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『赤い袖先』に出てきた「英祖は母親の身分が低かったことを嫌っていた」はホント?

  • 2023.9.5

テレビ東京の韓流プレミアで放送中の『赤い袖先』は、9月4日に第2話がオンエアされた。世孫(セソン)であるイ・サンが禁書の『史記』を持っていたことが大問題になってしまう、という展開になっていた。なぜ大問題になったかというと、中国の歴史書として有名な『史記』の中には母親の身分が低いことを強調する文章が載っており、そのことを英祖がひどく嫌っていたからである。

『赤い袖先』でイ・ドクファが演じた英祖の母親といえば、歴史的にも有名な淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)である。この女性は人気時代劇『トンイ』でハン・ヒョジュが演じたヒロインのモデルとなっていた。本当に英祖が気にするほど身分が低かったのだろうか。

歴史的に見れば、淑嬪・崔氏は19代王・粛宗(スクチョン)に寵愛されて側室となった女性であり、1694年に産んだのが粛宗の次男となる英祖であった。

なお、淑嬪・崔氏は美貌の女性であったことはよく知られているが、「どういう素性を持っていたか」ということに関しては諸説が存在する。その中でも、王宮で下働きをするムスリであったという説が有力になっている。ムスリというのは宮女の下に付いて肉体労働などの雑役を担当する女性であり、特に淑嬪・崔氏は水汲みをするムスリであったという説が有力になっている。

本来、ムスリが国王の側室になる例はほとんどないのだが、粛宗はよほど淑嬪・崔氏が気に入ったのかもしれない。ただし、1724年に国王となった英祖は母親の身分が極端に低かったことをかなり苦にしていたようだ。

『赤い袖先』ではイ・ドクファが英祖を演じた(NBCユニバーサル・エンターテイメント/©2021MBC)
ソン・ドギムの機転

それは、王子の時代から母親の身分のことで王族内においてひどいイジメを受けたからだと言われている。そういう歴史的な話を『赤い袖先』でも生かしており、ドラマの中で英祖が『史記』を禁書にしたというエピソードが作られていた。

それなのにイ・サンがその禁書を保持してしまったのだが、宮女のソン・ドギムの機転によってその罪を免れることができたという展開になっていた。いわば、イ・サンはソン・ドギムに対して大きな借りを作ったわけだ。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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