた。結局彼女は、いろいろあるけど彼氏を許して彼を信じて、これからもついていく的なまとめ方をし、またも「どう思う?」って。「あなたがそれで幸せならばいいんじゃない? 」などと答えるものの、何という後味の悪い会話! 2時間も3時間も親身になって話を聞いて、結局この結論……。そんな経験はないだろうか。

実はこの会話、心理学的にも一つの事例として確立しているほど、ありがちなパターンであると言われている。名付けて「イエスバット」症候群。つまり「そうよね、でも……」自分で相談を持ちかけて、意見を求めたにもかかわらず、相手のアドバイスには反論し、結局自分で結論を出してしまう。無意識にでもそういう相談をくり返してしまう人って、実は少なくないのだ。

だからひょっとすると、いつも同じ相手にそういう不条理な相談を持ちかけられているかもしれない。それこそ心理学的に言ってそういう人は、幼い頃に親や身近な人に考えを押し付けられたり、従わざるを得ない環境にあったから、ついついその反動のような会話を仕掛けてしまうのだとか。かまってもらいたいという気持ちから。そして、相手の意見には従わないよという反抗心と優越感。相手に一種の無力感を与えようという無意識の企みも混じるらしい。本人にその自覚はないけれど。逆に悪気はないから、そのぶん罪深く、仕掛けられた方がそのたびに激しい疲労感と虚無感に襲われて、終わり。毎回、何とも後味の悪い結末を迎えるのだ。

ただ、こういう不毛な相談を持ちかけられるのは、往々にして相談者に一目置かれている人。嫌いでも憎んでもいないけれど、自分よりも強い相手だからこそ、あえて従わないとの立場を形にしたいのだ。もちろん恋愛話の場合、理屈抜きの未練も絡んでくるので、このパターンに100%は収まらない複雑さはあるが、イエスバットな心理がわかっていれば、上手にかわすこともできるはず。相談事はとりあえず聞いてあげるが答えは出さず、「それであなた自身はどう思うの?」と返す。少なくとも後味の悪い終わり方にはならないはずだ。

ただ逆にあなたは、そういう後味の悪い相談を持ちかける側になっていないか? それだけはチェックしておくべき!

日々の当たり前の会話で、絶対に後味の悪い女にならないために

さて、恋愛においても別れた後の後味って大いにあるはずで、少なくともそういう意味では皆、後味のいい女になりたいはず。この境界線は極めて単純。別れ方のきれいな人は当然、後味がいい。何事も相手のせいにはしないスタンスが、付き合っているうちから、会うたびにバイバイのたびに、爽やかな後味を残せるのである。逆に別れた男を全員恨んでいる女は、結局相手からも後味の悪い女と思われているということ。前期話題のドラマ『あなたがしてくれなくても』には、なかなか“後味のいい女”が描かれていた。後味がいいと、また自然に元通りくっついちゃうことも……。

もっと当たり前の会話でも、後味のよし悪しは常について回る。言うまでもなく、マウントを取ったり、傷つく言葉を混ぜてきたり、単純に感じが悪かったり。もっと言えば、会話以前に挨拶だけで、後味の悪さって生まれるもの。しかもトーンの低い声や笑顔なし以前に、不機嫌なオーラや面倒くさい気配は、すれ違うだけで一瞬で相手に伝わり、不快な後味を相手に残す。それが一瞬でも、後味の悪さは、いつまでも舌に嫌な味が残るような、まったりした気持ち悪さを残すもの。だから後味の悪い女はヤバいのだ。嫌われる要素のNo.1となりがちだから。

でも逆に言えば、後味にだけ気をつければ、人の印象はいくらでもコントロールできることにもなる。第一印象も大切だけれど、同じくらい後味も大事。たとえば“後味の悪い映画”でいうと、いわゆる“胸くそ系のホラー”は別として『ダンサー・イン・ザ・ダーク』や『ミリオンダラー・ベイビー』『チョコレートドーナツ』など、救いのない悲劇的結末を迎える後味ワースト映画ほど、実は名作でもある。そこまでに至るストーリーが感動的なのに、最後は奈落の底へ。もう一度観たいかどうかは別として、心にまとわりつくことは間違いないのだ。つまり後味のインパクトは強烈。最後の最後で評価を180度ひっくり返して決定的なものにし、不味くて不快な味だけをずっと残していくのだ。

いやそもそも映画の生命線は、最後の10分間にあると言ってもよく、たとえば多くのアンケートで最強のベストシネマとしてランキングされる『ショーシャンクの空に』などは、2時間22分のうち、2時間5分くらいはずっと抑圧された過酷で辛い場面ばかりなのに、最後の最後で地獄から天国へ。だからこれほど感動的で清々しい映画はないとされるのだ。

人の印象も同じ、たとえ会話が嚙み合わなかったり、お互い不愉快になったとしても、最後だけ気持ちが上向きになれば、お互いの印象はいきなり好転する。文字通り終わりよければすべてよし。後味が悪い人って、要は最後のフォローだけが致命的に足りない人なのである。

オフィシャルな話し合いで仮に険悪な雰囲気になっても、最後に「今日は、本音でお話ができてよかったです」なんてことが一言言えれば、後味は一転、とてもよくなる。「何だか私、失礼なことを言っちゃって。またぜひ今度続きをお話ししたいですよね」なんて朗らかな一言が欲しいのだ。それがろくに目も合わせずに、型通りの挨拶だけでその場を離れれば、後味は最悪に。たった一言が最後にあるかないかで、印象がガラリと変わる。人の印象において、後味がいかに重要かを知って欲しいのだ。

そういえば、買い物したものを「お出口までお持ちします」とスタッフが外まで運び丁寧に挨拶してくれるあのサービス。まさに、最後まで思いが込もった後味のよさを狙ったもの。理屈の上では正しいが、ある意味重い。もともとハイブランドのブティックでの上顧客への対応を下敷きにしたもの。私はそこまでの客ではないし、という負い目がこちらにあるから、そこまでされるとこそばゆい。むしろ居心地が悪い。後味をよくするのにもセンスが必要なのは確か。

ただともかく最後は、相手に心臓を向けて、今日会えた喜びを心から伝えるような気持ちになれば、必ず後味のいい人になり、相手にもう一度会いたいと思わせる。相手が複数ならば、ざっくりまとめて“お辞儀”一回ですませず、一人ひとりの目を見て挨拶する、そんな心がけが後味のいい女になる約束なのだ。何があっても最後に微笑む、何を言われても最後は明るく親しげに。人間関係を次につなげ、仕事も恋愛もスムーズにする絶対のコツである。最後の一言は思い切ってお腹から、明るくクリアな声で。上手に生きる人は皆、目立って後味がいい人に違いないのだから。生涯あっちこっちでいい後味を残していくのだから。

何があっても最後に微笑み、何を言われても最後は明るく親しげに。それだけで人間関係も、仕事も恋愛も不思議なほどうまくいく。上手に生きる人は皆、目立って後味がいい女に他ならないのだから。

撮影/戸田嘉昭 スタイリング/細田宏美 構成/寺田奈巳

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