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人生、毎日楽しすぎる人と、毎日つまらなすぎる人の差は、ここから始まる!

  • 2023.7.17
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一人幸せそうな人より、楽しそうな人のほうが人を幸せにする

今やハリウッドでは50代、60代、70代をヒロインとする映画が目白押し。かつてハリウッド女優に40歳定年説があったことを考えれば、かなりの進化である。

ただそういう意味で、見えない定年を乗り越えて活躍し続けている女優は、はっきり言ってやっぱり一握り。50代オーバーでも引っ張りだこの女優は、ケイト・ブランシェットやニコール・キッドマンなどのクラスに絞られるのだ。

実は今も40歳を超えると、美人女優でならした人ほど出番は少なくなる。整形がらみでゴシップ誌が取り扱うほかは、あまり姿を見なくなっていたりするのだ。それって精神的にどうなのだろう。昔チヤホヤされていた人ほど、その後の様子がちょっと心配。実際に、引きこもってふさぎ込む人も多いと聞く。

ちなみにそれはハリウッドで歴史的に繰り返されてきた、残酷すぎる女優の運命。美容医療もあってなかったような時代、40歳を過ぎて衰えて仕事がなくなると、部屋に閉じこもったきり出てこない元美人女優が少なくなかったとされるのだ。未だ状況はあまり変わっていないが……。

ただそんな中にあって、映画にはとんと出なくなったものの、別の意味でやたら元気な姿を見せつけているのが、グウィネス・パルトロー50歳。自らライフスタイルブランド『goop』を立ち上げ、大成功させているのはご存じの通り。

とはいえ、このブランド、14年前に設立されてからずっと物議をかもしている。ハイソなマダムに絶大な支持を得る一方で、たびたび炎上。それも、提案が似非(えせ)科学だとか、根本的に間違っているとか、散々な言われよう。「毎日17時間断食で、昼はスープのみ、夜は野菜のみ」と提案すれば「見るからに不健康そう」と叩かれ、「ビタミン不足になる体質なの」と点滴を打ちながらテレビ出演して「栄養失調なのでは?」と騒がれ、「農耕を開始する前の狩猟採集型の食生活でデトックスしているの」で大顰蹙(ひんしゅく)。

そうかと思えば、“膣”をテーマにビジネスを展開。膣の蒸気洗浄やヒスイの膣用エッグをホルモンバランスを整えるものとして提案したり、「私のアソコの匂い」のキャンドルを発表したりで、「この人、大丈夫?」と嘲笑されるが、これが発売するや否や数時間で完売するなど、危ない提案ほど評価を得たりした。そして昨年、50歳になった時、金粉をまとう形でのフルヌードを公開。実はこんなことを語ったのだ。

「50歳になって、最高の気分。40歳の時『私の人生は終わった』と、本当に気が狂いそうになった。『もう魅力的でなくなるし、社会からも必要とされなくなる』って。本当にパニックになったけど、50歳の今は正反対! 人が自分を魅力的だと思おうが思うまいが関係ない。今、私は自分を愛しているから」と。

でも、奔放に自分の作りたいものだけ作って、賛否両論あるもビジネス的に大成功となれば、そりゃあ自分を好きになれるでしょう?と、意地悪な見方もできるけれど、少なくとも今この人は毎日が楽しくて仕方ないといった風情。多くの40代、50代の女優が悶々としている中で、この人は一人、有頂天なのだ。

ただ、いみじくも告白しているように、自分の魅力が減って同時に仕事がなくなり、気が狂いそうだった40代を通り抜けてきたから気づいたのだろう。自分を好きでいられるテクニックに。

でもなぜ成功したか? これ、ひとえに何をやっても楽しそうだからではないか。それも、自分のこだわりをビジネスにして、デトックスしまくり……。明らかにやり過ぎだけど、何か憎めない。それは本人がとても楽しそうだからでは?

実は【幸せそうな人】より、【楽しそうな人】のほうが、まわりを幸せにする。一人勝手に幸せよりも、るんるん楽しそうなほうが、まわりにプラスの空気が伝わって、人の心を打つからだ。で、グウィネスこそ、幸せというより、楽しそうな人。変なものをいっぱい作って(美しいものもいっぱい作ったが)、どうバッシングされようと楽しそうである強さには、みんな敵わないのだ。

未知なる体験→刺激→快楽。「毎日楽しそう」の絶対の方程式

では「楽しそう」はどこから来るか?

生来の性分もあるが、それ以上にドーパミン。そう、毎日が楽しい人と、つまらない人の決定的な差、それはドーパミンを自ら引き出しているかどうかなのだ。

ちなみに買い物依存症は、快楽を覚えたりワクワクしたりする報酬系といわれる脳内の部位が機能異常を起こしている状態。初めて高級ブランドで買い物して店頭でもチヤホヤされ、とても誇らしかった経験で報酬系が刺激され、快楽物質ドーパミンが大量に作られる。だからさらなる快楽を求めて買い物を繰り返すうちに刺激に対し鈍感になり、エスカレートしていくのが依存症で、そこまで行ってはいけないが、快楽物質を適度に出していく日々が送れたら、人は毎日毎日楽しくて仕方がなくなるはずなのだ。

つまり報酬系機能をマヒさせずにドーパミンを出し続けるためには、いろんな体験で快楽を得ること。頻繁に新しいことに挑むこと。そもそもが未知の体験は時間の密度を濃くするが、毎日同じことの繰り返しだとスカスカ、だから一年はアッという間だが、新しい体験をした一年間は、長い。自分に慣れてしまわないように未知の体験を差し込み日々を満たすことが、毎日が楽しいという快感を生むのだ。

快楽が足りないなら、アートを観て、コンサートに行けばいい。でも何よりの体験は、未知の人との出会い。もちろん会わなきゃよかった出会いもあるだろうが、俗にいう「刺激を受ける」は、モノやコトより、ヒトから得るものを指すはずだ。自分よりもすごいこと、楽しいことを何か一つでもやってる人からもらう刺激が、もっとも効果的だからである。

たとえば、毎週末に必ず旅行に行っているような人に会ったら、えー、そういう生き方ありなの?と、大いに刺激を受け、人生損したような気分になるはず。でも実は毎週毎週旅するために、平日は仕事を2つしていると聞けば、もっと大きな刺激がドカンと来る。この人スゴいと、真似はできずとも何らかの心の変化があるはず。だから自分の想像を超えていく人と会うことなのだ。好き嫌いではない、刺激を与えてくれる人との出会いが重要なのである。

かくして、新しい体験→刺激→快楽のスパイラルで、快楽物質を出し続けるのが、毎日毎日楽しい人の絶対の方程式。それが自分自身に飽きない、自分の人生に飽きてしまわないための鍵でもある。自分を好きになりましょうと言ったって、家で鏡を見続けても好きにはなれない。そうやって、自分をどんどん外に連れ出し、体と心をどんどん動かすことが大事なのだ。

そして、こうした素晴らしいスパイラルをもたらす上で、何より重要なスイッチが一つある。新しい体験も刺激も快楽も、まずこれがなければ何も始まらないという、たった一つのスイッチが。気づいただろうか? それはズバリ、【面倒がらない】こと。

人生を楽しく生きられるかどうか、その分かれ道はもう決定的に、面倒がらないことなのだ。ちなみに、断捨離から日々の部屋の掃除まで、面倒がったら、もうそれだけで暮らしがすさむ。毎日の食事も面倒がれば、それだけで貧しい生き方になっていく。人生を一番つまらなくするのは、ひとえに億劫がることなのだ。

人との出会いは確かに面倒。いや面倒なのは“人付き合い”で、出会い自体は発見に他ならない。人との出会いを億劫がっていると、人生変わるほど大きな快楽も絶対に得られないことだけは確か。ともかくヒトとコトを面倒がる、その積み重ねがスカスカな人生につかって、つまらない毎日を送る悪いスパイラルの悪しきスイッチだって気づきたいのだ。

面倒がらない心がけ、それだけでもう間違いなく日々は楽しくなる。ひょっとしたら、人生を生きる上で、もっとも大切かもしれないこと。面倒がらない。それだけで毎日は面白く動いていく。楽しいだけでなく、美しくも生きられる。正しくも生きられる。本当にそれだけで。面倒がらずに、次々と問題作をつくり出す、グウィネス・パルトローのように。

ひょっとしたら、人生で一番重要かもしれない、毎日楽しすぎる生き方のスイッチがある。新しい体験も刺激も快楽も、まずこれがなければ何も始まらないという、たった一つのスイッチが。それはズバリ、面倒がらないこと!

撮影/戸田嘉昭 スタイリング/細田宏美 構成/寺田奈巳

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