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ヒトの社会も「産む人」と「産まない人」の分業が進んでいる…女王だけが産むミツバチの高効率な繁殖方法

  • 2023.9.3

ミツバチの社会では女王バチだけが卵を産み、働きバチがそれを支える。生物学者の小林武彦さんは「子孫を効率よく増やせる繁殖方法といえる。ヒトも遠からぬ未来、同じような分業体制、つまり産むヒトと産まないヒトの二極化が起こる可能性があり、すでにその傾向は始まっている。産むヒトを社会全体で支える仕組みが必要だ」という――。

※本稿は、小林武彦『なぜヒトだけが老いるのか』(講談社現代新書)の一部を再編集したものです。

「老害」という言葉は年齢差別、「徳のある人」は多い

社会にとって有益な「いいシニア」がいるのであれば、やっぱり悪いシニアもいるのでしょうか。

若い女性と高齢の女性
※写真はイメージです

一部の高齢の政治家や企業のトップに「老害」という言葉が使われるのを耳にします。最近はそういう「公人」以外にも時々使われるようです。私はこの言葉が好きではありません。理由は老いていること(人)が害であるかのような印象を与えるからです。これは年齢による差別であり、人に対する侮辱です。

老いは特定の人に突然くるわけではありません。全ての人が、今この瞬間もある意味では「老いて」いるわけです。「死の意味」から考えても、現在の自身の「生」は過去の多くの「死」の結果です。

「死」は他者の「生」のためにあると言ってもいいのかもしれません。死はそれほど尊いものなのです。ですので、自分より長く生きていて、自分より先に亡くなる可能性が高い人には、敬意を払うべきです。「老い」は「死」に至る過程であり、利他的で公共性の極みであり、かつ自分たちの将来の姿なのですから。

シニアの定義を復習しますと、生物学的な「年齢」とは切り離して、知識や技術、経験が豊富で私欲が少なく、次世代を育て集団をまとめる調整役になれる人のことです。簡単に言えば「徳のある人」です。

シニアは、ヒトの寿命を延長させてきた社会に有益な人たちです。そのため定義的には「悪いシニア」はいません、つまり「悪いシニア」は「シニア」ではありません。ただ完全にシニアになりきれていない発展途上の「なんちゃってシニア(?)」はいます。私自身もそうだと思います。

「老い」は死を意識させ、公共性を目覚めさせる

ヒトは他の生物には見られない長い老後期間があります。なぜ進化において「老化したヒト」の存在が選択されてきたのか――。

社会性の生き物であるヒトは、家族を中心とした集団の中で進化してきました。集団の結束力で生き残ってきたのです。そこでは子育てや教育に貢献し、集団を安定させ豊かにする役割を担う「ヒト」の存在が有利となります。そうした役割を担う知識や経験豊富なヒトを「シニア」と呼ぶならば、シニアは必然的に年長者が多くなります。

結果として、長寿で元気なヒトがいる集団が「強い集団」となり選択され、現在のヒトの長寿化につながっていったのです。言い方を換えれば、「老化はヒトの社会が作り出した現象」と考えられます。生物学的に表現すると「なぜヒトだけが老いるのか」ではなく、老いた人がいる社会が選択されて生き残ってきたのです。

老いを自覚したら少しずつ次世代への貢献を意識したい

私は、「老い」は「いいシニア」になるためにあるのだと思っています。自分が生物学的な衰えを感じ始めたら、次には死を意識します。この頃から少しずつ利己から利他へ、私欲から公共の利益へと自身の価値観をシフトさせていくきっかけにするのはどうでしょうか?

老いを悔いたり、死を必要以上に恐れたりしてもどうにもならないし、かえって元気がなくなります。いきなり180度価値観を変える必要はありません。やり残したことに全力を傾けるのももちろんいいと思います。老いを感じて死を意識したら、少しずつでも世のため、次世代のためにという意識を持つようにしたらそれで十分です。これが「人の老いの意味」だと考えています。

昆虫界の「最強のシニア」はミツバチの巣にいる

多くの生き物はヒトのように自身で生活環境を変えたり、遠くに逃げたりはできないので、周りの環境に究極的に適応したライフスタイルを持っています。いつもびっくりさせられることばかりです。

ヒトではシニアがいる家族や集団が栄えて、結果として寿命が延びてきました。もっと極端にシニアが活躍する例が、社会性の昆虫に見られます。社会性の昆虫の代表は、ハチやアリです。たとえばミツバチのほとんどは働きバチで、それらは全てメスです。メスと言っても女王バチ以外は卵を産めず生殖に関わらないので、性別はあまり関係ないかもしれません。

若い働きバチは、主に巣の中で巣作りや幼虫の世話をします。少し年配の働きバチは、野原を飛び回り花の蜜を集めます。危険な業務を年配のハチが行っているようにも見えますし、外で自由に飛び回れていいな、という見方もできます。いずれにせよ働きバチの寿命は数カ月程度ですので、ヒトから見れば、内勤のハチも外勤のハチも「若手とシニア」というほどの年齢差はありませんが、彼らの寿命から考えたら、大きい差なのかもしれません。

巣に群がるミツバチ
※写真はイメージです

実はポイントはここではなくて、もっとすごい真のシニアがいます。それは女王バチです。働きバチの寿命が数カ月であるのに対して、女王バチはなんと3年(働きバチの10倍以上!)も生きます。女王バチは一から巣を立ち上げ、まずは交尾をしないで無性生殖で無精卵を産みます。

ミツバチのオスは交尾だけが仕事で、その後すぐ死ぬ

ハチの場合、無精卵でも孵化でき、それらは全て雄バチになります。彼らは女王バチと交尾することだけが仕事で、それが終われば巣から追い出されて死んでしまいます。非常に短寿命で、実に儚はかない存在です。その後生まれた受精卵は全てメスの働きバチとなり、やがてメスだけの大家族を作ります。それを何年も何回も続けているわけで、女王バチは唯一の最強のシニアです。

ミツバチの死骸
※写真はイメージです

栄養学的に興味深いのは、女王バチは遺伝的には他の働きバチと全く同じ、つまり遺伝子は同じだということです。平たく言えば、女王になるための遺伝子というのはないのです。何が違うのかというと、幼虫のときの栄養状態です。働きバチが花粉や蜜を食べて消化して作り出すスペシャルフード、いわゆるローヤルゼリーをたくさん与えられるため、体は大きく成長し、卵を一日に2000個も産めるスーパーマザーになります。女王になる卵は、王台と呼ばれる大きめの穴に産みつけられます。そこの幼虫にだけ、働きバチがローヤルゼリーを吐き戻して与えるわけです。

一方、普通の巣穴に産みつけられた卵は、栄養制限で生殖器官が発達せず、子供が産めないメスの働きバチになります。感動的なのは、新しい女王が誕生し成長すると、古いシニアの女王のほうが働きバチの一部を引き連れて、巣を離れます。次世代に全てを差し出すのです。

シロアリの女王は数十年も生きて卵を産み続ける

同じようなすごい女王はシロアリにもいます。

こちらは、数十年生きると言われています。加えて女王と交尾する王アリも、女王に負けず劣らず長命です。まさにスーパーシニアですね。ヒトとの違いは、昆虫のシニアは決して一線を退いているわけではなく、生涯子孫を作り続けるということで集団の中での役目を果たしています。

ヒトの立場から勝手に考えると、ハチやアリの社会形態の見方は2通りあると思います。一つはストレートにシニア(女王)が「支配する」君主制の社会。女王のためにその他の個体が家来のように働いて尽くすという見方です。もう一つは、全員で女王を「支えて」繁栄する家族制分業社会。こちらは、女王が産卵という重労働を一人で引き受けて、周りはそれを応援するという見方です。

たった一匹のメスが繁殖を引き受ける究極の分業社会

どちらもヒト目線の捉え方で、実際にはそのような思惑もストーリー性もなく、進化の結果、たまたまこの形のものが生き残れただけです。ただ、分業は集団としての効率を上げるので、その意味では後者の見方が正解に近いのかもしれません。

小林武彦『なぜヒトだけが老いるのか』(講談社現代新書)
小林武彦『なぜヒトだけが老いるのか』(講談社現代新書)

実際にミツバチの社会構造の進化の過程を見てきたわけではないので、真実かどうかは確かめようがないのですが、こういう説明も可能という程度で、私の推察をお話しします。

ミツバチの祖先が生きていた環境では、集団が大きいほうがより丈夫で安全な巣を作れ、また食料集めにも有利だったのかもしれません。そのため、子孫の数を効率良く増やす仕組みを持つグループが生き残れる確率が高かったと推察されます。その場合、個々のメスがそれぞれ卵を産むより、産むことを専門とする個体(女王)を作り、それをみんなで保護し、餌を与え、支えたほうが、生産性が良かったのかもしれません。

たとえばミツバチの有名な行動に「尻振り8の字ダンス」というものがあります。これは蜜のある花畑を見つけた個体が巣に戻り、その場所を他の個体にお尻を振って音を出して教えます。お尻を振っている時間の長さが、花畑までの距離(1秒が約700メートル)、お尻を振って移動する方向が、太陽との角度を示します(図表1)、それを見た個体は、その場所を目指して飛び立つわけです。このような高度な情報収集の技を獲得できたのも、分業のおかげでしょう。

【図表1】ミツバチの「尻振り8の字ダンス」
出典=『なぜヒトだけが老いるのか』
ヒトの社会でも「産む」と「産まない」が分業になりつつある

社会性の昆虫では、構成個体は女王の子供、あるいは姉妹です。言ってみれば集団として一つの生命体のようなもので、女王はその生殖器官の役割を担っているのです。もしかしたら、ヒトも遠からぬ未来、同じような分業体制、つまり産むヒトと産まないヒトの二極化が起こるかもしれません。

すでにその傾向は始まっていると思います。産むヒトを社会全体で支える仕組みがきちんとできれば、もしかしたら少子化対策の一つになるのではないかと私は思っています。いずれにせよ、子供を産みたいと思った人が、安心して産める社会を作ることが何よりも大切ですね。

小林 武彦(こばやし・たけひこ)
東京大学定量生命科学研究所教授(生命動態研究センター ゲノム再生研究分野)
1963年、神奈川県生まれ。九州大学大学院修了(理学博士)、基礎生物学研究所、米国ロシュ分子生物学研究所、米国国立衛生研究所、国立遺伝学研究所を経て現職。前日本遺伝学会会長。現在、生物科学学会連合の代表も務める。生命の連続性を支えるゲノムの再生(若返り)機構を解き明かすべく日夜研究に励む。海と演劇をこよなく愛する。著書に『寿命はなぜ決まっているのか』(岩波書店)、『DNAの98%は謎』(講談社ブルーバックス)、『生物はなぜ死ぬのか』『なぜヒトだけが老いるのか』(以上、講談社現代新書)など。

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