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福田萌さん「『中田敦彦の妻』と呼ばれることも私の強み」

  • 2023.7.21

エッセイ「『中田敦彦の妻』になってわかった、自分らしい生き方」で、夫との紆余曲折の日々を綴った福田萌さん。多忙な夫に代わり、家事・育児を一手に引き受けるなか、「中田敦彦の妻」扱いされることにモヤモヤしたことも。そんな福田さんがたどり着いた「自分らしい生き方」について聞きました。

――福田さんは結婚の翌年の2013年、28歳で第一子を出産。すべてのレギュラー番組から卒業しました。築き上げたキャリアから降りる葛藤や焦りはありましたか。

福田萌さん(以下、福田): それはもちろんありました。頭では理解しているんです。テレビの収録、夜中までできますか?って言われたらできないですし、じゃあシッターさんを頼んで……といっても、そこまでして自己実現したいのか、って思いますし。「じゃあ今は子育てに徹するしかないな」と結論は出すものの、子どもをあやしながらテレビを見ていると、どんどん新しいタレントさんが出てくるんですよね。私のことなんて忘れられていくんじゃないかって焦りました。だから、ブログで妊娠・出産・育児についてたくさん発信して、なんとか忘れられないように努力したり、いろんな資格の勉強をしたりして、イベントに呼んでもらえるようにしていました。

朝日新聞telling,(テリング)

――当時、中田さんは多忙を極め、ほぼ家にいない状態。どうやって夫婦関係を保っていましたか。

福田: 今の私の役割は家庭を守ることだってわかってはいたんですけど、やっぱり自分のやりたいことに時間を取れないことにどんどん不満ポイントが貯まっていって……。そういう時は、夫に話を聞いてもらっていました。夫はおしゃべり好きなので、どんなに忙しくっても、帰宅後1時間くらい夫婦で話す時間を取ってくれるんです。当時、夫も仕事で悩んでいた時期で、私も大変だけど夫も大変なんだなと思えたのは大きかったと思います。

ワンオペ育児のお手本は母

――ワンオペ育児はどう乗り越えたのでしょう。

福田: 私の子育てのお手本と言えば、母なんです。私の母は幼稚園の先生で、働きながら3人の子どもを育てていました。その姿を見ていたので、ワンオペもまあ不可能ではないのかなって軽く考えていたんですが、いざやってみると本当に大変で。改めて母を尊敬しました。子ども時代は母が迎えにくる6時まで、近所の専業主婦の方のおうちに預かってもらっていたんです。民間学童のような感じで、そこで宿題もさせてもらって。そういう算段も母が全部自分でつけていたと思うと、本当に頑張ってくれたんだなあと思います。

私自身、夫の「いい夫やめました宣言」から、家事代行を頼むようになりました。育児のお手本の母だって、人の手を借りてなんとかこなしていた。料理の作り置きとキッチンの掃除、アイロンがけなどをたまに家事代行の人に頼むようにしたら、気持ちの余裕もできたし、なにより子どもに優しく向き合えるようになりました。その後、シンガポールへ移住したら、こちらはもっとお手伝いさん文化が発達していて、お手伝いさんを頼むことが女性の雇用促進にもつながったりするので、積極的に活用しています。

朝日新聞telling,(テリング)

――本のタイトルもそうですが、“福田萌”ではなく、“中田敦彦の妻”という扱いを受けることが多いことをどう感じていらっしゃいますか。

福田: 〇〇の妻、〇〇のママという呼ばれ方に、傷ついていた時期は確かにありました。「私は私だし、私の築き上げたキャリアは私のものだし、なんで付属品みたいに言われなきゃいけないんだ」って。でも今は、「中田敦彦の妻」という肩書きも、わたしの大事な要素だと思うようになりました。たとえば、過去は女優さんとして出ていた方が、今は夫婦セットでタレントさんとして出ている場合、見ている方は、そういうキャラとして見ているだけなんですよね。自分の中には、「私は福田萌だ」っていう芯がちゃんとあるから、あとはただ、ほかの人がつけた名前なんだって思えるようになりました。それにこの先、夫のほうが「福田萌の夫」って呼ばれて、逆転することだってあるかもしれない。誰が主役で誰が脇役かっていうのは、入れ替わり続けるものだと思うんです。

萌流マンダラチャートの埋め方

――エッセイの中にあった、「母の私、妻の私ではない、ただの福田萌という私として、自分だけの自分を生きたい」という言葉に惹きつけられました。今、そのために取り組んでいることや考えていることはありますか。

福田: 最近、夫がWBCのドキュメンタリー映画「憧れを超えた侍たち 世界一への記録」で知った、大谷翔平選手の「マンダラチャート」にハマっていて。真ん中に大目標を書き、その周りにそれを叶えるために必要な力を小目標として書き、さらにその力をつけるために必要なことを書いていく……というものなんですけど、「君たちも作れ! 今日作れないってことは一生作れないぞ!」って発破をかけられて(笑)。でも、私はどうしても真ん中の大目標が埋められなかったんです。

数年前から「福田萌のママズオンラインサロン」を主宰しているのですが、そこでその話をしたら、メンバーの一人に「萌さん、それは当たり前じゃないですか」って言われたんです。「萌さんの大目標が『日本のテレビでMCになりたい』とか、『旅番組のロケに毎週行きたい』とかだったら、それは家族が壊れちゃうことになる。今の萌さんのいちばん大切なことは家族を守ることだから、今はチャートが書けなくて当たり前です」って。すごく腑に落ちました。私自身が「こうありたい」というのは、子育てが落ち着いて、また違う時期が来たらでいいと思っています。

朝日新聞telling,(テリング)

でも、今を諦めているわけではないんですよ。私の周りには子育てを終えて、大学に通いだしたり、起業したり、自己実現を叶えたすてきな先輩がたくさんいて。私も児童虐待防止の活動や、オンラインサロンを運営する中で、ひとつひとつの学びや出会いからエッセンスを吸収しているところ。きっと、私のマンダラチャートは周りから埋めていって、最後の最後で真ん中の大目標が見え、完成するんだと思います。今、仕事や育児で、自己実現が後回しになって悩んでいる方がいたとしたら、その日々のなかにも学びや発見があって、無駄じゃないということを伝えたいです。それに、必ずまたいいターンが巡ってくるということも。

うちの夫の座右の銘は「前言撤回」なんです。シンガポールに移住して、今ようやく生活が落ち着きましたが、またいつ「日本に戻る!」「今度はアメリカだ!」なんて言い出すかわかんないなって思っています。でもそれが面白いし、そのおかげで私もいろんな体験ができている。「中田敦彦」というジェットコースターに乗れてよかったなって思っています。

スタイリング:大瀧彩乃
ヘアメイク:田中裕子
衣装:HUNDRED COLOR

■清繭子のプロフィール
ライター/エディター。出版社で雑誌・まんが・絵本の編集に携わったのち、39歳で一念発起。小説家を目指してフリーランスに。Web媒体「好書好日」にて「小説家になりたい人が、なった人に聞いてみた。」を連載。特技は「これ、あなただけに言うね」という話を聞くこと。note「小説家になりたい人(自笑)日記」更新中。

■田中舘 裕介のプロフィール
フォトグラファー。 1984年生まれ 岩手県出身 出版社写真部を経てフリーランス

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