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【日本三大ラーメン】福岡「博多」・北海道「札幌」・福島「喜多方」の特徴と共通点は?

  • 2023.9.5

1800年代にラーメンのルーツである中国の麺料理が日本に伝わり、日本の食文化と融合して生まれたのが「ラーメン」です。今では全国各地に有名なラーメンが多数ありますが、日本三大ラーメンに挙げられるのが、博多ラーメン、札幌ラーメン、喜多方ラーメンです。そこで今回は、それぞれの特徴や歴史、共通点をご紹介します。

 

 

長浜ラーメンとは別物! 九州とんこつラーメンの知名度を爆上げした「博多ラーメン」

とんこつラーメンは福岡発の名物ですよね。その人気は衰えることなく、今は世界中に広がっています。

博多で初めてのラーメン屋台は、1940年に創業した「三馬路」といわれています。とはいえ、当時は半濁気味のあっさりした豚骨スープで醤油味、麺も平打ち麺で、ラーメンではなく「中華そば」と呼ばれていたとか。

その後、1946年にうどん屋台を営んでいた山平進さんと、天ぷら屋台の津田茂さんが豚骨ラーメンを考案して屋台で提供。さらに、山平さんが「博龍軒」、津田さんが「赤のれん」を創業し、博多にとんこつラーメン店が誕生したそうです。

ちなみに博多ラーメンと長浜ラーメンは似ていますが、別物。細麺や替玉といった長浜ラーメンを受け継いでいる点もありますが、発祥地や初めて提供した屋台が異なるのです。しかし、現在その差異はごくわずかになっています。

博多ラーメンは、白濁した豚骨スープに極細のストレート麺を合わせるのが特徴。強火でとんこつを煮立てた白湯スープで、鶏や海産物はほぼ使いません。臭みを消すため、ニンニクや生姜を加えることもあり、タレは塩ダレか薄口醤油です。また、博多では生のニンニクをおろしたり、砕いたりして使います。具は万能ネギのみじん切りのほか、チャーシュー、キクラゲなどです。

博多ラーメンの有名店といえば「博多一風堂」や「一蘭」が思い浮かびますが、博多ラーメンの源流となった福岡にある「博龍軒」「元祖赤のれん 節ちゃんラーメン」も訪れたいですね。

戦後の屋台が始まり、3種類の味があり食べ応え十分な「札幌ラーメン」

ラーメンの街といわれる札幌には、1,000以上のラーメン店が点在しています。ラーメン横丁、新ラーメン横丁、狸めんこい通りといったラーメン店が集まるエリアも。

札幌のラーメン店がにぎわいを見せるようになったのは、終戦直後の1946年から1947年頃にラーメン屋台ができたことが始まり。そのうちのひとつが、後に「龍鳳」を開いた松田勘七さんの店でした。松田さん夫婦が麺を打ち、豚の骨でスープをとり、味は日本人が大好きな醤油味にしたところ、お店が大繁盛したそうです。

また、西山仙治さんの「だるま軒」や、後のみそラーメンの開発者であり「味の三平」の大宮守人さんもそれぞれ札幌でラーメン屋台を営んでいました。そして、大宮守人さんが松田勘七さんのもとでラーメンを学び、「札幌ラーメン」の原形が作られたのです。

ところが、平成に入ると、旭川を発祥とする、豚骨に魚介類のだしを加えた、従来の札幌ラーメンよりさらに濃厚なスープ、少し細めで硬い麺が特徴の「旭川ラーメン」が評判に。それを機に、時代は一気にこってり系に移行しました。

札幌ラーメンは、麺の製造において手稲山系の良質な雪解け水を使用しているのが最大の特徴です。さらに、味噌のイメージが強いかもしれませんが、実は正油(醤油)・塩・味噌の3種類の味を用意し、炒めた野菜を入れることが多いのもポイント。量が多く、食べ応えも十分なので、お腹を空かせて札幌ラーメンを食べに行きたいですね。

色合いや風味はお店によって千差万別、90余年の歴史を持つ「喜多方ラーメン」

喜多方ラーメンの元祖といわれるのは「源来軒」の潘欽星(ばん・きんせい)さんです。1906年、中国浙江省生まれた潘さんは、19歳で長崎にわたり、横浜や東京で土木作業員をした後、加納鉱山で働く叔父を頼って喜多方に来たそうです。しかし、鉱山で仕事ができなかったため、屋台で支那そばを売ることに。

故郷を思い出しながら作ったのが、平たくて太い縮れ麺でした。潘さんは麺やスープを秘伝とせず広めて、弟子は100人といわれています。

次に、終戦直後に旧満州から引き揚げた長島ハルさんが「上海食堂」を開店。ハルさんの母親が好んだ上海料理がベースの塩味ラーメンを近くに駐留する兵士に振る舞い、好評だったそうです。そして、同食堂で店員として働いていたのが坂内新吾さん。1958年に独立して「坂内食堂」を始めます。上海食堂仕込みの塩味ラーメンで、だしは豚骨が基本、隠し味に醤油が少し入っていたとか。

さらに、「満古登(まこと)食堂」の初代、佐藤ウメさんが、醸造元と相談して特注の醤油をベースに、煮干と豚骨でだしをとる支那そばを作り、これが喜多方の醤油ラーメンの基本になりました。このように、塩味の「坂内」と醤油味の「満古登」が、後の喜多方ラーメンブームの火付け役になったのです。

機械打ちの麺を量産した蓮沼季吉さんの功績も忘れてはいけません。彼は平たくて太い縮れ麺が作れるように、機械の改良に注力したのです。これが手打ち風の喜多方ラーメンのルーツになりました。

その後、写真展で「喜多方の蔵」が注目されたことにより、蔵観光で来た人の昼食というコースができ、市役所も仕掛け人となり、積極的にラーメンをPR。その結果、日本三大ラーメンのひとつに数えられるようになりました。

喜多方ラーメンは、基本的には醤油味がベースですが、その店によって色合いや風味が異なります。麺は「平打ち熟成多加水麺」で、コシと独特の縮れがあるのが特徴です。

日本三大ラーメンの共通点は?

いずれのラーメンも店舗ではなく、屋台が始まりなのが共通していて、興味深いです。ほかにもおいしいラーメンはたくさんありますが、日本三大ラーメンを一度は味わいたいものですね。

[参考]

正しく理解しておきたい「博多ラーメン」の基礎知識

新横浜ラーメン博物館

西山製麺株式会社

会津喜多方会

[All photos by Shutterstock.com]

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