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「60歳をすぎたら存在自体がパワハラ的」と認識するくらいがいい…ブッダが説くアンガーマネジメントの教え

  • 2023.7.23

役職定年後も、会社で若い人に疎まれないようになるには、どうしたらいいのか。明治大学教授の齋藤孝さんは「雇用延長でかつての上司が組織に残っているだけでも、元部下としてはストレスがたまるもの。若い人にとっては60歳をすぎたら存在自体がパワハラ的なのだと認識するくらいでちょうどいい」という――。(第2回/全3回)

※本稿は、齋藤孝『60歳からのブッダの言葉』(秀和システム)の一部を再編集したものです。

指をさして怒る人
※写真はイメージです
「上から目線」を卒業する

60歳を過ぎると、会社内ではほぼ全員が年下となります。

役職定年前の組織では、年長者として、役職の付いた上司として君臨していたかもしれませんが、役職定年後あるいは雇用延長後は、これまでのような肩書がなくなります。

立場が変わり、以前のような力を持たない状態にもかかわらず、若い人に対して以前とまったく向き合い方が変わらない人がいます。

かつては確かに直属の部下だったかもしれませんが、今や残念ながら向こうの方が第一線として立場も役職も上になっている。これも諸行無常、移り変わるのが理だと知れば、かつての栄光やプライドにしがみつくなど実に空しいことだと理解できるはずです。

関係性が変わったなら、付き合い方も変わって当然でしょう。呼び捨てにしたり、相変わらず上司のように上から目線で高圧的な態度を取っていたら、嫌われるに決まっています。

雇用延長により、かつての上司が自分の組織の一員として残っている。それだけでも元部下としては実にストレスがたまるものです。ブッダ的な生き方としては、立場をわきまえて、元部下たちが仕事をしやすいように、身を引くところは引く。出しゃばらないことが肝要です。

完全に会社を定年退職し引退した人たちも、若い人たちとの接触は意外に多くなると思います。

趣味のサークル活動でも、読書会や勉強会でも、ときには学生など、会社にいたとき以上に年の離れた若者と付き合う機会が生まれます。

基本はまったく同じで、年長者だからといって上から目線で威張らないことです。

そんなつもりなど全くないという人でも、若い人にとっては60歳をすぎたら存在自体がパワハラ的なのだと認識するくらいでちょうどいいのです。

穏やかで上機嫌な60代になる

電話での応対、店先での対応、病院などでのやり取り……年を重ねるほど、相手との年齢差が大きいケースが増えます。

すると、えてして相手の言動に未熟さを感じてしまう。若い人の言葉遣いや対応など、いろいろ気になってイライラしたり、怒りに駆られる場面が増えるように思います。

敬語を正しく使えていない、こちらはただでさえ耳が遠いのに、声が小さくて聞き取れない。よく分からない横文字で説明する……。突っ込みどころ満載で、数え上げればきりがありません。一つひとつに怒っていたら、それこそクレーマーになってしまいそうです。

できるだけ、穏やかで上機嫌な60代でいたいものです。それには、相手を変えるよりも自分が変わった方がはるかに効率的で、早いのです。

仏教が説く「怒りをコントロールする大切さ」

怒りをコントロールする「アンガーマネジメント」というものが注目されています。

怒りを覚えたら、6秒間は一切反応せず我慢する。

怒りの衝動は6秒を過ぎると一気に冷めるので、この「魔の6秒間」をしのぎ切る。

実は仏教は、すでに約2500年前にアンガーマネジメントを提唱していたと言えるほど、怒りをコントロールする大切さを説いています。


怒りを捨てよ。慢心を除き去れ。いかなる束縛をも超越せよ。名称と形態とにこだわらず、無一物となった者は、苦悩に追われることがない。(『真理のことば』221)

怒らないことによって怒りにうち勝て。(同223より)

怒りは慢心の現れ

若者に対してつい怒ってしまうのは、どこかに自分は年長者でものをよく知っているとか、正しいという「慢心」があるように思います。相手が自分よりも下だと思い込む慢心。それが怒りの言動となって現れます。

そこは虚心坦懐たんかいに、年を重ねているからこそ「威張らない」「怒らない」と決める。「自分は慢心オヤジにはならないぞ」と戒める。

目くじらを立てて怒っている自分を想像し、「この間、コンビニで若い女性店員に怒って叱りつけてるオジサンがいたな。自分はああはならないぞ」と決めるのです。

他人の過失を探し求め、つねに怒りたける人は、煩悩の汚れが増大する。かれは煩悩の汚れの消滅から遠く隔っている。(『真理のことば』253)

言葉遣いから変えていく

では若い人とどう向き合うか?

複雑に考える必要はありません。まず言葉を慎み、普段から丁寧で優しい言葉で話すように心がけるのです。

言葉遣いから変えていきましょう。

年下でも「○○さん」と、さん付けするのです。

言葉遣いが丁寧になると、不思議とだんだん心も穏やかに紳士的になります。

「○○さん、これやってみてください」、「お願いします」と、丁寧語で話す。

丁寧語というのは、私も学生たちに使っていますが、とても便利な言葉です。

感情を抑え、自分をコントロールしている感覚があります。それが相手に伝わり信頼感や安心感につながるのです。

私はここ30年、18歳から20代前半の若い学生とずっと一緒です。常に相手は年下ですが、年を重ねてますます学生に丁寧に優しく語るようになっている自分に気づくことがあります。

授業を休んだ学生にも、厳しい言葉は一切使いません。

「どうしたの? この日休んだのは何かあったの?」

ごく自然に普通の感じで話しかける。すると、「先生、実は就活でどうしても出られませんでした」、「具合が悪くてどうしても行けませんでした」と返ってきます。

「なんで出てこないんだ!」と厳しく問い詰めたら、今の学生は一瞬で心を閉ざしてしまいます。

オフィスの階段で若者たちとおしゃべりする高齢の男性
※写真はイメージです
組織の本質は変わっていない

私と同世代の、ある大学病院の先生が仰っていました。

「自分たちが若い頃は、お前そんなんじゃダメだとか、医者なんてやめちまえぐらいの勢いで、当時の50代や60代の先生から罵倒されてきた。それがある意味、自分の訓練にもなった。でも、自分がその年代になったら、すぐにパワハラだ何だと言われる。割に合わない世代だよ俺たちは」

確かにその通りなんです。自分たちがやられたように、下にやることはできない時代です。

ですが、それもよく考えると、要は言葉遣い、言い方ひとつだということです。

どんなに時代が変わっても、やはり組織の中では基本的に上意下達、秩序が第一です。それを昔は「お前、ちゃんとやっておけよ」とか「なんでできないんだ!」などと、キツイ言葉で下に伝えるのが当たり前でした。

今は時代が変わって、丁寧な言葉で伝えなければいけない時代になりました。

「しっかりチェックするようお願いしますね」
「どういう経緯で、こうなったの?」

荒々しい言葉はパワハラになるので、このように丁寧で優しい言葉に翻訳するということです。

今の若い人たちは真面目でマナーが良くなっている

しかし、考えてみれば、上司と部下の関係性はほとんど変わっていません。

昔も今も、上司の命令に部下が従うのは組織のルールなのです。むしろ最近の若い人たちの方が、昔の若者よりも真面目で、言われたことをしっかりこなそうという意識が強いようです。昔の若者の方が、上司に指示されても陰で舌を出して従わなかったり、ちゃっかりさぼったりしていたのではないでしょうか?

私の感覚では、年々若い人はマナーが良くなっていると感じます。時代の基準は変わっています。中高年の「普通」は、自制心のない行動に見えるかもしれません。

走る車をおさえるようにむらむらと起る怒りをおさえる人――かれをわれは〈御者〉とよぶ。他の人はただ手綱たづなを手にしているだけである。(〈御者〉とよぶにはふさわしくない。)(『真理のことば』222)

ブッダは自分の手綱を自分でしっかりと握れ、自分をコントロールするように、と言います。

暴れ出す馬が自分の感情だとしたら、本当の自己とはその暴れ馬をコントロールする御者です。

怒りという感情を御して、自分が自己の主人になるべきだというわけです。

慈しみの気持ちで接する

ビジネス社会という競争原理の中で生きているときは、なかなか他者に対して優しくなるのは難しかったかもしれません。

しかし60代になって、その激しい渦から一歩身を引くことができたら、他者、特に若い人たちに対しての慈しみの気持ちも大切になると思います。

あたかも、母が己おのが独ひとり子を命を賭けても護まもるように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の(慈いつくしみの)こころを起すべし。(『ブッダのことば』149)

すべての生きとし生けるものに無量の慈しみの心で臨むべきだと、ブッダは言うのです。

慈悲の心で後進を育てる

ちなみに後の大乗仏教の経典で「慈悲」という言葉が出てきます。

「慈」とは相手に対して楽を与えること(与楽)であり、「悲」とは相手の苦しみを取り除くこと(抜苦)と言われています。

もしあなたが引退して、比較的自由で余裕のある生活を送ることができるのであればなおのこと、60代からは慈悲の心で若い人に向き合ってみてはどうでしょうか?

彼らが何か悩んでいたら相談に乗る(抜苦)。

お酒を飲むときにはお金を出してあげる(与楽)。

その他様々な形でサポートや支援をして、若い人の成長に力を貸すのです。

たとえばサークル活動や趣味の活動、勉強会や講座などで知り合う若者たちもいるでしょう。そういう人たちに慈悲の心を意識しながら向き合う。

残りの時間を自分の幸福と満足だけに使うのは、なんだかもったいない気がします。

後進を育てる。自分の得た知見を次世代に伝える。これからの世代のために、何かを残すという意識で、ぜひブッダの慈悲の心を思い起こしてほしいと思います。

「後世畏るべし」

「最近の若い奴は」というのは、いつの時代も年長者の口癖です。

たしかに経験値はまだまだだし、なんだか頼りなく見えてくるかもしれません。

しかし、広く世の中を見渡してみると、実は若い人たちの方が、どんどん昔の世代を追い越している現実があります。

かの孔子が残した言葉に、「後世こうせい畏おそるべし」というものがあります。自分たちの後の世代は、どれだけ成長するか分からない。その可能性は計り知れないから、畏れるべきであるというのです。

さすが孔子だけあって、「最近の若い奴は……」なんて安易に口に出すことはありません。その逆で、若い人ほど侮れないぞと言っているのです。

世界で活躍する日本の若者たち

たとえばスポーツの世界などは典型的でしょう。

齋藤孝『60歳からのブッダの言葉』(秀和システム)
齋藤孝『60歳からのブッダの言葉』(秀和システム)

2022年11月、サッカーのワールドカップが開催されました。日本はドイツ、スペインと同じ組で、まず予選突破は無理だと誰もが諦めかけていました。

ところがフタを開けてみれば、コスタリカには負けたものの、ドイツとスペインに2対1で逆転勝ちし、なんと予選1位通過を果たしました。

堂安律選手や三苫薫選手などの新しいタレントが躍動し、日本サッカーも大きく前進しました。明らかに若い世代には才能のある選手が増え、強くなっています。

野球では、二刀流の大谷翔平選手がメジャーで大活躍し、ベーブルースの記録を塗り替えました。

国内でも、王貞治選手の55本の記録を超える日本人のホームランバッターは出ないと思われていましたが、村上宗隆選手が56本のホームランを放ち、日本人として初めて記録を塗り替えました。

ボクシングの井上尚弥選手は、アジア人初の4団体統一王者となり、世界で最も権威あると言われるアメリカのボクシング専門誌「ザ・リング」のパウンド・フォー・パウンドランキングで、日本人として初めて1位の評価を得ました。

彼らを見ていると、とても「最近の若い奴は……」なんて言えません。

後世畏るべし、まさにピッタリではないでしょうか。

スポーツだけではなく、あらゆる分野において、「後生畏るべし」という視点で若者に接すると、若い人との関係性も自ずと変わってくると思います。

齋藤 孝(さいとう・たかし)
明治大学文学部教授
1960年静岡県生まれ。東京大学法学部卒業後、同大大学院教育学研究科博士課程等を経て、現職。専門は教育学、身体論、コミュニケーション論。ベストセラー作家、文化人として多くのメディアに登場。著書に『孤独を生きる』(PHP新書)、『50歳からの孤独入門』(朝日新書)、『孤独のチカラ』(新潮文庫)、『友だちってひつようなの?』(PHP研究所)、『友だちって何だろう?』(誠文堂新光社)、『リア王症候群にならない 脱!不機嫌オヤジ』(徳間書店)等がある。著書発行部数は1000万部を超える。NHK Eテレ「にほんごであそぼ」総合指導を務める。

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