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「読書の効能は想像力を培うこと」。作家・角田光代さんの暮らしと、静かに思考を育んだ心の本。

  • 2023.8.28

日々の過ごし方、仕事の仕方、生活習慣のつくり方、社会や他者との向き合い方など、時間をかけて、その人の暮らしの哲学を形作ってきたのはどんな本なのだろう。作家の角田光代さんは、読書の効能は想像力を培うことであり、それは日常生活の中でも最も大切だと語る。角田さんの暮らしと、心に深く刻まれた本を紹介。

自宅の設計をお願いした建築家には、本を前後に2 冊並べられる奥行きのある本棚だと、奥の本が見えなくなってしまうから、それは避けてほしいという希望だけ伝えて、あとはお任せした。あまり乱雑だと探せなくなるので、緩やかにカテゴリーに分けている。

読むことで他者を知って認めることが生活では重要。

住宅街に立っているのに森の中の小屋を思わせる角田光代さんの自宅。鬱蒼と繁る緑の木々に囲まれて、葉ずれの音以外は何も聞こえず、異空間に吸い込まれるよう。玄関からすぐ右に折れて吹き抜けになった書斎には、壁一面に本棚があり、中2 階に上がる階段に沿って続いている。

「本棚のデザインに特にこだわりがあったわけではなくて、建築家の方にすべてお任せしました」

本の並べ方も、厳格にカテゴリー分けをしているわけではない。もっときちんと並べたいけれど、今はまだその途上という本の森から、書く仕事を目指し、支えられ、糧とするなど、作家・角田光代の哲学をつくった本を選んでもらった。

最初に角田さんが抜き出したのは『ちいさいモモちゃん』。これはまだ子どもだった角田さんが、将来は作家になろうと決めたきっかけの一冊だ。

「保育園時代はとてもシャイで、友達もいないから、休み時間にすることがない。だから本を開いていれば、何かやっているように見えるのではと、ただ眺めていました。そうすると本がだんだん好きになって、小学生で文字がわかるようになったら片っ端から読み始めました。その頃に一番印象的だったのが『ちいさいモモちゃん』です」

押し入れにネズミの国があるなど、大人から見ればファンタジーでも子どもにはそれが自然。だから、書かれていることにリアリティがあった。

「本がこんなに面白いなら、自分もそういうものを書いてみたい、作り出したいと思ったんです」

同じく小学生の頃に読んだ『長くつ下のピッピ』では、行儀の悪いピッピの姿に自分を重ねた。

「内気だった少女が小学生になって、野蛮系にガラッと変わりました。この本を大人になって読み返すと、なぜ自分がブランドの服やジュエリーで着飾るタイプではなく、野放図な人間として生きてきたのか、すとんと納得できた気がしました。それはピッピを読んだからじゃないかなと。野蛮な自分を捨てなくてもいいと思えた気がします」

入浴中に区切りのいい箇所まで読み、続きは翌日に。「シャワーのときはタオルで包んで濡れないようにしています」。ポール・ヴァーゼン著、堀江敏幸訳『ポール・ヴァーゼンの植物標本』(リトルモア)は花の標本とそれに喚起されたエッセイの本。絲山秋子著『まっとうな人生』(河出書房新社)は『逃亡くそたわけ』(講談社文庫)の続編。松浦理英子著『ヒカリ文集』(講談社)は劇団のミューズを元団員たちが回想する長編小説。

活発でエネルギッシュな勢いは、一人旅や冒険への憧れにつながったのかもしれない。1990年に作家デビュー後、’91年にはバックパックを背負って、何の予定も決めずにタイを5 週間旅した。

「それで旅にすっかりハマってしまって。帰国後その気持ちのまま『深夜特急』を読みました。これは旅の良さが詰まった本。いまだに贅沢三昧ではなく、地に足の着いた旅をしたいと思ってしまうのは、自分が貧乏旅行をした経験もあるけれど、この本を読んだことも大きい」

『コミさんほのぼの路線バスの旅』では田中小実昌から旅の自由さを知り、『オーパ!』では開高健の体丸ごとで体験して書く姿勢を学んだ。旅から戻って読んだ『深夜特急』とは反対に、本に感化されて旅をしたことが一度だけある。2000年にモロッコに行ったのは、大竹伸朗の『カスバの男─大竹伸朗モロッコ日記』の影響だ。

「この本では美の捉え方の鋭さが感じ取れました。同じく美しさに夢中になるヘンリー・ダーガーの絵は、不気味でチャーミングでもある。アートというのは目の前にすると何となく構えてしまうものです。作者の意図がわからないなど、ややコンプレックスを抱かせる。でも『偏愛ムラタ美術館展開篇』で村田喜代子さんが漫画の一場面と絵画を比較して楽しんでいるのを読むと、アートを観るのは個人的な体験なんだと気づきました」

また、好きなことを極めて仕事にするとはどういうことなのか、それを考えるきっかけをくれたのは藤子不二雄の『まんが道』だ。

「たとえば締め切りを守るのが辛くなると、好きなことのはずなのにそうではなくなってしまう。でも辛いのに頑張るのはやはり好きな気持ちが根底にあるからなんです。誰かに仕事へのアドバイスを求められたとき、仕事と好きなことのバランスを考えて、と助言するようになりました」

小説家として歩み始めて以降、読むことは何かの形で書くことにも密接に結びついている。内田百閒との初めての出合いだった『間抜けの実在に関する文献』では笑いの表現を、『ノーマル・ピープル』は心情の描写について考えさせられた。

「デビューした頃に読んだ『間抜けの実在に関する文献』は、滑稽なことを大真面目に書いているのがことのほか面白くて、あまりのおかしさに声を出して笑ってしまいました。文章は笑わそうとして書くとつまらないものになるんですよね。『ノーマル・ピープル』は、若い二人のうまくいかない恋愛を言語化する卓越した力に感嘆しました」

吹き抜け上の小さな窓からはデッキの椅子が。
33歳で読んだ『ホテル・ニューハンプシャー』。
田中小実昌著『コミさんほのぼの路線バスの旅』(JTBパブリッシング)は、東京湾周辺や箱根や山陽道をバスで旅するエッセイ集。「行き先を決めずにバスに乗り、終点から折り返して戻ってくるという自由な旅の話」。開高健著『オーパ!』(集英社)は巨魚を釣り上げようとアマゾン川で格闘する60日の記録。「28歳のときにドハマりしました。体を使って体験したことをあの素晴らしい文章にするのは、この作家にしかできない」
初めての自由旅行から帰国して読んだ『深夜特急』。

恋愛の枠を超えたすさまじい愛の姿に驚愕したのは『狂うひと 「死の棘」の妻・島尾ミホ』。

「島尾ミホと島尾敏雄、二人の恋愛の形に度肝を抜かれてしまって。ネガティブな意味ではなく、恋愛は人をどう変えるかわからないくらい、力のあるものなんだと思うに至りました」

『ホテル・ニューハンプシャー』と『永遠と横道世之介』では、人の死について正反対の思考が描かれていることに気づいた。

「アーヴィング作品から、死は生に含まれている一要素なんだと読み取れて、死に対する考えが変わりました。死は大事件だけれど生き物にとっては普通のこと。それあっての私たちの生なのだとシンプルに受け取れるようになりました。反対に世之介シリーズは、死は避けられないのになぜ生きるのか、その答えが書かれていると思います」

さまざまな見方や言い方があると教えてくれるのがフィクション。この2 冊は死について別のことを言っているが、ともに心の琴線に触れてくる。

「読書の一番の効能は想像力を培うこと。読むことで、"私"が世界の中心ではないし、"私"の考えが唯一ではないと知る。つまり他者を知って理解しようとし、理解できなくても認めること。それが日常生活の根源をなす一番重要なことだと私は思っています」

生活に本が直接的に役に立つとは感じない、というけれど、20代で読んだ向田邦子の本からは、洋服や料理など生活の考え方に感銘を受けた。

「『向田邦子 暮しの愉しみ』にその暮らし方がよくまとまっています。女性の一人暮らしを実践し、こんなに楽しいものだと見せてくれた第一人者。生活はただ日常を過ごすことだと思っていましたが、それを楽しむという発想があることを知ったのは、向田さんの著作がきっかけです」

本は何かを知ったり考えるきっかけになったりするものであり、特別に何かをしてくれるわけではない。でも、だからこそ読む。そういう思いが角田さんにはずっとあるという。

「読むことは知らなかった場所をただ訪れるのと似ています。そこに行ったから何かを得たということがなくても、行かなかった以前には戻れない。ときどき、小さなお土産や忘れがたい出会いを得ることはありますが、それは目的ではなく、あくまでも結果。お土産がなくてもいい思い出がなくても、それは全然構わないんです」_

 

photo : Shinsaku Kato text : Akane Watanuki

作家 角田光代
出典 andpremium.jp

1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。’90年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。’96年「まどろむ夜のUFO」で野間文芸新人賞、2003年「空中庭園」で婦人公論文芸賞、’05年「対岸の彼女」で直木賞、’07年「八日目の蟬」で中央公論文芸賞を受賞。他に『ゆうべの食卓』(オレンジページ)など著書多数。

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