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「手塚治虫のあとをとれるわ~あはは」 東村アキコさんを育てた宮崎の「ぬくぬく」文化とは?

  • 2023.8.9

『ママはテンパリスト』『かくかくしかじか』など、自身に起きた出来事を笑いたっぷりに描いた漫画が大人気の東村アキコさん。漫画家歴24年を迎えた今年、初めて「全部活字」のエッセイ集を上梓した。『もしもしアッコちゃん? 漫画と電話とチキン南蛮』(光文社)では、九州で過ごした幼少期から高校生までのおもしろエピソードと、東村さんの人生とは切っても切れない電話にまつわる話を活写している。
どうしてこんなに面白いことばかり起こるの? 教えて、アッコちゃん!

――初のエッセイ集ですが、文章から自然と東村さんの絵が浮かんできました。電話のお話、めちゃくちゃ面白かったです。

東村さん(以下略) ありがとうございます。父が電電公社(のちのNTT)に勤めていて、私も大学卒業後に一時期NTTのコールセンターで働いていたこともあって、電話にまみれて生きてきました。本にも書いたんですけど、実家には父がコレクションした電話機が6台くらいあって、床の間に並べてあったんです。普通の家なら掛け軸とか壺とか飾るところに電話機が並んでいて、それを見ながらごはんを食べるっていう変な家でした。「森さんちにはなんでこげん電話があっと?!」ってみんなに言われましたね。(森さん=東村さんの本名)

――漫画ではなく、あえて文章でまとめたのはどうしてですか?

私、子どものころのことを映像でよく覚えていて、飲み会の時とかに友だちや編集さんに話すと、すごく喜んでくださるんですよ。漫画にしてくださいって言われるんですけど、あまりにもエピソードがたくさんあるので、覚えているうちに文章で一気にまとめちゃおうかな、と思いまして。連載にすると長くかかるし、だったらいっそ書下ろしで出そうと思ったんです。

――すばらしい記憶力ですよね。時系列で覚えているんですか?

そうですね。その時見ていたテレビ番組とかと紐づいているので、調べると「これは何年の出来事だったな」と辻褄が合うんです。それに、父の転勤の都合で引っ越しが多かったので、住む場所が変わることで印象に残ったっていうのもあると思うんですよね。宮崎から熊本、福岡、そしてまた宮崎へ引っ越して、同じ県の中でも何度か転校しているので、「あれは熊本でのエピソードだったから、小学校何年生のころだな」って、自分の中に年表があるんです。それは転勤族のいいところですね。

全部事実。私の記憶は私のもの

――親戚の方もたくさん登場しますが、執筆にあたって改めてお話を聞いたりもしましたか?

えっと、これは完全に秘密裏に進めていて、親戚や親きょうだいにも事前に伝えていないので、みんな知らないのではないかと......。今のところ誰からも連絡はきていないので、まだバレていないと思います。

――え!? 事前にお断りとかしないんですか?

親戚にはしないですね。申し訳ないんですけど、「あれは書かないで」って言われちゃうと、読者に届けたいエピソードが面白くなくなっちゃうので。私の記憶は私のものだという判断で書かせていただいて、後でなにか言われたら謝りに行こうと思っています。全部事実ですし、話を盛る労力はかけられないし。だから、記憶のとおりに書いています。

――話を盛らずに、どうしてこんなに面白いことばかり書けるのでしょう?

なんでしょうね、みんなもきっと面白いことがあったと思うんですけど......。私はものごとを割とツッコミ目線で見る子どもだったので、変な人だったり犬だったり、おもしろがって見ていたんですね。それに勉強で暗記するのが苦手だったから、その分、日常の面白いことのほうに脳のチップを使っちゃったのかなって(笑)。今、漫画の仕事をしていても、そこが私のラッキーな性質だったのかなと思います。

――いやな記憶は残っていないのでしょうか。

宮崎は牧歌的なところで、みんな優しかったですし、いやな記憶ってあまりなくて。それに、つらいことやいやなことも今思うと笑っちゃうようなことしか起こらなかったんですよね。不謹慎かもしれないけど、お葬式でも面白いエピソードがあるくらい。子ども時代を楽しく過ごせたのは、すごく幸せなことだったと思います。

宮崎の「ぬくぬく」はそんなもんじゃない

――その温かい風土や人々が漫画家・東村アキコをつくったのですね。

私が「漫画家になりたい」って言った時も、そんなの無理だよとか、才能がないとなれないよとかって言ってくる人はいなかったですね。学校の先生でさえ、「大丈夫や。森さんやったら、手塚治虫のあとをとれるわ~あははははは」って、とんでもなく恐れ多いことを言ってくれるくらい、みんな応援してくれました。

宮崎の人は楽観的で、ネガティブなことはあまり言わないんですよ。この間も、テレビ宮崎で私の漫画がドラマ化されることになって、局のスタッフが取材に来たんです。インタビュアーは若手の方で、すごくたどたどしくて。この子、後で怒られるんじゃないかなと思って、横でカメラを回していた先輩スタッフに「どうでした? 今日のこのインタビュー(ダメダメだったでしょ? という気持ちで)」って聞いたんですよ。むしろちょっと怒られたほうがいいだろうと思って。そしたらその先輩、「名インタビューじゃ。ばっちりじゃ。もう最高!」って言うんです。アシスタントさんたちも爆笑してて、「あ、これこれ、宮崎ってこれだよな~」って思い出しました。「仕事でもこんなか!」って(笑)。

――褒めて育てる文化なんですね。

そうですね。私も褒められて育ちました。だから自我肥大状態で都会に出てきたので、最初は本当に生意気だったと思います。漫画家になってからも、編集さんに何度もダメ出しされましたし、全部ボツってこともあったんですけど、折れなかったですね。田舎でぬくぬく育った子が東京で鼻をへし折られて傷ついて......ってよくある話ですけど、宮崎のぬくぬくは、そんなもんじゃないから。その編集さんのことも、「あ、この人は私の才能がわかんないんだな」くらいに思っていました。完全に無傷でしたね。

――そこまで自分を信じられるのはうらやましいです。ご著書にも漫画家以外になりたいとは思わなかったとありますね。

思わなかったですね、一回も。物心ついたときには、私は漫画家になるんだと決めていました。かといって努力もしなかったんですけど、あきらめるっていう発想はなかったですね。根拠もなく「なれる!」って思ってました。
でも、それって大事なことだと思うんです。今は情報過多で、子どもたちも現実的。息子の友だちに面白い子がいて、私が「お笑い芸人になればいいじゃん」って言ったら、「でも、茨の道じゃないすか」って言うんです。
あの頃の私は、自分は何にでもなれるって思ってたし、前向きに頑張れたから今があるのかなって思っています。時代もあったと思うけど、マイナス思考にならずに済んだ宮崎という土地に感謝しています。

好きなタイプは尾美としのり

――恋愛もポジティブですよね。初恋は小6の時、歌手の徳永英明さんと書かれていますが、身近に好きな男の子はいなかったんですか?

幼稚園の時にも好きな男の子はいましたよ。顔もはっきり覚えているんですが、当時から好きになる男の子の系統はずっと変わらないんです。ソフトな感じというか、尾美としのりさんとか吉岡秀隆さん、松田洋治さんみたいな少年っぽさがある人。足が速いスポーツマンより、少女漫画に出てくるような優しい男の子が好きでした。逆に、体育会系で粗暴な人は本当に苦手でしたね。少女漫画には出てこないキャラですから。

――高校時代に恋をした、マラソンの森下広一選手は?

森下さんは体育会系だけどゴツイ感じではなくて、松田洋治感があったんですよ。「少年み」があって、すごく好きでした。私、100%結婚できると信じてたんです。なぜなら森下さんの所属は旭化成という宮崎の企業だったから。宮崎在住なわけだし、旭化成に勤めているおじちゃんもいるし、どっかでつながるだろうなって思ってました。
そしたら森下さん、なんと私が通っていた学校の先生の親戚と結婚したんですよ。「聞いてない! なんで?」って私、先生にブチ切れましたもん(笑)。

――失恋も失敗談もすべて笑い話に変えてしまうところが素敵です。人生を肯定的に振り返るコツのようなものがあれば、教えてください。

たとえばお笑い芸人さんって、小学生時代のトラウマとかも面白く話したりするじゃないですか。そういう人を少し見習ってみるといいんじゃないかな。ものすごく深刻なトラウマは別だけど、牛乳を吹いちゃったとか授業中に吐いちゃったとか、ちょっとした失敗から不登校になったり、大人でも会社に行けなくなったりすることっていっぱいあると思うんですよ。私の漫画で、そういうちょっとしたトラウマもいつか笑い話になるよって伝えられたらいいかなって思っています。

――人生はギャグ漫画みたいなものと思えば気が楽になりそうですね。東村さんは今年47歳ですが、50歳を過ぎたらその先は、どんな風に生きていきたいですか?

私はとにかく海の近くに住んで、毎日おいしい刺身が食べられる環境に身を置くって決めているんです。食事はやっぱりお刺身とごはんと納豆と豆腐がいいです。満足するし健康的で。これからは食生活を宮崎時代に戻していきたいですね。
もうね、50過ぎてから新しい趣味とか探さなくてもいいじゃないですか。がっつり大きいテレビを買って、動画配信サイトにつなげて、時間が許す限りドラマを観る。あとは食べたいものを食べて飲みたいものを飲んで、だらだら暮らせばいいじゃないですか。50歳までがんばってきたご褒美ですよ。私はこれから先、それを何十年もやろうと思ってるんです。
これまでずっとコンテンツをつくる仕事をしてきて、どうやったらみんなに楽しんでもらえるかと思って生きてきたけど、ここからはお客になりたい。読みたい本も観たいドラマもたくさんあるし、あとはお刺身とちょっといい日本酒でもあれば、それが一番幸せです。

■東村アキコさんプロフィール
ひがしむら・あきこ/漫画家。1975年、宮崎県生まれ。1999年、「フルーツこうもり」でデビュー。『ママはテンパリスト』(全4巻/集英社)が100万部を超えるヒットとなり、若い女性を中心に人気を集める。2010年、ファッションをテーマにした『海月姫』(全17巻/講談社)で講談社漫画賞。自身の半生を描いた『かくかくしかじか』(全5巻/集英社)で第8回マンガ大賞、第19回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞。『東京タラレバ娘』(全9巻/講談社)で米国アイズナー賞最優秀アジア作品賞をそれぞれ受賞。2020年、『偽装不倫』(全8巻/文藝春秋)のウェブトゥーンなどへの功績によって、芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。同年、『雪花の虎』(全10巻/小学館)で第47回アングレーム国際漫画祭ヤングアダルト賞受賞。先駆的な活動で日本の漫画界を牽引するのみならず、韓国、米国、フランスを始めとした海外でも広く読者に支持されている。

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