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「母親が私じゃなければ幸せだった?」息子の障害に向き合う母の正直な気持ち

  • 2023.7.16

5歳でADHD・広汎性発達障害の診断を受けた息子との毎日は、常に余裕がありませんでした。ついつい怒りすぎてしまう日々。子どもが生まれる前は、幸せな毎日を送れると思っていたけれど、実際の子育ては楽しいことばかりではありません。「私が母親じゃなかったら」そんなことを考えてしまう私は、母親失格だったのでしょうか。この記事はインスタグラムで「発達障害と共に生きる」家族のコミュニティそらあいのSHI-(@_so_ra_ai_)が障害児を育てる自分の思いをつづります。

「ママ」でいることがつらくなっていた日々

息子は小さいころからとにかく「育てづらい」子どもでした。でも、そう感じていたのは私だけで、主人や実母、園の先生に相談しても「子どもだからそんなもんだよ」「男の子だから元気なだけ」そう言われていました。

しまいには「考えすぎ」と一言。

日々子どもと向き合う中での行き場のないいらだちや、周囲に大変さを理解してもらえない中で、自分が母親に向いてないのではないかと考えるようになっていきました。

息子に対して「何でちゃんとできないの?」「どうして皆と同じにできないの?」「ママをこれ以上苦しめないで」…こんな気持ちがわいてきてしまいます。

息子を理解したいのに理解してあげられない自分が情けなくて「私、母親失格だ」そう感じるようになりました。

私が母親じゃなかったら、他の人が息子の母親だったら幸せになれたのでは、そんな思いで毎日泣いていました。

障害がわかってからも、つらい日々が続いた

その後、わが子に障害があるとわかってからは、何かあるごとに「この子には障害があるからだ」としか考えられなくなっていたと思います。息子本人を見ているつもりが「障害」しか見ていない状態になっていたのです。

「何でうちの子なの?」「何で私なの?」そんな思いばかりが胸を締め付けるのです。

なかなか周りから理解されず寄り添ってくれる人がいない中、障害について検索し続ける日々。検索するたびに障害の特徴に息子が当てはまり、涙していました。

息子の落ち着きのない毎日、止むことのないかんしゃく、園のお友達に対する他害で周囲に謝る日々。そんな毎日に疲れ、それに比例するように息子へ怒ることも増えていきました。

怒って泣いて、笑って泣いてそんな毎日でいい

つらいと感じる日が続く中、ふと気づくと自分の中に「わが子への強い執着心」があることに気づきました。幼いわが子を守るのに必死だったからこそだと思います。

自分の子だから「すべて分かって当たり前」「すべて知っていて当たり前」そんな思い込みがありました。「この子の気持ちは私が1番分かっている」と、無意識に強く思っていたのです。

しかし、本当にそうだろうかと自分に問いかけてみました。わが子の気持ちを私はすべて知っているのだろうか。わが子の思いをすべてわかって、形にできているのだろうか。もちろんそんなことはありません。


私は私。息子は息子。親子ではあるけれど、同じではありません。また、ずっと一緒ではありません。

息子に対して「あなたはあなた。わたしはわたし」そう思えるようになると、心がすっと軽くなりました。

親である私の中に存在していると思っていた息子は、確実に私の手を離れ「彼自身」を生きていると感じることが多くなったのです。

自分と息子を少し切り離して考えられるようになってからは「毎日悩むことも大変なこともあるけれど、その日を笑って過ごせたらそれで幸せ」と考えています。

もう一度ママになるとしても、あなたのママでいたい

現在、12歳になる息子。その当時の自分の苦しみも今は少しずつ言葉にして伝えてくれることがあります。「あの時、ママはいつも怒ってたよね」そう笑いながら話している息子には今でも申し訳ないという思いはぬぐえないけれど、この子のママでいたい、と心から感じるのです。

私は、もしまた生まれ変わってもこの子に会いたい、この子のママでいたいと思います。そしてこの先、私がいなくなった人生も、いつまでも幸せでいて欲しいと願っています。

障害児育児は言葉にできないほど、大変な毎日です。「できないこと」にばかり目がいくと、子育て自体が本当につらくなります。一人で抱え込まず周りを頼ってくださいね。

著者:ママリ編集部

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