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【思悼世子と孝明世子】天才世子の栄光と悲劇はなぜ起こったのか

  • 2023.7.14

たくさんの韓国時代劇を見ていくと、『100日の郎君様』『雲が描いた月明り』『シュルプ』など世子を描いた作品がとても多い。その場合、ほとんどが優秀な人物として描かれている。そういう姿をたくさん見てくると、歴史上で頭が良かった世子といえばどんな人がいるのかと気になってしまう。そこで調べてみると、とても頭脳明晰だったと歴史に残る世子が2人いた。

1人は思悼世子(サドセジャ)である。最後には、彼の父である英祖(ヨンジョ)によって米びつに閉じ込められて飢え死にするという、悲劇的な運命を辿った。

しかしながら、彼の幼年期には神童として称賛され、儒教の教科書を瞬く間に暗記し、中国の歴史にも深い理解を示した。その非凡な才能が際立っていたため、英祖は彼に大いに期待を寄せ、10歳から公式の政治会議に出席させて経験を積ませた。

けれど、10代後半から彼の行動は急激に悪化し始め、家臣に対する暴行や側室の殺害など、悪癖が目立つようになった。これらの一連の出来事により、英祖は怒りに燃え、思悼世子を飢え死にさせた。一見すると、彼の優れた知性が彼の破滅を招いたかのように見える。

もう1人の世子は孝明世子(ヒョミョンセジャ)である。本名はイ・ヨンと言う。彼はドラマ『雲が描いた月明り』でパク・ボゴムが演じていた。

『雲が描いた月明り』でパク・ボゴムが孝明世子を演じた(写真=KBS『雲が描いた月明り』公式サイトより)
国王になれなかった2人

孝明世子は10代の初めから卓越した洞察力を示し、父である純祖(スンジョ)も彼に大いに期待を寄せ、代理として政治を任せるほどであった。その際に、孝明世子は人事改革に成功し、宮廷の儀式なども見事に改善した。

若々しさに満ちた彼の政治行政能力は素晴らしく、そのため純祖は早期に引退し、すべてを孝明世子に任せようとした。しかし、その矢先に孝明世子は病魔に襲われ、わずか21歳でこの世を去ってしまった。

彼の死は朝鮮王朝の政治にとって、計り知れない損失であった。その後、朝鮮王朝は徐々に衰退してしまったのだ。

以上のように、結局は国王になれなかった2人の世子だが、彼らがもし国王になっていれば、どんな統治をしたのだろうか。そして、どんな世の中になったことだろうか。とても気になる2人の世子であった。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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