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その時代にはその時代の風が吹く!

  • 2023.8.1

夏は暑いものだと決まりものではあるが、こうまで暑いとシャレにならない…。涼しそうに装えば少しは周囲へのサービスになるかと? 色々、試みようとは思うものの暑くてヤル気がでない。 ふ~、暑中お見舞い申し上げます。 エミールです。

さて、みなさんの夏はどんな様子ですか?

若いので元気いっぱい、あるいはヒマワリのように毎日、お日様と追いかけっこかしら?

さぁ、今日はどんなことをテーマにしようかなぁ、と…パソコンのボードの前でしばし考え、占いを始めるきっかけや、それからのことなど諸々のお話を少々。

1970年代の半ば頃、アンアン、ノンノ、JJなどなど、女の子にとってバイブルのようなファッション誌が登場した。

当時、高校生だった私にとっては、おそるおそる開くそのページの中で見つけた様々な特集は、魔法の小箱から飛び出してくる「言葉の花束」だった。

そして後に、ノンノ創刊号 「ルネの西洋占星術・12星座で知るあなたの運命」 このページが、後に私を占いの世界へといざなう、きっかけとなったのです。

数十年前の占いといえば、東洋占星術系のものが多く、九星気学や姓名判断、そして手相・人相など女子高校生にとっては、いささかとっつきにくい感じがしていた。 と・こ・ろ・が…!

ノンノ創刊号を飾るルネ先生のページは全く別次元の占いであり、占いというよりはむしろ、エッセイに近い雰囲気をもっていた。 昨日までの二黒土星が、今日から射手座に変わった時、私の中で何かカツンと音がした。

そして気が付いた時には、ルネ先生宛の手紙を書いてポストへ走っていたのだった。

“集英社 ノンノ編集部 ルネ・ヴァンダール・ワタナベ先生”

この手紙が先生の手に渡り、「上京することがあれば訪ねておいでなさい。」 との返事を頂き、そして、本当にその日がやって来た。

東京メトロ 丸の内線、四谷三丁目で地下鉄を降り、先生のご自宅に向かった時の自分の気持ちを鮮明に覚えているかといえば…答えはノー。

この大切なシーンをまるで思い出せないのである。(きっと、今風に言えば舞い上がっていたのでしょうね)

でも、この時点では占いで生計をたてるなどということは、ほとんど考えていなかった。ただただ、憧れのルネ先生に会うことができるのだから、それだけで満足…。 たぶん、その程度のレベルだったのだと思う、というよりは、 「キミ、この業界(占星術界)で食べてゆくなんて、とても難しいことなのだよ」 と。 おそらく…そんな会話だった?ような?

そのくらい、1970年代~80年代の女子にとって占いを生涯の仕事にするなど、そもそも発想そのものの中にはほとんどありえないことだった。

生来の霊感があるとか、代々占いにゆかりのある家柄に生まれ合わせでもしない限り、丸腰で 「さぁ今日から占い師を目指して、いってみるか~」 というストーリーは自分の中でも、「頑張ればできることのひとつ」 とは程遠いものだった。

そして私はここで一旦、幼稚園教諭という職業選択をして中野区内で子供たちと一緒に過ごし、数年の時が流れていった。

が…、この間も先生のアトリエに原稿の清書やお掃除…などなど通っていたので、今風に言えば「なんか、弟子みたいな」と「みたい、なところ」から、すでに私の第二の選択はスタートしていたようなの。

ここまで、読んだみなさん、「えっ!最初から真面目に取り組んでいたのではなかったのですか⁉」と思うでしょう。

ここで告白タイムですが…、そのくらい占い師で生業を立てるのが難しく、両親などは 「早く見合いをして結婚したらどうだ」 と、周囲からの賛成票は一票もないままに、幼稚園の先生が正業でルネ先生の弟子みたいな生活が続いていた。

さて、このなんとも言えない中途半端な時代。 ある日、20代半ばを過ぎた教諭を対象に園長が 「ネ、先生方そろそろ、お嫁さんに行ったら~」というではないか!

そう、この時代の女性は30才を迎える少し前になると雇用主から、この「そろそろシリーズ」の声を聴くことになり「では、お言葉どおりに」と退職してゆくのが大半だった。

決断の時きたる!!

園長からのこの言葉の翌年、私は園を退職し弟子みたいなものから、本格的な弟子となった。

しかしながら、師匠は一向に占いを教えてくれる気配はなく、そればかりか、今日は下町に行って、あんみつを食べよう、明日は包丁の研ぎ方と江戸っ子の正しい、喧嘩と啖呵のきりかたを教えようなど、なんら占いとは関係のないことばかり…。

「あの~。占いの勉強のほうはどうなるのでしょうか?」

「お~。 盗んで覚えるのが一番の近道だ」と呑気なものだった。

現代は、占いスクールやネットの中での学びなど、様々な方法論があるが、わずか4~50年前の師弟関係からの学びは、このようなスタイルが多く、弟子はなかば泥棒と化して、師匠の一挙手一投足に、眼をしっかりと開き、聞き耳を立てていたものだった。

弟子の守備半径は広く、掃除・洗濯・買い物・子守り、ペットのお世話から資料の作成・締め切りが間に合わない師匠にかわり電話口でひたすら編集者に言い訳をし、時には泣き落としも…( >_< )

このようなスタイルで自然に身につくものは、義理と人情。 そして、その土台の上に占いの知識が積み重なっていったのだった。

現代と比較してどちらの方が良いかどうかではなく、この時代にはこの時代に吹いていた風があり、私の占いはその中から誕生したものであるということだけ。 これから、本格的に占いを勉強しようと燃えている人も多いと思う。

学びの道に入った時、覚えることばかり多くて疲れることもあると思うけれども、そのときは頭休めに寄り道をして貰いたい。 占いとは全く関係のない書物を読み、音楽を聴き、花や虫を観察する。

そうしていると、向こうから飛び込んでくるものがある。

占いには統計的な側面と分類学的な要素が多分に含まれている。 しかし、ここには落とし穴もあり、必死になって勉強をして知識を詰め込んでいる時ほど、この罠にやすやすと囚われてしまう。

テキストに示された分類通りにあてはめ、その法則に従ってストーリーを構築しているため、本質的な部分が死角に入ってしまい、肝心の部分が見えてこない。

セオリーとしては、正しいのだけれど…、うーん、何かが違う?

そのモヤモヤが、いつもつきまとう。 占いは単に心理学的な分類のみにては成立しない、ましてや心霊的なものでもない。 もっと複合的な生き物だ、と私は考えている。

「占い疲れ」 におちいらないためにも、この夏は思い切り 「占いに夏休みを!」 がいいかもしれない。 ある日のこと、パートナーがポツリと 「占い師ってほとんどの人が理屈っぽい。決めるのは宇宙であり、分類じゃないよね…」 とつぶやいた一言からの発想。

そう、私も占い疲れをしていたのである。 少し涼しくなったら高原に出かけ、ぼんやりしようと思う、この愛すべきパートナーと一緒に。

エミール

これは4年前の上高地、占いをリセットするため…に⁉

お話/マーク・矢崎先生

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