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【宮廷の闇に隠された争い】「姑」大妃と「嫁」王妃の壮絶な戦いの結末は?

  • 2023.8.2

朝鮮王朝で大妃(テビ)は国王の母親を意味している。その大妃と嫁の王妃の仲が最悪だったのが、9 代王・成宗(ソンジョン)の実母の仁粋大妃(インステビ)と成宗の妻であった尹氏(ユンシ)の2人であった。

豊かな教養と厳格な倫理感を持っていた仁粋大妃は、我が子の妻となった尹氏を極端に嫌っていた。その理由は、尹氏が軽薄かつ不遜な性格を持つ女性であると感じたからであった。

尹氏は側室から正室に昇格したにもかかわらず、王妃の地位につくと、自身の嫉妬心から成宗の側室を呪い殺そうとする非道な振る舞いをした。さらには、成宗の顔に爪を立てるという非礼で不敬な行為にも及んでいた。

激怒に駆られた仁粋大妃は、尹氏を廃妃とする策動に出た。この計画は見事に成功し、尹氏は王宮から追放され、反省の日々を過ごすことになった。それを見かねた成宗は、改心があれば王宮へ戻す意向を見せた。

彼は尹氏の実家へ使者を派遣した。使者は尹氏が反省の様子を示し、謙虚な生活を送っていることを確認した。しかし、成宗への報告途中で仁粋大妃に呼び止められた使者は、「あの女がいまだ無分別な生活を送っていると王に伝えよ」と命じられた。

恐怖に震える使者は、仁粋大妃の命令通りに成宗へ報告した。成宗は激怒し、尹氏を死罪にした。こうして彼女は1482年に毒を飲まされて絶命した。

写真=『仁粋大妃』公式サイトより
誇り高き女性

成宗は、尹氏の名を二度と口にするなと、周囲に厳しく命じた。この時、成宗と尹氏の間に生まれた男子はわずか6歳だった。この子は母の死の真相を知らずに育ち、1494年に成宗がこの世を去った後、18歳で王に即位した。朝鮮王朝で最悪の暴君とされる10代王・燕山君(ヨンサングン)だ。

大人になって母の死の真相を知った燕山君は逆上し、母の死に関わった人々を血の海に沈めた。それは1504年の事であった。当時、67歳の仁粋大妃は未だ健在であった。孫の破天荒な行動に苦悩し、彼を諌めようとしたが、逆に暴力を振るわれ、病床に倒れた。

最終的に、彼女の病状は回復することなく息を引き取った。誇り高き女性であった仁粋大妃であったが、最期はあまりに哀しすぎた。

ドラマ『インス大妃』ではチェ・シラが主役となって仁粋大妃の生涯を演じた。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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