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「35歳なら子供が2人いて当たり前」男も女も生きづらくなる日本の"年齢縛り"はなぜ根強いのか

  • 2023.8.19
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令和の世にいまだ強く残る「結婚」のプレッシャー。日独の文化比較をしているサンドラ・へフェリンさんは「日本で暮らしていると、ドイツや他の欧米諸国より『結婚はするべき』というプレッシャーが強い。『結婚できないのでは』という悩みを抱えている女性も多いが、そもそも結婚とは能力なのだろうか」という――。

※本稿は、サンドラ・へフェリン『ドイツの女性はヒールを履かない』(自由国民社)の一部を再編集したものです。

日本の「結婚できる」「結婚できない」の違和感

今独身の人の中には、結婚生活を夢見ている人、どうしても結婚したいというわけではないものの、経験として一度は結婚してみたい人、結婚する気はゼロの人、とりあえず流れに任せている人……など様々です。

既婚者に関しても、結婚して良かった、この人と結婚して良かった、と考える人、こんなに大変ならば独身のほうが良かった、または、違う人と結婚していればなあ、と考える人、本当に様々……。

ドイツと違うところと言えば、日本のほうが結婚というものについて、なんとなく「しなくてはならない」という雰囲気が社会にあることでしょうか。

時代は令和ですから、ふた昔前の昭和の時代のように、上司が出てきて、自分の部下に「この子(女の子)どうだい?」なんて言うことはなくなってきています。お見合いも少なくなりました。娘のいる親でも「結婚は娘の好きなように」と子供に任せている人が多いです。でもそうはいっても、心のどこかに「娘が好きな人と出会って幸せになってくれればいいな」つまりは結婚してくれればいいな、という望みを抱いている親が多いのもまた確かです。

日本では「幸せになる」という言葉がイコール「結婚をする」という文脈で使われることが多いです。だから「幸せになりたい!」と前向きに考える女子であればあるほど婚活をし、結婚というものに使うエネルギーが大きいです。

新郎新婦
※写真はイメージです
そもそも「結婚」って「能力」ですか?

そんな中で気になること。それは「結婚できる」という言い回しです。

当事者が「このままで……私、結婚できるのでしょうか?」という言い方をすることもあれば、インターネットの悩み相談の掲示板に「性格の悪い誰々さんという女性が結婚できたのに、なぜ私は結婚できないのでしょうか。」と書かれていたり。この「結婚できる」「結婚できない」というフレーズはよく目にするのです。インターネットはもちろん、ふだんの女子同士の会話でもよく「結婚できる」またはその逆の「結婚できない」という言い回しを耳にします。

でも「結婚しない」という言い方はまだしも「結婚できない」という言い方は、ニュアンスとしてちょっと気になります。

「何々ができる」とか「何々ができない」という言い方は、何か能力に長けていたり、能力が欠如したりしている際に使われがちな言葉だけに、なんだか引っかかるのです。数学ができる、数学ができない、英語ができる、英語ができない、逆上がりができる、逆上がりができない……というような「能力」をジャッジするときに使われる言葉だからです。

根強く残る「結婚できて一人前」という価値観

もしも結婚することがその人の「能力」なのであれば、独身で一人で生きていくことも同様に一つの「能力」だと思います。

例えば独身で一人暮らしをしていると、同居人がいるよりも生活費が割高になりますし、親からお金の援助を受けていない限り、金銭的なことも全て本人に責任があるわけです。お金の面だけを見れば、「独身の一人暮らし」のほうが「結婚している人」よりも能力が高いという見方ができるのではないでしょうか。

「結婚できる」「結婚できない」はもしかしたら、私が上に書いたような「具体的な能力」を指すものではないのかもしれません。結婚している人が「なんとなく」一人前と見なされ、結婚しているほうが「なんとなく」親も安心する。論理云々ではなく、これは空気の問題です。

「結婚」についての雑音は聞き逃してストレスをためない

でもそういった雰囲気に染まるも染まらないも自分次第。無言のプレッシャーのようなものにとらわれ過ぎると、知らないあいだに自分の中でストレスがたまってしまいます。

ここは、自分に対してはっきりと「私は自分流で行きます!」と宣言しましょう。声に出して言うのもよし、日記に自分用の記録として残すのもよし。

「あの人は結婚できないよね」「あの人は普通に結婚できそうだよね」という会話が聞こえてきたら、聞き逃してしまうのが一番。

ドイツの言い回しに「片方の耳から入ったものは、もう片方の耳から出ていく」という言い回しがあります。要は片方の耳から入ってきた雑音は、自分の中でためずに、もう片方の耳から出してしまえばいいのです。いい意味で「聞き逃しができる」女性になりたいものです。

耳を覆う女性
※写真はイメージです

独身の人は結婚している人を前にしたとき、何か自分が劣っていると思う必要は全くないですし、既婚者も独身の人に会ったとき「私のほうが上」とやってしまわないように気を付けたいものです。女子同士の「マウンティング」には「結婚」が使われることが多いことを自覚しておきましょう。

日本では「結婚できない」と思われる男性も生きづらい

ちなみに、「A子は普通に結婚できそう」という文章も、「B子って、結婚できないよね」という文章も、そのニュアンスが正確に伝わる形でドイツ語に訳すのは難しいのです。それは「結婚することは何よりも価値のあること」と考えるドイツ人があまりいないからです。

結婚たるものは、するのもあり、しないのもあり。イチイチ能力と結び付ける考え方をしないほうが人生は楽しめます。

これは女性だけではなく男性もしかりです。

メディアが取り上げる「結婚できない男性」はコミュニケーション能力がなかったり、収入が不安定だったりなどといったテーマと結び付けられがちなため、結婚できない男性イコール能力が伴わない人(逆に結婚できる男性はこれらのことをクリアしている男性)ととらえられることが少なくありません。

でもこれも残念な現象です。結婚をしている人がそんなに素晴らしくて人格者なのなら、世の中に既婚の犯罪者などいないはずです。

それにしても、繰り返しになりますが、日本ではヨーロッパ(主に北ヨーロッパ)と比べると「結婚」にこだわるなあ……と思います。先の男性の例を挙げれば、収入が不安定ならば、それを何とかしたいというのは自然ですし、コミュニケーション能力がないことに悩んでいるのなら、それを何とかしたい、というのも自然な流れなのかもしれません。

ただし、それらのことを「結婚できるために、直したい」(または親側が、直させたい)というのはなんだかなあ……と思うのでした。

自分に合った生き方……それを考えた上での選択なのであれば、結婚があっても、なくてもどちらでもよいのではないでしょうか。

子供と自宅で遊ぶ
※写真はイメージです
良い意味でドライ、自由なドイツの「親」たち

「そろそろ孫の顔が見たい」……このような親がドイツでは少ないのも、プレッシャーが少ない理由かもしれません。ドイツの親世代は、自分たちの趣味や恋愛を楽しんでいるので「自分の子供が子供を産むか」にはあまり興味がありません。

「あなたが子供を産まないと、この家は途絶える」このような考えをする人は今の日本では少なくなってきている……と思いたいところですが、潜在的に「家」の呪縛はあるようなのです。

結婚のストレスから解放されて自由に生きるには

でも結婚をしたら、結婚生活をおくるのは自分。そして当たり前ですが、子供を産んだら、子育てをするのも自分。なので「結婚をするかしないか」「子供を産むか産まないか」については、最後まで自分の意思を優先し、親や親族の言うことは聞き逃しておいたほうがよいかもしれません。

ストレスから解放されて自由に生きるには、自分を縛りそうな数々の呪縛に対してきっぱり「ノー」を心の中に持つことが大事。そんなことが癒やしある生活の第一歩です。

私たちは日々様々な「雑音」に取り囲まれています。仕事でのプレッシャーは多かれ少なかれ誰にでもあるので、プライベートでのプレッシャーは少なければ少ないほど良い。人生においてプレッシャーが少なければ少ないほど、ストレスのない自由な生活ができます。そんなことを自覚して自分の心も身体も大切にしてみませんか?

目をこする女性
※写真はイメージです
視野が狭くならないように心がける

楽らくな生き方というと、「悪い意味で、頑張らない人」というふうにとらえられてしまうことがあります。今から書くことは「何に関しても手を抜く」という話ではなく、手を抜けるところは上手に手を抜いて、気持ちに余裕のある生き方を目指そうというお話です。

私たちは毎日、仕事や自分の家族のことなど、身の回りのことに集中して生きています。そんな中で視野が狭くなってしまうことがあります。私自身も気が付いたら、自分の半径50メートルぐらいのモノや人にしか興味を示さない毎日になってしまっていた……なんていう経験が何カ月かに一度あるのです。

私の場合は「仕事関係の人としか会わない」というように「特定の人たち」としか会わない日が続くと、自分の視野が狭くなってきているな、と感じます。子供がいる女性の場合は、例えばママ友を中心に人間関係を築いていたら、いつの間にかそのグループの価値観に自分も染まってしまうこともあります。

今の生活の中で窮屈だと思える状況になったら、自分自身で次のことを意識することで、気はグンと楽になります。

それは、今自分の周りに起きていることは、世界の、いえ日本の【あくまでも一部】だということを意識することです。

年齢ごとの課題をクリアできるかどうかにこだわる日本

日本では、【就職活動】ひとつをとっても、全員が同じ年齢で(大学3年生のある時期に)就職活動をする、というように「人と同じタイミングで同じことをする」というシステムが出来上がってしまっているため、少しでも、時期がずれたり、人と違ったりすると疎外感を抱きやすい人が多いようです。こういったことを【世界レベルでは些細なこと】と意識することでだいぶ楽になります。

日本では、【年齢】にまつわる実際の縛りもあります。小学校入学に関しては、4月1日までに6歳になった子供が小学校に入学します。4月2日に生まれた子供は来年の入学になります。

日本の小学校やその後続く中学校や高校で、ドイツのような落第はまれですから、6年生を2回やった、とか中学2年生を2回やった、という人も少なく、高校卒業時には(ほぼ)全員が18歳、そして大学に上がるときも(ほぼ)全員が18歳。就職活動を始める時期も年齢もみんなほぼ一緒で、(大卒の)「新入社員」も全員22歳か23歳です。日本で教育を受けると、「何歳でこれをするべき」という「枠」に当てはめようとする考えになりがちです。

不妊治療の悩みも日本ではよりシリアスに感じられる

唐突ですが、日本で不妊治療をしたり、子供ができないことを真剣に悩む女性の多さに驚いています。ドイツにももちろん子供ができないことを悩んだり、不妊治療をしている人はいます。でも、日本の深刻度は凄いのです。日本の場合、不妊治療は非常にセンシティブなテーマであり、例えば複数の女性で集まったときに、誰かに子供がいて、その一方で誰かに子供がいなかったりすると、会話の内容によってはなかなかシビアなムードになることも。

妊娠検査薬を持ち悲しむ女性
※写真はイメージです

その背景には、日本人がドイツを含む欧米人よりも「血のつながりを重視する」(日本で養子は欧米よりも少ない)という点、「日本では『家』を大事にする」(両親から「孫はまだ?」と催促があったりする)という点など様々な理由がありますが、一つの大きな理由は、やはり日本になんとなく根付いている「何歳になったら、これをしなければいけない」という潜在的な価値観が関係していると思うのです。

ドイツ人は「何歳だから」という考え方とは無縁

「35歳になったら、二人ぐらい子供がいるのが当然」と思いながら今まで生活してきたならば、35歳になって子供がいなければ、悩む場合もあるでしょう。ドイツ人の場合は、「何歳でこうあるべき」という考え方をあまりしないので、よほど子供好きの人でなければ、35歳で子供がいなくても、日本のように深刻に悩むことはないわけです(もちろん人によりますし個人差があります)。

サンドラ・へフェリン『ドイツの女性はヒールを履かない』(自由国民社)
サンドラ・へフェリン『ドイツの女性はヒールを履かない』(自由国民社)

そのような流れから、「この年齢になったら、孫がいるはず」という考えもドイツにはあまりないため、子供に「早く子供を」と迫る親はあまりいません。

自分のことを考えるときに「30歳なのに独身」「35歳なのに子供がいない」というふうに自分で自分を苦しめているのだとしたら、そんな必要は全くないわけです。

悩みの発端となりやすい「何歳のときにはこうであるべき」という呪縛からいったん離れてみませんか。

私自身は「ドイツと日本のハーフ」という立場であることから、「ふつうのドイツ人」や「ふつうの日本人」と違うことを長年悩んできましたが、この「ふつうはこう」という「常識」から離れたときに、自分のペースで歩き始めることができた気がします。

サンドラ・ヘフェリン(さんどら・へふぇりん)
著述家・コラムニスト
ドイツ・ミュンヘン出身。日本語とドイツ語の両方が母国語。自身が日独ハーフであることから、「ハーフ」にまつわる問題に興味を持ち、「多文化共生」をテーマに執筆活動をしている。著書に『体育会系 日本を蝕む病』(光文社新書)、『なぜ外国人女性は前髪を作らないのか』(中央公論新社)、『ほんとうの多様性についての話をしよう』(旬報社)など。新刊に『ドイツの女性はヒールを履かない~無理しない、ストレスから自由になる生き方』(自由国民社)がある。 ホームページ「ハーフを考えよう!」

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