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まるごと奪われたわけじゃない。辻村深月が「2020年」を活写した青春小説

  • 2023.9.1

「私の今は、今しかない。」

2020年、コロナ禍で登校や部活動が次々と制限される中、中高生はどんな感情を胸に、どんな景色を見ていたのだろうか。

辻村深月さんの『この夏の星を見る』(KADOKAWA)は、「今の時代」を活写した青春群像小説。発売1か月で3刷目の重版が決定し、多数のメディアで取り上げられ、読者から共感と感動の声が続々と寄せられている話題の一冊だ。

物語の舞台は、茨城、東京・渋谷、長崎・五島列島。遠く離れた場所にいる中高生が、天文活動を通じてつながっていく。ままならない日々に舞い込んだ「特別」は「宝物」になり、一人ひとりの心に刻まれる。

「ただ、同じ時間帯に空を見る。そのための約束をした、というただそれだけのことが、どうしてこんなに特別に思えるのか。(中略)これくらいの特別は――お願い、私たちにください。」

違う場所で、同じ星を見る

亜紗(あさ)は、茨城県の高校2年生。天文部に所属している。3月に休校が始まった頃はわくわくしていたが、4月には眠れなくなった。学校に行きたい。友達に会いたい。5月に学校は再開したものの、天文部の合宿も修学旅行も中止が決まった。

真宙(まひろ)は、東京都渋谷区の中学1年生。新入生27名のうち、唯一の男子。学校に行くのが嫌で「コロナ、長引け」と念じていた。入りたい部活もなくてげんなりしていた時、クラスメイトから「理科部に興味ない?」と誘われる。

円華(まどか)は、長崎県五島列島の高校3年生。吹奏楽部に所属している。実家が旅館で島外からの客を泊めていることで、周りから白い目で見られていた。親友からも警戒されて傷ついていた時、留学制度で島に来ている男子から「天文台、行かない?」と誘われる。

遠く離れた場所で暮らす彼らは、これまでなら接点が生まれることはなかっただろう。しかし今は、コロナ禍でままならない思いをしている中高生、という点で共通していた。

亜紗 「私たちの状況って、今、すごくおかしいよね?」
真宙 「空が落ちて来ればいい。天変地異よ、起きろ。」
円華 「泣いてたこと、他の人に言わないで」

亜紗が所属する天文部では毎年、自作の望遠鏡で視界に星をつかまえる「スターキャッチコンテスト」を行っていた。ネットで記事を読んだ真宙が、亜紗の高校にメールを送ったことから茨城と渋谷の交流が始まり、そこに顧問の先生の星仲間がいる五島列島も加わった。

「違う場所にいても、空はひとつだから星は見られる」――。互いの姿は見えなくても、同じ空の下で同じ星を見ることはできる。茨城―渋谷―五島列島をオンラインでつなぎ、「スターキャッチコンテスト」を一緒にやることになった。

時間も経験も、たしかにあった

もともと、連載予定の新聞の担当者から「青春小説を」というリクエストを受けていた辻村さん。その後にコロナ禍が始まり、「今の時代の青春小説を書く」ためにコロナ禍1年目である2020年の中高生を主人公にした。執筆にあたり、茨城の高校や五島列島の天文台なども取材したそうだ。

今の状況でできることはあるか。考えて、動いて、前例がなければ自分たちでつくる。たくさんのことをあきらめなければならない悔しさをかみしめて、彼らはコロナ禍をくぐり抜けていく。天文の知識から中高生の何気ない会話や淡い恋心まで、その丹念な描写に唸らされる。リアルタイムで彼らに密着しているかのようだった。

強く感じたのは、コロナ禍を経験した私たち(とりわけ若者たち)に向けられた辻村さんのあたたかい眼差しだ。中高生のセリフには、同世代の読者が言いたかったであろう言葉が、顧問の先生のセリフには、辻村さんが伝えたかったのであろうメッセージが、つまっている。

「実際に失われたものはあったろうし、奪われたものもある。それはわかる。だけど、彼らの時間がまるごと何もなかったかのように言われるのは心外です。子どもだって大人だって、この一年は一度しかない。きちんと、そこに時間も経験もありました」

忘れかけていた2020年の出来事や空気感を思い出し、あらためて胸に刻んだ。

もしも自分の2020年が、登場人物たちが経験するような「特別」なことは何もない時間だったとしても、本作を読めば彼らと経験を共有した感じがするだろう。現実には叶わなかった思いを叶えるチャンスが、ここにある。「特別」な出来事や「宝物」のような出会いは、いつどんなかたちで巡ってくるかわからないものだな、と思った。

『この夏の星を見る』の特設サイトでは、本書のPV、登場人物紹介、辻村深月さんへのインタビューなどが公開されている。

■辻村深月さんプロフィール
つじむら・みづき/1980年2月29日生まれ。千葉大学教育学部卒業。2004年『冷たい校舎の時は止まる』でメフィスト賞を受賞しデビュー。11年『ツナグ』で吉川英治文学新人賞、12年『鍵のない夢を見る』で直木三十五賞を受賞。18年には『かがみの孤城』で本屋大賞第1位に。主な著書に『スロウハイツの神様』『ハケンアニメ!』『島はぼくらと』『朝が来る』『傲慢と善良』『琥珀の夏』『闇祓』『噓つきジェンガ』などがある。

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