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仲良し女子4人組が、3人になってしまう時。脱落する女は、誰なのか?

  • 2023.8.6
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『セックス・アンド・ザ・シティ』で、前代未聞の女優たちの仲違い

かつて世界的な社会現象ともなった大ヒットドラマ『セックス・アンド・ザ・シティ』の「新章」が『AND JUST LIKE THAT…』として約20年ぶりのスタートを切り、そのシーズン2もすでに配信されている。「女子会」という言葉がここまで定着したのは、このドラマが“女4人の飽くなきおしゃべり”を、圧倒的な面白さで描き続けたからだろう。

旧作で30代半ばであった4人の独身女性は、ドラマの中でも実際にも、50代半ばとなっている。女優たちが重ねた年齢をそのまま描いているわけだが、「新章」になって決定的に変わったことがある。4人が3人になってしまったこと。

なぜ1人、減ったのか? アメリカのメディアで散々取りざたされているように、内輪揉め。女優同士の確執が原因で、「彼女らと一緒に仕事はできない。もう出演したくない」と、1人が去ってしまったのだ。

『セックス・アンド・ザ・シティ』をしっかり観ていた人なら、何となくピンとくるのだろうが、主演でありプロデューサー的な立場でもある、キャリー役のサラ・ジェシカ・パーカーとの不仲がずっと囁かれてきたのが、サマンサ役のキム・キャトラル。最初は確執を否定していたキムも、やがてはハッキリとサラへの不信感を語り始め、映画3作目を制作中止に追い込んでしまったほど。

そもそも尋常じゃないくらいの仲良しぶり、それ自体を描いたストーリー。まったくタイプの違う4人、それぞれの生き方と、それぞれが喜怒哀楽を持ち寄って過激なトークを展開する、それをくり返し綴るドラマなのだ。その無類の友情がぶち壊れたとなれば面目丸つぶれ、存続はありえないと思いきや、仲良し3人での再スタートを強行したのだ。

でも一体何があったのか? 山ほどの報道を見ても判明しない。誰も多くを語らないのだ。ただ出演者が皆、サラの側にいるのは明らか。キムがギャラの交渉に加え、出番を増やせ、自分がプロデュースした作品も映画化しろ、と要求を並べたとの噂があるが、本人はこれを否定している。

結局のところ、キムの度を越えたワガママが原因とも言えるが、おそらくは4人が対等ではなく、ストーリー展開でも出番でも、そしてギャラでも、サラに比重がかかっていることが気に入らなかったのだろう。

キムが演じるサマンサは、恋愛もセックスも大胆かつ奔放で生き方も破天荒。そんなデータはないものの、4人のうちで誰が一番好きか?と聞くと、意外にもキャリーではなく、サマンサの名を挙げる人が多いらしい。実は私もその一人。ほかの3人は、まぁよくいるタイプだが、サマンサの真似はちょっとできないから、女として何だか憧れる。そういう気配を演者も感じていたのだろうか。ひょっとしたら自分の方が人気があるのにという自負と、キャリー役のサラに対する嫉妬がベースにある気がする。そこで改めて考えた。関係が壊れる時のメカニズムを。友達ができにくい人の法則を。

サステナブルでない関係は、「親友」とは呼べない

多くの場合、人間関係を揺るがす原因は嫉妬。人が不満を持ったり、バランスをくずす要因も、やっぱり多くは嫉妬にある。究極、人間は“自分よりも恵まれたもっとも身近な人”に嫉妬する生き物。いや、ペットの犬ですら、飼い主を独占する者に対して嫉妬するのだから、集団で生きていく生き物の宿命とも言えるのだ。

同時にあくまでも一般論として、コンプレックスがあるうえプライドが高いタイプほど嫉妬深いが、そういうタイプはやっぱり、4人組の仲良し集団の中では、何かのきっかけで不協和音を起こす可能性が極めて高いということなのだ。さらに、集団で浮きがちなのは、自己顕示欲やうぬぼれが強くて自信家……これらは、人間関係をもっとも難しくする要素。一対一の関係でも、グループでの関わりでも、もっとも友達ができにくい、また友人関係が続きにくいタイプと言っていいと思う。

どこかの国で王室を離脱したうえに、「私は被害者」と訴えて、王室批判をくり返してきたあの人は、申し訳ないけれどどうしてもそこに当てはまってしまう。実際に、人間関係を自らどんどん壊していっている。今の生活における友人関係も、利害関係を優先したものではないかという噂も。注目されるほどに、人間関係を難しくするタイプである。

さて『セックス・アンド・ザ・シティ』は、おそらく“何があっても終わらない友人関係”を描きたかったはず。確かに「親友」の定義のひとつは、“一生終わらない友達”。少なくとも疎遠になったり、仲違いしたり、嫌いになったり……そういう持続不可能な関係は、もともと「親友」とは呼ばない。「友達」とは呼べても人生の一時期、成り行きで親しくなった人としか定義できないはず。「親友」はサステナブルであるべきなのだ。

だから、急に親しくなって、いきなり旅行とか一緒に行ってしまって、でもたちまち気まずくなって、気がつけば相手の悪口を言っている……そういうふうに、急ぎすぎる雑な人間関係は、人生に余分なストレスを残すことになるはず。そういうことにだけはなりたくない。ずっとそう思ってきたから、自分の場合を言えば、友達をつくるのにとても時間がかかる。「この人と一生別れずにやっていけるのか?」そこをとても慎重に見極めるから。途中でモメたり、嫌われたりしたくないから。一生別れないだろうと思う人を見つけるわけで、結婚と同じくらい、あるいはそれ以上の注意深さが必要なほど。極端な話、結婚をつなぐ愛情には終わりもあるのだろうが、親友関係をつなぐ友情は、お互い人格が変わらない限り変わらないはずだからである。

でもそう考えると、「親友」などそうポコポコできるものではない。せいぜい2人、3人が精一杯なのではないかと思う。今や、SNSで「友達」は100人だって200人だってつくれる時代、とはいえいかにも一過性。それを友達というのかどうかは別として、根本的に意味が違う、本質的な関わりのある“本当の友達”=親友は、最小人数でいい。というより、本気になったら多くはつくれないのだ。友達が少ないと、人としてまずい、恥ずかしい、と考えるのは根本的に間違いなのである。

大切なのは、数ではなく、長さ。何があっても揺るがない、終わらないこと。なぜなら、年齢を重ねるほどに、人生における財産はモノより人。貯蓄額より人。心から信頼できる人がいるかどうか、であることが次第に明らかになるからなのだ。いくらお金を持っていても、どんな贅沢ができたとしても、誰も訪ねてこない大きなお城に一人ぼっち、みたいに、人生は虚しいだけ。だから本来は、“一生もの”と呼べるほどの人との絆は、この世でもっとも尊いものであるということ、忘れてはいけないのだ。

たとえ途中で大きなブランクがあっても、揺るぎない信頼関係が築かれていれば必ずまた会うことになるのが友の運命。結果として一生終わらない人間関係を築いている。そういう人を、何人つくっておけるか。たくさんでなくていい、でも、それこそブランクやアクシデントもあり得るから、できるなら生涯で3人は持っていたいのである。

そういう意味でも現実とドラマがどうしてもごっちゃになってしまう『セックス・アンド・ザ・シティ』の4人組は極めて象徴的。全員が3人の親友を持っている計算になるからだ。そこに合計4人の力学が働くのも、春夏秋冬、喜怒哀楽、そして4つの血液型……自分とは違うタイプに惹かれる本能がつくる、親友の法則なのだ。これが人生における友人関係の理想形であることは、やっぱり間違いないのである。実は今回の「新章」でも、1人離脱したサマンサ=キムが、シーズン2でカメオ出演することがわかっている。そして、キャリー=サラと、電話で話すことがわかっているのだ。

これはおそらく途中何年ブランクがあったとしても、根っこの部分で信頼しあっている人間同士は、時間が誤解をとかし、いつか必ず再開し、結果として一生終わらない人間関係を築くということの暗示ではないだろうか。

10代、20代で“一生もの”の友人関係の候補を探して、30代、40代で一人一人との関係をしっかりと吟味して、50代、60代でその関係を決定的なものにしていく。その後の人生で一生終わらない人間関係を嚙み締める。そういう人生計画で、一生ものの尊い人間関係を築いてほしい。人生の終わりにこそ、心がたっぷり豊かになるために。

10代、20代で“一生もの”の親友候補を探して、30代、40代で一人一人との関係を吟味、50代、60代でその関係を決定的なものにしていく。その後に、一生終わらない人間関係を嚙み締める。そうやって、3人の“一生の友”を持ちたい。

撮影/戸田嘉昭 スタイリング/細田宏美 構成/寺田奈巳

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