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キノコ雲を茶化すアメリカ人の感覚とは…日本の"甘やかし"が生んだ「バーベンハイマー」騒動の根深さ

  • 2023.8.18

アメリカで7月21日に公開された映画『バービー』と『オッペンハイマー』両作品の画像をコラージュしたファンアートがSNSで次々と拡散された。コラムニストの河崎環さんは、「米国人の間では、『原爆投下は戦争の終結を早めた英断だった』との認識があり、原爆の犠牲の大きさやむごさが知られていないからだろう。そしてそれは、日本が真正面から原爆の凄惨を訴え知らしめ、抗議することを避けてきた結果でもある」という――。

2023年7月21日の公開当日、アメリカ・ハリウッドの劇場兼映画館、チャイニーズシアターに掲げられた『オッペンハイマー』の看板と、『バービー』のポスター
2023年7月21日の公開当日、アメリカ・ハリウッドの劇場兼映画館、チャイニーズシアターに掲げられた『オッペンハイマー』の看板と、『バービー』のポスター
『バービー』と『オッペンハイマー』で「バーベンハイマー」

「バーベンハイマー」と聞いても、何のことやらピンとこない読者の方が多いのではないか。

7月21日、米国ではグレタ・ガーウィグ監督の映画『バービー』とクリストファー・ノーラン監督の『オッペンハイマー』が同日公開された。

実写版『バービー』は、米国文化を代表する着せ替え人形バービーが、現実社会や人形界が浸ってきた過去の価値観に疑問を持ち変革に乗り出すという、覚醒と女性エンパワーメントの話。他方、『オッペンハイマー』は、原爆の父として知られた米国人科学者J・ロバート・オッペンハイマーが、第2次世界対戦中に「マンハッタン計画」の要であるロスアラモス研究所での原子爆弾開発製造を率いたのち、核兵器を世に送り出したことへの良心の呵責かしゃくに苛まれ続けた生涯を描く大作だ。

しかし『バービー』が先日8月11日に日本公開を迎えたのとは対照的に、『オッペンハイマー』は原爆開発というデリケートなテーマゆえ(と理解されている)、日本では公開未定となっていることも映画好きの間では話題になっていた。

そんなまったくテーマの異なる2作だが、60年ぶりといわれるハリウッドの大規模なストライキが7月14日に開始した中での波乱の公開ということもあり、興行に勢いをつける目的もあったのだろう。米国の映画ファンの間で、一種のお祭り騒ぎが起きた。

米国X(Twitter)上で、映画ファンたちが映画『バービー』と『オッペンハイマー』を掛け合わせて「#Barbenheimer」(バーベンハイマー)とのハッシュタグを作り、2作の映画ビジュアルをコラージュするファンアートが続々と拡散されたのだ。

米ワーナーが「忘れられない夏になりそう」

原爆のキノコ雲を模したヘアスタイルのバービーや、灼熱しゃくねつの炎を背負ったオッペンハイマーの肩に乗るバービー、キノコ雲を背景にポーズを取るバービーなど、ユーザが無邪気な盛り上がりぶりを見せる中、米国『バービー』配給元であるワーナー・ブラザースの公式アカウントも「忘れられない夏になりそう」等の好意的な返信をする姿があった。

ところが、膨大な数の民間人犠牲者を出した原爆の象徴であるキノコ雲などを茶化した投稿の数々に違和感や不快感を訴える声が日米双方から上がり、日本の配給元であるワーナー ブラザース ジャパンが米国公式アカウントによる不適切投稿を謝罪。米ワーナー本社からも「配慮に欠けたソーシャルメディアへの投稿を遺憾に思っている。スタジオより深くおわびする」との異例の謝罪文が世界へ向けてリリースされた。

原爆が無邪気にミーム化されてしまった

このように、一つのテーマがSNSなどのネット上でユーザたちに繰り返し「いじられる」ことを「ネットミーム化」と呼ぶ。「#Barbenheimer」で原爆が無邪気にミーム化されたことの背景には、米国のネット社会に原爆というテーマをシリアスに捉える意識、さらに言えば「これは誰かを悲しませる、あるいは怒らせるから避けるべき」というリスク意識が広くは共有されていなかったことがあるだろう。

一口に「米国X(Twitter)ユーザー」、と括ったところで、どこの誰が、どのような経験から「#Barbenheimer」に参加したのかは、人種や性別や年齢も含めてさまざまであることは想像に難くない。それだけに、米国内のごく一般的な認識として原爆がそれほどセンシティブな話題だと捉えられていなかったことが炙り出される。

その下で何十万という民間人が一瞬で存在を吹き飛ばされ、灼熱に焼かれた恐ろしいキノコ雲を、まるでファッションのような軽いもの、デザインの一つとして捉えてしまう感性。これはその犠牲の大きさむごさ、あまりに凄惨せいさんな光景、その後何代にも渡る後遺症など、ヒロシマナガサキの悲しみ苦しみが米国民の間で「学習されていない」からだ。あのキノコ雲に対して、特撮ドラマや映画やゲームで敵を吹き飛ばす「ドッカーン」なんて無邪気なナパーム弾爆発のすごく大きいやつ、程度の認識しかないからだ。

この話を茶化せば誰が悲しみ、誰が怒り出すか、を想像できない。

根底に流れる「原爆は正義」の認識

だがそんな彼らも、黒人差別やナチスによるユダヤ人迫害が相手だったなら茶化したりしない。それはBLM(ブラック・ライブズ・マター、米国で起きた黒人差別抗議運動)や、アウシュビッツ収容所などで起きたユダヤ人迫害の歴史再話を通して、被害者たちがしっかりと怒りと悲しみを非当事者に向けても伝え、主張してきたからだ。むごさや理不尽に対する怒りや悲しみが、具体的な像を伴って伝えられているからである。

凄惨な犠牲を生んだ原爆が「ジョークにしてはいけないもの」として伝わっていないのは、米国人の間に「原爆投下は戦争の終結を早めた英断、正義だった」との認識が広く共有されてきたからというのが、大きな理由である。原爆は、軍国主義に狂った日本があれ以上愚かな残虐行為を続けないよう食い止めた必要悪であったとの意見を持つ人は、実は欧米知識層の中にも決して少なくはない。

それは、1995年に米スミソニアン博物館が「原爆展」で核兵器が現代社会に持つ意味をあらためて問い直そうと企画したところ、米国内(特に退役軍人会)からの猛反発で大幅な内容修正を余儀なくされたことからも理解できるだろう。キノコ雲は、広島に原子爆弾「リトルボーイ」を投下したエノラ・ゲイ機と同様、長らく第2次世界大戦におけるアメリカ軍の勝利と栄光の象徴としての役割を果たしてきたのだ。

原爆ドーム
※写真はイメージです
「敗戦国日本」の苦しい戦争総括

1945年は政治的な配慮から「終戦の年」と呼ばれるが、正しくは敗戦の年である。日本は戦争に負けた。その後約80年、日本に原爆を落とした米国の安全保障の傘の下で守られ経済的繁栄を享受「させてもらう」中で敗戦の悲惨な記憶や米国に対する被害感情を曖昧に溶かし込み忘れていった日本は、いまやどれほどの真剣さで自らを敗戦国であると受け止められているだろうか。

国連の公用語は英語、フランス語、中国語、ロシア語、スペイン語、アラビア語の6カ国語。ドイツ語やイタリア語や日本語など、敗戦国の言語はひとつとして国連の公用語には採用されない。第2次世界大戦の戦勝国が「第2次世界大戦を防げなかった国際連盟の反省を踏まえて」組織した国際連合に、敗戦国の言語が公用語に採用される理由はない。

だが、日本が国際社会から裁きを受け自らの戦争犯罪を誠実に受け入れることと、あの後約80年、世界で二度と使われないほどの非人道的な戦争兵器で日本の民間人が焼かれ消滅させられたことを「自業自得である」などとされるのを唯々諾々と受け入れるのは全く別の問題だ。

「唯一の戦争被爆国」として主張すべきこと

核兵器の使用は、戦時の日本が(他の枢軸国――ナチスドイツやファシズム体制下のイタリアが欧州では絶対悪として遠慮や躊躇なく非難されるのと同様に)どれだけ「邪悪」であったと断罪されようとも、だからといって非人道的なレベルの犠牲を生むとあらかじめ知られていた核兵器の使用が「必然」や「自業自得」であるとは受け入れられない。日本は残酷すぎる非人道的兵器を実際に使用され、間違いなく地獄と呼べる光景を自分たちの国土で目撃した唯一の戦争被爆国として、そんなまっとうな主張をする資格がある。

しかし「属国」として戦後再生した日本では、国際社会に向けての、正確には米国に向けての、そんなまっとうな主張が政治的に回避される時代が長すぎた。

米国の占領下、影響下にあっての戦争総括は、当然のごとく、実に苦し紛れにゆがんだ道のりをたどった。米国の傘の下で原爆使用の歴史的事実や核兵器開発に厳然と異を唱える難しさ。「彼らの目の前で、彼らの言葉で」核兵器の悲惨を伝え毅然きぜんと抗議するという政治的作業が回避されてきたのは、安全保障の傘に庇護してもらう代償だったのだ。

「戦勝国」米国の核兵器投下を「敗戦国」日本が真正面から問い直すというそんな気まずさを避け、日本人は代わりに国内で、国内に向けて、戦争や核の悲劇を感情的、抒情的に舐め合うような「反戦教育」を続け、やがてそれらも「偏っている」として教育の現場から姿を消した。世代を継いで戦争の悲惨を語ることが、「戦争を正確に伝える」のではなく、「反戦」や「愛国」や「歴史観論争」というイデオロギーの道具にされてしまったことで、戦争はセンシティブで厄介な話題との印象を生み、戦争再話が教育の現場から消えていったのは否定できないだろう。

日本の、伝える努力の軽視と不足

日本という国、というよりも日本社会が宿痾として抱える交渉、抗議ベタ。それは謙虚なのではなく、異なる文化に対して伝える努力の軽視と不足だ。

空気を読んで言外の意を敏感に察する日本とは異なり、「交渉するための言語」たるヨーロッパ言語のカルチャーでは、声を上げ、真正面から抗議し闘って初めて、相手からの敬意を得る。敬意とは勝ち取るものなのだ。それゆえに、真正面から原爆の凄惨せいさんを訴え知らしめ、毅然と抗議するという「気まずい」作業を避ける時代の長かった曖昧な日本は、今回のバーベンハイマー事件で米国の一般Xユーザから、ある意味「受けるべき扱いを受けた」のだとも感じられた。

現職の米国大統領として歴代で初めて広島を訪問したバラク・オバマが、「空から死が落ちてきて、世界が変わった」と演説したのは2016年5月のことだ。「道義」「道徳的」との言葉を使った詩的な演説は聞く者の胸を打ち、被爆者を抱きかかえる姿を収めた写真とともに世界中へ「核兵器を廃絶する(かもしれない)平和な世界構築へ向けた画期的な一歩」との印象を届けたが、米国の核使用に対する謝罪はなかった。

当時、英BBCは「確かにその演説は高邁な理想にあふれてはいたが、世界最大級の核兵器備蓄量を誇る国の最高司令官であることには変わりないと指摘する人もいるだろう。しかもその核兵器の備えを刷新するため、数十億ドルの予算措置を承認した当人でもあるのだ。大統領からわずか数列後ろにはいつものように、核攻撃命令の暗号を収めたブリーフケースを手に、将校が待機していた」と、英国という第三者の立場から皮肉たっぷりな言葉を残している。

「世界唯一の戦争被爆国」と「世界唯一の核兵器使用国」

オバマの歴史的な広島訪問から7年。核軍縮をライフワークとする広島選出の岸田首相が、自身の政治テーマをきちんと表舞台で世界の報道に乗せていくことに好感する。

昨年、国連で発表した「ヒロシマ・アクション・プラン」やG7広島サミットでの「広島ビジョン」など、具体的な約束を伴っていないとの批判はもっともであるにせよ、明確な言語化は世界にメッセージを伝えるための必要条件だ。ロシアによって核の威嚇を受けるウクライナからゼレンスキー大統領が広島原爆資料館を訪れ、芳名録に記帳した姿もまた、国外へ「非核」メッセージを発信することに成功しただろう。

昨年来のロシアのウクライナ侵攻で、核兵器はまた世界の大きな関心の中にある。その中で今回のあまりにポップなバーベンハイマー事件が炙り出したものは、「世界唯一の戦争被爆国」日本が長らく「甘やかした」がゆえに核兵器使用の本当の結末に対して無知すぎた、「世界唯一の核兵器使用国」アメリカの姿、だったかもしれない。

河崎 環(かわさき・たまき)
コラムニスト
1973年、京都府生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。時事、カルチャー、政治経済、子育て・教育など多くの分野で執筆中。著書に『オタク中年女子のすすめ』『女子の生き様は顔に出る』ほか。

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