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干支を一周した還暦以降こそ、屈託なく楽しめる…子どもには本を勧める教育学者が60代以上に勧めるもの

  • 2023.7.24

60歳を過ぎ、ビジネスの第一線から退いた後も、自由で楽しく生きるためにはどうしたらいいのだろうか。教育学者の齋藤孝さんは「大いに楽しく生きることを目指すブッダの教えを意識するといい。生まれ変わった気持ちで、自由な精神、屈託のない子どもの頃のような心に還ってみるのもいいのではないか」という――。(第3回/全3回)

※本稿は、齋藤孝『60歳からのブッダの言葉』(秀和システム)の一部を再編集したものです。

スマホを使用する人
※写真はイメージです
ブッダが目指す「大いに楽しく生きる」生き方

仏教と言うと、煩悩を滅して欲をなくすという教えですから、えてして人生の楽しみとは無縁のようなイメージで捉えられがちです。

しかしブッダの言葉を読むと、それが誤解だと分かります。

悩める人々のあいだにあって、悩み無く、大いに楽しく生きよう。悩める人々のあいだにあって、悩み無く暮そう。(『真理のことば』198)
貪むさぼっている人々のあいだにあって、患わずらい無く、大いに楽しく生きよう。貪っている人々のあいだにあって、貪らないで暮そう。(同199)
つまらぬ快楽を捨てることによって、広大なる楽しみを見ることができるのであるなら、心ある人は広大な楽しみをのぞんで、つまらぬ快楽を捨てよ。(同290)

大いに楽しく生きる。それがブッダが目指す生き方なのです。

ただ、本当の楽しみとは欲望にまみれ享楽的に生きることではありません。それは苦しみや争いの元になってしまう。

そうではなくて、欲望や執着を離れることで、本当の安らかで自由な喜びと楽しみがある。

深刻で気難しい顔をして暮らしなさいなどとは、ブッダは一言も言っていません。

「2割ブッダ」を意識しながら、自由で楽しい境地を探っていきましょう。

自由で柔軟な心を取り戻す

誰でも子どもの頃は自由な心を持っていたはずです。特に小学校3年生くらいの頃は、すべてが面白く、毎日が新鮮で楽しかったのではないでしょうか?

私も仕事柄、様々な年代の授業や講義を受け持ちます。その中で、8歳から10歳くらいの子どもたちは、とにかく元気溌剌で明るく、屈託がありません。

思春期に入って自我が目覚めると、自意識が高まるとともに葛藤や悩みが増えます。子どもの頃のような底抜けの明るさは消えていきます。さらに成人して社会に出ると、だんだん無邪気な明るさが失われてしまう。

特に男性は、世の中の常識やビジネス社会のシステムの中で、生き生きとした感情表現を失ってしまいます。

60歳、還暦を過ぎたら干支は一周し、窮屈なビジネスの競争の最前線からも距離を置くことができる。

ならば、ここがチャンスです。生まれ変わった気持ちで、自由な精神、屈託のない子供の頃のような心に還ってみるのもいいと思います。

新しいことにチャレンジする

これは、ニーチェが設定した「子どもの時代」です。「獅子の時代」を通り過ぎて、さらに自由な境地で遊ぶ。老境とはむしろ子どもの頃に回帰していく時代だと考える。

そういう意味で、あえて新しいことにチャレンジしてみましょう。

私の場合、コロナ禍で全授業を年間通してオンラインでやることになりました。

始める前は、効果に疑念もありましたが、操作を学んでみると、便利に使えるようになり、幅が広がりました。

SNSも人間関係を広げたい場合、始めてみるのも一手です。始め方が分からなければ、子どもでも誰でも、思い切ってやり方を聞いてアカウントを作ってみてください。

今は、映像で相手の顔を見ながら話ができます。離れている子どもや孫の顔を、リアルタイムで見ながら話ができる。

私たち60代が子どもの頃、未来にはテレビ電話で人とつながれるなど、半分は夢のようなこととして語っていたはずですが、今や現実になっているのです。

そして、気難しい顔をやめてみる。目を輝かせている60代、70代というのはとても魅力的です。好奇心のセンサーを張り巡らせて、新しいことにチャレンジしてみましょう。SNSが性に合わなければ、「優雅な孤独」を楽しみましょう。

さまざまなSNSアプリのアイコンが表示されたスマホ
※写真はイメージです
YouTubeで新しい世界を知る

「こんなにも自分の知らない世界があるのか?」と、私はYouTubeを観ることで感じています。

いろいろ掘り起こしていくと、昔の映像でも、「え? こんなのあったの!」という「お宝映像」に出会えます。それだけでも発見、心がウキウキしてしまいます。

先日も思いがけず出会ったのですが、『夜のヒットスタジオ』で、松田聖子さんが小坂明子さんの「あなた」を歌っている映像がありました。ピアノ伴奏は作詞作曲をした小坂さんご自身です。

聖子さんがサビの最後で、感極まって歌声が詰まってしまう。そんな感情の破れを目の当たりにできる映像で、危うくもらい泣きするくらいでした。

私はもともと聖子さんのファンでしたから、CDもほとんど持っています。松本隆さんと松田聖子さんについて語り合ったこともあるくらいです。でも、『夜のヒットスタジオ』で、そんなシーンがあり動画が残っているなんて知りませんでした。

ですから、YouTubeは決して若者だけの楽しみではありません。私たちの世代が昔の「お宝映像」を発掘できる楽しみもある、貴重なサービスだと思います。

そうかと思うと、とてもテレビでは流せないような深刻な映像もあります。

先日観たのは、父親が母親を殺す現場を見てしまったという当事者(息子)の方のインタヴューでした(街録チャンネル)。

淡々と語っているのですが、まさに地獄でしょう。これほどつらい体験は普通ありません。

あぁ、この方の過酷な人生に比べたら、自分の人生はいかに恵まれて、平穏無事だっただろうか。今からでも、世の中に対してできる恩返しをしていきたいなと、謙虚な気持ちになれます。

頭を柔らかくし気持ちを若返らせられる

他にも、いろんなチャンネルがあります。

ずまさんという歌の名人がいて、とにかくうまい。いろんな人の曲をずまさんなりに歌うのですが、それを聞くと、どんな曲でも入り込みやすいので大好きです。

たまたま、お会いする機会があり、上手に歌うコツを聞いてみました。

息をあまり出さないで歌うようにしているそうです。ロウソクの炎を目の前に置いても揺らさないで歌えると。

演歌や浪曲の人たちが、そうやって訓練するそうです。私たちはつい高音や声を張るときに息も一緒に吐いてしまいますが、違うんですね。

YouTubeでは、そんな市井の隠れた名人たちがたくさんチャンネルを持っています。玉石混交ではありますが、表の情報だけでは知り得ない、お宝に巡り合える場でもあります。

世の中にはこれだけタレント(才能)が揃っているんだ。世に出ている人は本当に一握りで、実はもっと上の人がいるのかもしれない。そんな気がしてきます。するとマスメディアの情報を、これまで以上に相対化して見ることができる。そんな効果もあると思います。

私は子どもたちに対しては、YouTubeばかり見ないで、本を読むように勧めます。バランスが取れないからです。

しかし、60代以上の人には、逆にYouTubeも勧めます。頭を柔らかくし気持ちを若返らせるのに良いからです。

結局、本の著者というのは、それなりに知識があり、肩書がある人物が多いですよね。勉強には良いのですが、この世の中はもっと広大でいろんな人がいます。学者や経営者らが到底知らない世界があるわけです。

埋もれて世に出ない才能やキャラクターがいます。地上波では流せない裏の世界の話もあれば、先ほどの両親の殺害現場に居合わせた人のような深刻な人生もあります。マスメディアだけ見ていたのでは知ることができない世界が、これだけある。

一通りの経験をしてある程度の鑑識眼を持った60代以上にこそ、YouTubeなどは、この世の妙味と奥深さを味わう貴重なツールとなると思います。

刺激をくれる仲間たちとの関係

60過ぎからの人生を彩るものとして、仲間との関係があります。

ブッダは愚かな人とは付き合うなと言いますが、一方で「善い友と交われ。尊い人と交われ」(『真理のことば』78)と言っています。

よく気をつけていて、明らかな知慧あり、学ぶところ多く、忍耐づよく、戒めをまもる、そのような立派な聖者・善き人、英知ある人に親しめよ(『真理のことば』208より)。

知的に刺激を与えてくれる知恵ある仲間たちは、貴重な宝となるはずです。これまではビジネス関係の付き合いが多かったかもしれませんが、これからはもっと幅広い分野の人たちと付き合うことができます。

趣味や学びを通じて仲間を作る

趣味があるなら、サークルに所属してみる。今は、ネットで同好会にすぐに参加できます。たとえば、植物好きのネットサークルなら、自分が見つけたきれいな花を写真に撮ってアップすると、他の人が写真をほめてくれて、その花についての情報を教えてくれます。興味ある分野での付き合いを広げ、その道に詳しい人と仲良くなれます。

地方在住であれば、各地域ごとにその地域や郷土の歴史や地理、文化などを学ぶ勉強会があります。そういうところに所属して勉強する。

すると同好の士がいます。そういう人たちと知り合うのも面白いかもしれません。

地域ガイド養成講座も、いまや各地域、自治体で行われています。そういう講座に参加してみる。地域のことを学べるだけでなく、横のつながりを持つことができます。

ユネスコのジオパークが近くにある人は、そういう所のガイド養成講座も面白いと思います。

せっかく時間があるのですから、自分の好きなテーマで勉強すると、これまで刺激されなかった脳が刺激されます。

そして何といっても、趣味や妙味を通じての友だち、仲間を増やすことは、人生を彩り楽しくすることになります。利害関係を越え、知的な刺激を与えてくれる人間関係を作る時間がある。

60代はそういう意味で、恵まれた時期です。

心安らげる場所を作る

家庭とは別にもう一つ、心安らげる場所を作ることも大事になってくると思います。

お酒が飲める人なら、近くのスナックとかバーなど行きつけの店を作るのも面白いですね。スナックのママや喫茶店のマスターと懇意になり、常連さんと友達になる。家族にはなかなか話せないことでも、話を聞いてくれたりします。

人生経験が豊富で、たくさんの人を見ているママやマスターは、下手なカウンセラーより上手に悩みを聞いて理解してくれるかもしれません。そういう人が身近にいるのは精神衛生上、とても良いと思います。

地方の街でバーに行くと、週に何日か必ず来ている常連さんもいます。ある意味での「帰る場所」であり、居心地の良い場所なんですね。

「アジール」というのですが、職場でも家庭でもない、もう一つの居場所、安心できる場所を作ってみてはいかがでしょうか?

同級生や同窓生から得られる喜び

安心できる関係をもう一つ挙げるとしたら、同級生、同窓生の集まりがあります。

齋藤孝『60歳からのブッダの言葉』(秀和システム)
齋藤孝『60歳からのブッダの言葉』(秀和システム)

小学校から高校まで、できれば地域や地方が一緒の関係が良いです。大学の同窓となると、故郷が異なるので、ちょっとここで言う関係性とは違ってくるかなという感じがします。私は大学の友人とは、オンライン飲み会などをしたりしていました。

30代や40代の頃は、張り合ったりマウントを取り合ったりする面倒な関係性があったかもしれませんが、人生が一周して仕事も最前線から離れ、子も自立したとなると、再びまっさらな子どもの時代に戻りやすくなります。

そんな中で、お互い残りの人生を楽しもうじゃないかとなると、30代や40代の頃とはまた違った関係性になれます。

私もこの年になって昔の同窓会に出たり、特に仲の良かった人たちだけで飲み会をしています。

「え? 本当は○○さんを好きだったってこと?」
「~~さんに告白されたのって、君だったの!」
「付き合ってたの⁈ 知らなかったよ!」

なんて、数十年を経て明かされる事実があります。他愛もないけれど、時間を経たからこそ楽しめる会話です。

何十年ぶりかで時間と場を共有し、エネルギーをもらえる。昔を懐かしむことに全員が没入している。これも立派なブッダ的喜びかもしれません。

齋藤 孝(さいとう・たかし)
明治大学文学部教授
1960年静岡県生まれ。東京大学法学部卒業後、同大大学院教育学研究科博士課程等を経て、現職。専門は教育学、身体論、コミュニケーション論。ベストセラー作家、文化人として多くのメディアに登場。著書に『孤独を生きる』(PHP新書)、『50歳からの孤独入門』(朝日新書)、『孤独のチカラ』(新潮文庫)、『友だちってひつようなの?』(PHP研究所)、『友だちって何だろう?』(誠文堂新光社)、『リア王症候群にならない 脱!不機嫌オヤジ』(徳間書店)等がある。著書発行部数は1000万部を超える。NHK Eテレ「にほんごであそぼ」総合指導を務める。

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