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「いい子」の反撃。その結末は...。身近な「むかつき」から始まる物語。

  • 2023.8.20
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昨年、『おいしいごはんが食べられますように』で第167回芥川賞を受賞した高瀬隼子さん。食べることを通して職場の微妙な人間関係を描いた作品だが、その予定調和ではないストーリー展開が印象的だった。

このたび、芥川賞受賞第一作『いい子のあくび』(集英社)が刊行された。本書は、真面目に生きながら何かしらの「むかつき」を抱える女性たちが、時に物騒で、時に謎めいた行動をとる3話(「いい子のあくび」「お供え」「末永い幸せ」)を収録した一冊。

高瀬さんは芥川賞の受賞会見で、つらいことやむかつくことを小説の中ですくいとっていけたら、と語っていた。本作も「むかつきながら書いた」そうだが、むかつく・小説を書くというのがなんとも新鮮で、興味が湧いた。

心はばらばら

ここでは、公私ともに「いい子」が「むかつき」を抑えきれなくなる表題作「いい子のあくび」を紹介する。

「わざとやってるんじゃなくて、いいことも、にこにこしちゃうのも、しちゃうから、しちゃうだけなの」――。

佐元(さもと)直子は、人より先に気がつき、愛想がよく、「いい子」だと思われている。表情もリアクションも声色も、この状況にはこの自分、この相手にはこの自分、という具合に演じ分け、徹底的に自身を演出している。

「人質でも取られているみたいにいい子にするよね、なんでそんななん」「しゃあないやんそうしてしまうんじゃけん」......誰? と思ったら、どちらも直子だった。彼女の中には、「いい子」の自分に突っ込む自分も、突っ込んでくる自分に言い訳をする「いい子」の自分もいる。

本能的に「いい子」であろうとする直子は、顔の原形がなくなるほど四六時中「着ぐるみ」をかぶっている。心の中では、職場の先輩が不幸になりますようにと祈ったり、自分と結婚したいと言う彼氏(中学校に勤務)に「みる目ないな、教師のくせに」と思ったりしている。

「自分の中には心が本当に二つあるのだと思う。」
「心は、どうしてこんなにばらばらなんだろう。」

渾身の「ぶつかったる。」

そんな直子がとりわけむかついているのが、歩きスマホ。駅や街中ですれ違う時、歩きスマホをしている人間は直子をまったくよけようとしない。ぶつからないように、いつも自分がよけるようにしている。なぜこちらがそうしないといけないのか。納得がいかないのだった。

ある日、男子中学生がスマホを見ながら自転車をのろのろと漕いで近づいてくる状況で、直子は思った。「ぶつかったる。」――。そのままよけなかったので本当にぶつかり、自分は軽い怪我をして、中学生は自転車ごと倒れた。

「間違わなかった、正しいことをした、社会がどうとかではなく、わたしがわたしのために正しいことをした、と思った。(中略)あの中学生に、わたしが何かしてあげるのは、なんか、おかしい。だからよけなくて良かった。怪我をしてでも、あの子のためにわたしが何かしてあげたりしなくて良かった。」

個人的には、歩きスマホをしている人とすれ違う環境にはいないが、直子の「むかつき」には身に覚えがあった。狭い車道でどっちが停まるの、エレベーターで誰がボタンを押すの、という通りすがりの人との微妙な駆け引きは、わりとよくある。

自分がされたぶんを、他人にも

「いい子」にも「やな子」にも完全にはなりきれず、「ばらばらな心」を持て余している直子。「いい子」ゆえに、理不尽だ、割に合わない、と感じることが多く、「むかつき」は溜まる一方。「ぶつかったる。」は、世の中への直子の反撃なのだった。

「よけない」と決めてそれを何度か実行に移していた直子は、ある日窮地に立たされることになる。

「なんでわたしだけ、と思う。(中略)自分が傷つけられたぶん、囚われたぶん、取られたぶん、削られたぶん、薄められたぶん。同じだけを他人にも、と思う。だっておかしい。割に合わない。」

つい「いい子」を演じてしまうのも、心にムラがあるのも、なんでわたしだけと憤るのも、よくわかる。ただ、現実の世界で反撃に出るわけにもいかない。本書は、くすぶっているけど直子のようにはなれない、そんな「いい子」のための物語。

「直子もそうですが、ぐるぐるぐるぐる考え続ける登場人物を出しがちで、そういう主人公が書きやすいんだなと最近思います。(中略)単にぐるぐる考えてしまうことが私にもよくあるので、そこは似ているかもしれないですね。」
(集英社 文芸ステーション 『いい子のあくび』刊行記念インタビューより)

読みながら、直子はここまで考えるのか......と思った(時にぎょっとした)が、高瀬さんもそのようだ。身近な「むかつき」を小説に、という着眼点が面白い。物語を通して見ると、日々のしんどい感情も悪くないものに思えてくる。

■高瀬隼子さんプロフィール
たかせ・じゅんこ/1988年愛媛県生まれ。東京都在住。立命館大学文学部卒業。2019年「犬のかたちをしているもの」で第43回すばる文学賞を受賞。2022年「おいしいごはんが食べられますように」で第167回芥川賞を受賞。著書に『犬のかたちをしているもの』(単行本/文庫)、『水たまりで息をする』、『おいしいごはんが食べられますように』がある。

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