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恋愛がうまくいかないことを示す「ベージュフラッグ」とは?

  • 2023.8.28

レッドフラッグは未来の関係の潜在的な毒性を警告しているものだったが、次はベージュフラッグが登場。こちらは退屈な恋愛関係を予告するサインだ。

 

28歳のパトリシアはマッチングアプリで知り合ったマーク(1)としばらくオンライン上でやり取りし、バーチャルなフィーリングは良いと感じていた。「同じようにやり取りしていたほかの男性とはまったく違っていたの。博物館や美術館、旅行、テラスでカフェなど、出かけることが好きだと言っていた。色々な提案もしてくれる、趣味が似た人と出会えたと思ってたわ」と当時の思いを語る。

しかし、初めて顔を合わせた日、何かがおかしい。「スマホを見てばかりで何も質問もしてこなかったの」。それでもまた会おうと言われ同意し、次はパリの国立自然史博物館に誘った。平凡ではないこの場所は少し暗くてデートには最適だ。「気に入らなかったようで、私に直接そう言ってきたわ」とパトリシアは語った。「ほとんどしゃべりもしなかったし、会話も続かなかった」

不愉快で相手に興味を示さない、ケータイばかり見ている……。振り返ってみれば、始まったばかりのこの関係に良い前触れなど何もなかった。理由は明白、彼はベージュフラッグだらけだったのだ。ベージュフラッグは何かって?レッド・フラッグが新しい関係を築き始めた時に危険や毒性を警告しているものに対し、ベージュフラッグはつまらない関係や、自分に合わない関係のサインなのだ。

Tiktokで登場し、オーストラリア出身のケイトリン・マクフェイル@itscaitoがコンセプトを固めたこの傾向。マーケティングとSNSが専門の彼女はマッチングアプリで見られるあらゆるズレ、つまらない小さなサインの目録を面白おかしく作成するためにこの単語を生み出した。ユーモラスで真面目なものではないが、いくつかのベージュフラッグはオンラインの出会いの場以外でも退屈な関係を見つけだす貴重なツールになり得るだろう。恋愛関係のふるいのようなもので、時間を無駄にせず、なんの期待も持てそうにない関係に固執することを避けられるかもしれない。臨床心理学者で精神分析学者のジョセフ・アゴスティニ(2)ともっとも頻繁に見られるフラッグを解説してみた。

ケチ

こんなシーンを想像してみよう。最初のデートで店を出る時、相手はあなたよりも先に席を立ち、あなたに支払わせる。勘定について何も話し合っていないし、相手が払えるのかどうかも知らない中、あなたはただ既成事実を受け入れるしかない。これはケチな人の態度そのものだ。これは支払うすべがなく相手の分をおごることができないと前もって伝えてある人のことではない。相手は支払うことはできるがそうしない人のケースだ。

「人生を楽しむことができない倹約家です」とジョセフ・アゴスティニは説明する。「ケチな側面は人生のあらゆる重要な場面に展開されます」。このような人物は言葉数も制限する傾向にあるかもしれない。自分のことは多く語らず、質問もあまりしない。「親密な関係を築くことができる人物なのか、それともその驚くべき個人主義の上に身構えるタイプの人なのか、考えてみるのが妥当ですし、早めに考えてみた方がいいと思います」と心理学者は言う。

表面的

最初のデートの後、それなりにしゃべったにも関わらず、あまり実がなかったとあなたは感じる。よく考えてみれば、この人について重要なことは何も覚えていないし、月並みな話しかしていない。「空虚な関係のサインかもしれません」とジョセフ・アゴスティニはコメントする。「“この人と2週間バカンスに出かけられるか?”とぜひ想像してみてください。この関係はうまくいかない、早く見切りをつけた方がいいと、バカンスの当日に気付く前にね」

時間がたってもこの新しいパートナー候補が心を開いてくれなければ、この人はどういう人間なのか考えてみる価値はある。心理学者は念を押す。他人に自分の胸の内を明かすのは自分からギフトを差し出す行為なのだ。

過激な理想主義

思想的にあまり共感できなかった会話の後、それをなんとか挽回しようと「いや、そういう意味で言ったんじゃなかった」などと言い訳してくる。「道徳的な価値観に相違があることが明らかになったり、あまりにも強い道徳的観念を表した後で漏らされるこのような言葉は、ふたりの関係に曖昧さをもたらします」とジョセフ・アゴスティニは説明する。寛容的でない考え方に一見見えたものの、はっきりとしないため、こちら側もどう考えたらいいのかわからない。これはベージュフラッグだ。本当に過激な思想を持つ人なのか?疑いがあるなら、その人の考え方や信念についてしっかりと聞いてみて疑いを晴らそう。

ユーモアの欠落

ユーモアは確かに主観的なものだ。しかし自分のジョークになんの反応もないのなら……この人はまったくユーモアのセンスがない人なのか?早すぎる結論を出す前に、目の前にいる人が元気かどうかを確認してみるべきだと心理学者はアドバイスする。何か気がかりがあるからユーモアに反応していない可能性もあるからだ。確認した上でやはり正真正銘のユーモアの欠落なのであれば、これは気をつけるべき大きなベージュフラッグだ。「ユーモアがないとういことは、柔軟性や寛容性がないこととみなすことができます。ユーモアは共有するためのツールであり、ないということは、人生とコンタクトがないこと、身を委ね、一息つくことを知らないことを意味します」とジョセフ・アゴスティニは指摘する。

⑴名前は変えてあります。⑵Joseph Agostini著、『Les chansons d’amour guérissent le cœur du monde (直訳:ラブソングは世界のハートを癒してくれる)』、Robert Laffont社刊。

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