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【8月31日は野茂英雄さんの誕生日】アメリカを熱狂させた“トルネード伝説”を野球ライターが解説

  • 2023.8.31
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本日8月31日は野茂英雄投手の誕生日!

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写真:ロイター/アフロ

大谷翔平選手やダルビッシュ有投手、吉田正尚選手など、3月に行われたWBCで侍ジャパンの世界一に貢献した選手が今季もメジャーリーグの舞台で活躍しています。今では、日本のトップ選手がアメリカでプレーすることは「当たり前」の時代になりました。

ただ、そんな「当たり前」も、この選手がいなければなかったかもしれません。

野茂英雄――

今から28年前の1995年に日本人2人目のメジャーリーガーとなり、アメリカで旋風を巻き起こした投手です。本日8月31日で55歳になる野茂投手がいなければ、大谷選手も、ダルビッシュ投手も、メジャーリーグでプレーすることはなかったかもしれないのです。

今回はTRILL読者のみなさんに、日本人メジャーリーガーのパイオニアである野茂投手が残した数々の“伝説”をお伝えしようと思います。

1995年、海を渡る

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写真:ロイター/アフロ

野茂投手は1990年、日本のプロ野球・近鉄バファローズに入団します。1年目からタイトルを総なめにし、瞬く間に日本のトップ選手にまで上り詰めました。

そんな野茂投手が突然、日本のプロ野球からメジャーリーグに移籍したのが95年。しかし、当時は今と違って、「日本人がメジャーリーグでプレーする」ということ自体が異例のことでした。

現在はフリーエージェントやポスティングシステムなど、日本人がメジャーに移籍するシステムが確立されていますが、当時はそんなものはなく、野茂投手は日本のプロ野球を「引退」という形で退団。その後、ロサンゼルス・ドジャースへ移籍を果たします。

野茂投手の決断に対し、当時の日本国内の視線は冷ややかなものでした。

「日本球界を裏切った」「どうせ通用するわけがない」「わがままで近鉄を退団した」―。

日本中が、野茂投手をバッシングしました。ただ、野茂投手はそんな日本人の固定概念を結果で覆します。

メジャー1年目の年俸は10万ドル。当時の為替レートで約980万円。日本時代の年俸は1億4000万円(推定)だったので、実に14分の1です。

それでも、5月にメジャー初登板を飾ると、投げるたびに快投。日本のファンも、メジャーのファンも徐々に野茂投手の投球に魅了されていきます。

“トルネード旋風”にアメリカのファンも熱狂

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出典:ofifg/shutterstock.com

ちょうどこの時、メジャーリーグは前年の選手会ストライキの影響で人気が低迷。そんな中、アジアから現れた無名の男が魅せる快投劇にアメリカのファンも熱狂します。野茂投手の独特な投球フォーム=トルネード投法はアメリカでも一大ブームを巻き起こし、1年目からオールスターに選出。さらにはナショナル・リーグの先発投手まで任されます。

このシーズン、野茂投手は28試合に登板して13勝6敗、リーグ2位の防御率2.54と、リーグ1位の236奪三振をマークし、新人王を受賞します。極東の島国からやってきた変わった投球フォームの男が、たった1年で一流メジャーリーガーに匹敵する数字を残したのです。

野茂投手は2年目以降もメジャーの舞台で活躍。2年目の1996年にはアジア人史上初のノーヒットノーランを記録し、ボストン・レッドソックス時代の2001年にも同じくノーヒットノーランをマーク。両リーグでの達成は史上4人目で、日本人としては今なお、野茂投手しかマークしていない偉業です。

結果、野茂投手は2008年までメジャーを舞台に投げ続け、通算123勝をマーク。メジャー通算123勝は、ダルビッシュ投手も大谷投手も到達していない、日本人最多記録です。

最大の功績は

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出典:Joseph Sohm/Shutterstock.com

数多くの「記録」を残した野茂投手ですが、最大の功績はやはり「日本人がメジャーでも通用する」ことを証明したことでしょう。それまで「メジャーリーグは別格」「日本人が通用するわけがない」と決めつけられ、誰も挑戦すらしようとしませんでした。

しかし、野茂投手の出現とその素晴らしい成績によって、メジャーリーグの門戸は一気にアジアに開かれました。野茂投手の成功以降、多くの日本人が海を渡り、今では日本だけでなくアジア各国からもメジャーリーガーが誕生する時代になりました。

28年前、日本人のバッシングと反対をものともせず、海を渡って結果を残した“パイオニア”野茂英雄投手。大げさでもなんでもなく、彼がいなければ大谷選手のメジャーリーグでの活躍もなかったかもしれません。

残した数字はもちろん偉大ですが、それ以上に野茂英雄という投手が踏み出した“一歩”が、日本の野球界を大きく変えたことは、間違いありません。



ライター:花田雪(Kiyomu Hanada)
1983年、神奈川県生まれ。編集プロダクション勤務を経て、2015年に独立。ライター、編集者として年間50人以上のアスリート・著名人にインタビューを行い、野球を中心に大相撲、サッカー、バスケットボール、ラグビーなど、さまざまなジャンルのスポーツ媒体で編集・執筆。著書に『あのプロ野球選手の少年時代』(宝島社)『オリックス・バファローズはいかに強くなったのか』(日本文芸社)がある。

編集:TRILLニュース

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