1. トップ
  2. 恋愛
  3. エミールは、どこに行ってしまったの?

エミールは、どこに行ってしまったの?

  • 2023.9.1

2023年、この夏は暑かった…。そして、熱かった…。このお便りを書いているのは、まもなく9月を迎えるその数日前。まだまだ、空から降ってくる炎のようなメッセージを受けて地上に生きるものたちは、行き場をなくし毎日、日陰を探しているような夏の終わりの…、と…ある日です。 こんにちは、エミールです。

9月のお便りを…と思いつつ、やはり今回は報告をかねて、ずっと痛みに拘束されていた日々がついに終焉を迎えたお話にさせて頂きます。

まず改めて5月のお便りを読みなおし、約半年も『足止め』にあっていたのだなぁ、となんだかしみじみとしてしまいました。

「足止めにあっていた」 と、ここで過去形になったのは、とにもかくにも春先からの悩みと痛みが解消したからなのです。 とはいえ、只今リハビリ真最中なので希望的過去形とでもいうところでしょうか?

私的には9月が終わる頃には、普通に歩行ができて階段の昇降も大丈夫!くらいのレベルを想定しておりますが、はてさて、自分自自身との闘いともいえるこのリハビリという作業に負けず、成果をあげる事ができるでしょうか。

8月1日、午後になると一天俄かにかき曇り、天蓋を破るような大雨。そして空にヒビが入ったかのような稲妻が走り、雷鳴がとどろく中で私は手術の待機をしていました。 病室の窓の外を眺めれば、前も見えないようなすごい土砂降り。

壁面をつたう雨が滝のように流れるのを眺めながら “そういえば今回の手術に関しては占い的判断上、全くといっていいほどNG揃いだった”と、まるで他人事のように自分を突き放して、そう思っていました。

方位をはじめとして、その他諸々の占術的条件をあてはめると、どの占い師さんからも猛反対が出そうなこの日の手術。

ではどうして? というところですが、病院の場所や日付選定優先順位の中では占いによる判断順位があまり高くなく、体内時計の審判がこの日をすんなりと指定してきたのです。

不思議でしょう? ながらく占いを仕事にしてきたのですから、全て占いを中心に考え行動すればよいようなものを。

「エミールは、どこに行ってしまったの?」という声も聞こえそうです。

でも私は今まで、今回のように占い的判断をあえて無視してきたことがありました。

「方位が悪いところに出かけどうなるか、人体実験ですか?」 と聞いてきた人もいましたが、「そうではなくて、ごく一般的なことを基準にして考えると、それが最適な判断になるのですよ」というお答えをしました。

「でも、方位が悪いと嫌な気になりませんか」と更なる質問。

確かにそれはその通りです。 しかしながら、私とてわざわざ最悪の方位を選んで病院選びをするほど、あまのじゃくではありません。

もう避けられないという時には、たとえ方位に多少の問題があっても、その他全体を見渡し、「おおむね良し!」と思ったらアレコレ迷わず勇気を出して決断します。

そうすると、すでに凶方位は自分の中で誤差範囲内と修正されており、手術が成功して、すっかり元気を回復した自分の姿を思い描くことができるのです。

以前、人生の幸不幸の何割かは「想い」が創造する、というようなことをお便りしました。 外界で起こることや存在は客観的な事は、何割かはあるにしても、大半は自分の心に映ったものが判断しているのではないかと思うのです。

言い換えれば観る人の心のなかに在るように、もの事は進んでいるともいえるでしょう。 恋している人は相手の心が見えないといいますが、これは自分自身の心が見えていないので、相手も見えなくなっているのです。

さて、術後…、麻酔が切れると患肢が痛み始め、熱が上がり始めました。 時計の針の進みをことさら遅く感じ、深々と静まる夜、痛みをこらえていると、薄く引いたカーテンの向こうから月が光を投げかけているではありませんか。

この時、母が他界した晩に天から投げかけられてきた慈光を思い出し、気がつくと涙が出ていました。 「おかあさん、見守りにきてくれたのね」…と。 月は退院をするその日まで夜中になると、そっと窓の外にやってきてくれました。その光は天使が与えた薬のように私の体をさすり、子守歌をうたって西の空へとかえってゆくのです。

ところで、退院したときに 「よく、あんな酷い方位に行って無事でしたねぇ」 と辛口のお言葉を頂きましたが、これはどうやら痛烈なる皮肉らしく、未だにこの手の占い師が存在していることには複雑な思いがあります。

「はい、この度は日頃より積み立てている運の貯金がありましたので最高の入院、手術でした」とサラリとかわし、タメ息をひとつ…。

聞くところによれば、読者の皆さんも時折 「方位が悪いからこの計画はつぶれる」、「大凶方位への引っ越しなので家族が病気になる」 など、占い師からの心ない一言で心が折れそうになってしまうことがあるとか…。

しかも、引っ越しをしたばかりに 「方位が悪い」の一言に、頭から血の気が引く思いだったという実話もあり驚くばかりです。

占い師にとっては何気ない一言だったかもしれませんが、相手への配慮が不足していると思わざるを得ない発言であり、せっかく占いを勉強しているのに残念なことだと思います。

これから、占い師への道を歩き始める人がいたら、どうか悩める人たちの心に希望の光を灯し、励ましながら共に歩んでください。

今、私は大地の声を聴きながら日々、一歩一歩、歩くことが楽しみでなりません。この普通のことを思い出すため、もしかしたらあの痛みが必要だったのかもしれません。

あなたの身の周りを囲む、ふつうのことや当たり前のこと。時々、振り返って考えてみるのも良いのではないでしょうか。 凄く大きな目標や壮大なスケールの夢も素敵なことですが、ごくごく普通の日常の中に、あなたを幸せへと導くマスターキーが隠れているかもしれませんよ。

そうそう、冒頭で、空から炎がふってくるみたいと書きましたが、そんな日々にも小さな秋がやってきているようです。

この一週間くらい新宿御苑では急に赤トンボの姿が増えたように感じました。 前にしか進めないトンボにあやかって、私も前にむかって一歩、一歩! リハビリを頑張ります。

追記

今回は「です・ます」調で書いてみました。 これは、「文体は筆者の人格の一部です」という事をテーマにしたエッセイを読み、痛く感銘をうけ、こんなに大切なお手紙なのだから、ひとつひとつを丁寧に。 そのように思ったので、静かにかみしめるように書いてみました。

夕方の新宿御苑、再びここを散策できる幸せを感じています

お話/神野さち(エミール・シェラザード)先生

元記事で読む
の記事をもっとみる