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なぜアナウンサーは「三遊間抜けたー」でなく「抜けていったー」と叫ぶのか…甲子園決勝前に知りたい本当の理由

  • 2023.8.23

まもなく夏の甲子園の決勝戦だ。あなたはこれまでテレビの実況中継に違和感をもったことはないだろうか。ライターの春日和夫さんは「ここ何年も『抜けていったー』『打ってきたー』が気になっている。なぜ『抜けた』『打った』と言い切らずに動詞を重ねるのか。ベテランアナウンサーに話を聞いて、その本当の理由がわかった」という――。

阪神甲子園球場
※写真はイメージです
「七回の攻撃となっていきます」が気になる

ここ何年も、もうずっと感じているのだが、テレビの野球中継での、

「七回の攻撃となっていきます」「外角低めいっぱいに決めてきました」「打っていきます!」「打ってきたー」「走っていった!」「フェンスの向こうに持っていったー」(いずれも今夏、高校野球の地区予選や甲子園の本大会の中継で聞いたもの)

と、こういう動詞を重ねて“現在完了”だか“過去完了”だか“現在進行形”にする実況アナウンスが、気になる。多すぎる。まどろっこしいし、またうるさく感じる。

特に塁間を破った打球には、ほとんどの実況で本当に判で押したように、条件反射的に「抜けていったー」と叫んでいる。

いや、いいんだけど。塁間を抜いたゴロを外野手が捕球しようとしているときや、外野の間を抜けたボールを外野手が追って走っている場面なら、「抜けていったー」にさほど違和感はない。サッカーやラグビーでも「蹴っていきましたー」とやっているし、PGなら「狙ってきます」「長い距離だが決めてきました」が定番。ボクシングも「右ストレート、打っていくー」。バドミントンじゃ「1点差に縮めてきた!」など。

「(打って)(抜けて)行った」には行為者(打者やボクサー、あるいは打球そのもの)の意思や方向性を聞き取れるし、「(狙って)(決めて)来た」には、行為者(キッカーやピッチャー)の狙いや作戦、敢えてする勇気や、「してやったり」「うまくやりやがった」の観も伝わってくる。だから「走ってきたー」は、こっちに向かってきたのではなく、盗塁やエンドランのときに叫ばれるわけだし、それが「走らせてきたー」という使役法に転じるなら、そこに作戦をしかける監督の意向も聞き取るべきなのだ(「走ってきた」も「走らせてきた」も今夏、甲子園大会の中継で聞いたもの)。

そんなの映像もあるんだから、見りゃわかんだろ。そんなの気にしてんの、お前だけだぞ――という声もまた、聞こえるようです。

「打った」「抜けた」でいいのではないか

しかし、である。ホームランを「ライトポール、しかも上のほうに当てていきましたー」なんて言われると、別にポール狙ってねえじゃんよ、とテレビに突っ込んでしまうし、打ち損じを「ファールにしていきました」と言われても、今のカットしたんじゃないだろ、とつぶやいてしまう。「この回(の攻撃)は中軸から始まっていきます」は、率直に、始まってんだろもう、と思うし、「打ち損じていった!」には噴飯した。以上4つはプロ野球中継で聞いた例だが、濫発される「行った」にはこういう何か日本語として変なものもあるから、気になるのだ。粗探しをしているわけではないが、耳障り。

昔のように簡潔な「打った」「抜けた」でいいのではないか、と思うのだ。

90年代にかけて「行った」「来た」が増殖した

であるなら――というわけで、昔の実況をYouTubeで聴いてみた。夏の甲子園。

1980年、愛甲猛の横浜と荒木大輔の早実の決勝戦では、先述した「一二塁間を抜いていきました」と一度言ったのが確認できたくらいで、まず「行った」「来た」は言っていない。81年の金村義明の報徳と荒木の早実の3回戦では、まったく確認できなかった。

が、98年の松坂大輔の横浜とPLとの準々決勝になると……「直球を狙っていきました」「積極的に打っていきました」など相当、かなり、しばしば、頻繁に言っている。

80年代から90年代にかけて、「行った」「来た」が増殖したと考えられる。

その道40年、ベテランアナウンサーの証言

『スポーツ実況の舞台裏』(彩流社 2016年)という著書に、柔道の実況に関して、技を〈かけに「いきました」もあまり意味がないです。「かけます」あるいは「かけました」で十分〉と書いているのをたよりに、四家秀治というアナウンサーに話を聞いた。

スポーツアナウンサーの四家秀治さん。2016年、横浜スタジアムの実況席で。
スポーツアナウンサーの四家秀治さん。2016年、横浜スタジアムの実況席で。

RKB毎日放送やテレビ東京を経て、2011年からフリー。以来スポーツ実況専門で飯を食い続けている人だ。あらゆるスポーツシーンを舌に乗せ、スポーツの魅力を伝えている。2000年のシドニーオリンピックではボクシングとソフトボールを、2003年のラグビーのワールドカップ(オーストラリア大会)を実況した、その道40年、65歳のベテラン。

「ここ20年ほど、民放労連(日本民間放送労働組合連合会)が全国の放送局のアナウンサーを集めて行っている新人研修会で、私はスポーツ実況の講師をやっています。新人アナウンサーの皆が皆、揃って『三遊間を抜けていきました』『右中間、破っていきます』とやります。進行形で臨場感を出したいのでしょうが、『それ、抜けました、だよね』と何度注意しても、『抜けていきました』としか言えなくなっている。無意識でもつい進行形が出て、『抜けました』と普通に言い切れないのです。講師として私が言うのは――下世話な表現ですが若い彼らには響くので――『早漏実況はやめよ』と。そんなにしょっちゅう、すぐにイくな! と」

なぜ「蹴っていきました」はダメなのか

「行った」「来た」花盛りの中継を聞いて育ったから、なりたての新人アナウンサーも「実況とは、そうしゃべるもんだ」と考えているのだろう。以前もそうだったようだ。

「私も新人時代(1983年)、ラグビーの実況練習で『蹴っていきました』とやって、先輩アナウンサーに『蹴って、お前、どこ行くんだ?』と皮肉まじりに問われ、厳しく戒められた。以来私は『行った』は禁句で、後進にもそう指導していますが、新人研修では『なぜダメなのですか?』と聞いてくるやつもいます。それに対し私がいつも言うのが……」

君は、そのイってる間に、次にしゃべる言葉を探してるよね。語尾で時間稼ぎをする習慣がアナウンサーになる前から身に付いちゃってる。せっかくプロフェッショナルのアナウンサーになったんだから、努力をして、そこを言い切る勇気を持つべきなんだ。

――ということだという。こう返された新人はまさに図星で、反論できないそうだ。

たった3文字の間にアナウンサーが考えること

しかし「打ちました」と「打っていきました」は文字にしてわずか3字の差。「たー」とのばしてしゃべったとしても、そんなコンマ何秒かの間に、話すプロであるアナウンサーとはいえ次に言う台詞を考えて頭を回転させることができるのだろうか?

できる……らしい。その3字多いだけのルーティンの間は、しゃべることに意識を集中しなくて済む。そこで、台本など初めからない実況アナウンサーは、頭のなかに次の言葉を浮かび上がらせることが可能なのだという。

また、言葉が浮かばぬまでも、そこで生じた少しの“間”が心の余裕となるらしい。だから無意識でもつい流行の進行形が口をついて出る。

テレビのチャンネルを高校野球に合わせている手元
※写真はイメージです

「ただし私は、それを最初にやった人はすごいと思う」

として、四家アナウンサーは、もはや伝説となったアナウンサーの名を挙げる。

「たぶん最初にそれをやった人は、植草貞夫さんです」

元ABC(朝日放送)の名アナウンサー。1999年に引退するまで、44年間スポーツ実況をやり続けた人。夏の甲子園の決勝を1960年から88年まで(ミュンヘンオリンピック派遣の72年を除き)28年担当。話した甲子園大会の試合数は500を超えるという。

一般的に甲子園中継といえばNHKだが、関西では春の選抜はMBS(毎日放送)、夏はABCが、NHKと並行して中継していた。テレビ朝日系列で夜にダイジェスト番組「熱闘甲子園」が観られるのはそのためだが、YouTubeで確認してみたここ40年ばかりの過去の試合がNHKのものかABCのものか、私では判断がつかない。

伝説のアナウンサーの名言

「青い空、白い雲」のフレーズで始まる“植草節”の甲子園実況は、「ホームランか? ホームランだ。恐ろしい。両手を挙げた。甲子園は清原(和博)のためにあるのか」に代表される名言を多く残した。プロ野球中継でも、阪神タイガースが21年ぶりにリーグ優勝した85年、甲子園の“バックスクリーン3連発”の実況で、岡田彰布が放った3発目を「センターへ。こぉーれも行くのか? こぉーれも行くのか? こーれも行ったー!」と伝えた“植草節”も耳に残る。甲子園実況は植草貞夫のためにあった。四家アナも言う。

「植草貞夫さんは、『投げた打ったー』と『投げた』と『打った』が一緒になる実況アナウンスが有名ですが、実は『行った』もかなり言っていて、『投げた打ったー』『走っていきました! ランナー、三塁を回ってホームに入っていきました』……というように『行きました』を箇条書き形で連ねた。

もちろん植草さんのは時間稼ぎなんかではなく、『演出』として進行形の連発を淡々とやっていた。そして試合が動くとき、トーンもスピードも上げ、進行形も使ったり使わなかったりと変化をつけ、一気にまくしたててプレーを盛り上げた。だから進行形の連発も鬱陶しく感じない。それは植草さんにしかできない『演出』だったからです」

ただその影響力は強く、「演出」だった進行形が後輩アナウンサーたちによってABCのスタイルになり、また未熟なアナウンサーにとって進行形は、実際使ってみるととても便利であり、それが局の壁を越えて蔓延したのではないか――と四家アナは考えている。

その影響力は強く、一時期、ABCの後輩アナウンサーたちは皆、植草調だったといわれるし、それがやがて局や競技種目の壁を越え、さまざまな実況に広がっていった――あ、「行った」と書いてしまったな――。

格闘技の実況は野球以上

もうひとりのレジェンドの存在も、四家アナは指摘する。80年代、プロレス実況で爆発的な人気を獲得した、元テレビ朝日の古舘伊知郎アナウンサー。

この人も進行形を多用。多くの格闘技ファンは古舘ファンとなり、古舘ファンは格闘技ファンとなり、今の格闘技のアナウンサーも「(技を)かけていったー」「投げていったー」「ロープに飛ばしていったー」「抑えていったー」と行きっぱなし。他のスポーツと比べても格闘技での「行った」「来た」の頻度は群を抜き、もはや野球以上だ。

ボクシングのリング
※写真はイメージです
スポーツ実況で長く使われた「○○であります」

他に古舘アナがプロレス実況で多用したのが、「○○であります」というフレーズだったが、この「あります」が実は、「行った」「来た」の濫発に関係しているという。

「です」というところを「あります」というのは、元は長州弁らしい。明治、日本が近代国民国家となり国民皆兵の制度が敷かれると、各地の出身者で構成される国軍の共通語が必要になり、陸軍を牛耳る長州閥の方言「あります」がその役目を果たしたという。

やがて公式な場所での発言にも伝播して、国会答弁や冠婚葬祭のあいさつなど、改まった席になればなるほど、「あります」が使われた。

そしてなぜか、戦後のスポーツ実況にそれが根強く長く残ってしまう。

1964年の東京オリンピックの実況は、「あります」のオンパレード。実況アナウンサーはなかなか「あります」から脱却できなかった。

「80年代に入ると、“植草節”から『あります』は減っていましたが、古臭くなりつつあったこの『あります』を、独特の言い回しや進行形とともにあえて多用し新しく完成させた“古舘節”が、それまでのまどろっこしいプロレス中継をまったく新しいスタイルに変えました」

「あります」は……野球中継ならカメラはネット裏からの投手―捕手間にほぼ固定され、その“画”に合わせゆったり話していた70年代半ばまではまだ実況の主流だった。

が、発する情報量が増えてテレビがにぎやかになり、饒舌化早口化した80年代になると、“古舘節”のなかにこそ性格を変えて生き残っていたが、それが人気を博したのと同時期に、”今”っぽくない語調が嫌われたのか、昭和いっぱいをもってやっと消滅した。

グラウンドの上に落ちている野球ボール
※写真はイメージです
「行った」「来た」はアナウンサーの甘え

ただ、この「あります」が実況で使われ続けた理由は、ていねいな言い回しに聞こえることもあるが、実際のところ「です」を「あります」と言っている間に時間が稼げ、アナウンサーが次の言葉を考えられたからだ、と四家アナは言う。

「『行った』『来た』と同じ。語尾による時間稼ぎ。古い『あります』が『行った』『来た』に取って代わられたのです。“植草節”も“古舘節”も、誰もやったことのない実況スタイルを最初にやり、それをひとつの新しいかたちとして完成させた画期的なものだったのですが、その断片だけ真似て、緩急も考えず誰もが無意識に発する『行った』『来た』は、研鑽とは逆の甘えです。アナウンサーは努力してこれを克服するべきだと思います」

スポーツ実況の現場よ、語尾にいろいろ付属させないで、すぱっと言い切ってほしい。そうすれば野球ファンの視聴者に、首をひねらせる瞬間をつくらせずとも済む。

春日 和夫(かすが・かずお)
フリーランスライター
1961年千葉県生まれ。同志社大学法学部卒。雑誌編集者を経て、フリーのライター・編集者。著書に『食品公害・農薬汚染 揺れる「食」の安全』(一橋出版)『江戸・東京88の謎』(だいわ文庫)など。現在、飢餓に立ち向かった、風変わりな冒険家の生涯を(長年にわたり)取材継続中。

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