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10年足らずで激変した…40代の漫画家が駅の「痴漢犯罪防止ポスター」を見て受けた衝撃

  • 2023.7.14

痴漢犯罪に対する社会の認識は、どのように変わってきているのだろうか。漫画家の田房永子さんは「地下鉄やJRの駅構内に掲示される痴漢犯罪の啓発ポスターは、以前は、被害者だけが行動を起こすことが前提になっていたが、最近は周囲の人たちが助けることが前提になっている。その背景には、ここ10年の社会全体の痴漢に対する認識の変化があるのではないか」という――。

少し混み合っている地下鉄車内、並んでいるつり革
※写真はイメージです
痴漢犯罪の啓発ポスターを見て受けた衝撃

先日、都営地下鉄でこのポスターを見かけて衝撃を受けました。

2023年1月から都営地下鉄等の駅構内や社内に掲出されている痴漢対策ポスター
2023年1月から都営地下鉄等の駅構内や社内に掲出されている痴漢対策ポスター(提供=東京都交通局)

都営交通による、痴漢犯罪の啓発ポスターです。

「痴漢 目撃 助けたい 助ける準備、できていますか?」というコピーの下に、助けるための具体的な3つの方法が記されています。

電車内や駅構内での痴漢犯罪、性暴力防止のポスターがここまで進化していることに私は感動しました。

このポスターが貼られていること自体が、この10年で社会全体が成熟したことを意味しています。このポスターがどれだけすごいことなのかを、過去の啓発ポスターと比較しながら書いていきたいと思います。

かつて話題になった2010年代のポスター

痴漢犯罪防止啓発ポスターで最も注目され話題になったのは、2013年から掲示されていたこの漫画シリーズでしょう。

2014年6月からJR東日本などの各地の鉄道事業者の駅構内などに掲出された痴漢撲滅キャンペーンポスター
2014年6月からJR東日本などの各地の鉄道事業者の駅構内などに掲出された痴漢撲滅キャンペーンポスター(提供=JR東日本)

昭和の漫画の懐かしい絵柄をモチーフにして1人のイラストレーターの方によって描かれていたシリーズです。毎年、劇画風や少女漫画風などハイクオリティーな新作が発表され、最終的にはスタジオジブリ風まで制作されていました。

それまで地味で堅い印象でひっそりと貼られていた痴漢犯罪防止啓発ポスターが、このインパクト抜群の漫画シリーズによって多くの人の目に留まるようになったといわれています。

このあまりにも上手な漫画シリーズの絵柄が毎回変わるのが面白くて、私も楽しみにしていました。新作を見るたび、心の中でクスッと笑ってしまう。

その反面、痴漢犯罪防止啓発のポスターとしては強い違和感も持っていました。

にじみ出ていた「たいしたことないんだろう」感

漫画シリーズが貼られていた2010年代は、世間に「痴漢に遭うってたいしたことじゃないんだろう」という雰囲気がただよいまくっていました。

2015年の痴漢撲滅キャンペーンポスター
2015年の痴漢撲滅キャンペーンポスター(提供=JR東日本)

「痴漢の被害の深刻さについて、社会全体で認知を広げるような啓発が必要である」と被害者の人たちが声を上げても、「痴漢冤罪に巻き込まれるほうが大変だ」という認知の方が浸透していて、被害者の声が押しやられ、問題が矮小わいしょう化されるという事態が長らく続いていました。

テレビドラマでも、痴漢をテーマにしたストーリーは、被害者女性が実は嘘をついていたとか、「痴漢冤罪でした」というオチになっているものがほとんどでした。

恋愛ドラマの第一話の1番最初のシーンで主人公が痴漢と間違えた男と入社先の会社で再会して気まずい思いをする、という「お話の始まりのツカミ」でも痴漢冤罪はライトなテイストで長年にわたり非常によく使われていました。

そういう情報が表立って蔓延している世の中で、電車の乗車中に「痴漢です」と声を上げられても、多くの人は「本当なのか?」「関わりたくない」と思ってしまっても仕方がない。助ける行為に消極的になるのは当たり前です。

私は漫画シリーズを見るたび、その社会に漂う「痴漢に遭うというのは、そこまでたいしたことないんだろう」感がより強調されているような気がしていました。

被害者の表情に表れていたもの

特に紫色でデザインされた2017年版のポスターの中の「痴漢です」と訴えている女性が、目の下に入っている斜線によって、決意の中にある少しの恥じらいみたいな表情に見えることに大きな違和感を持っていました。

2017年の痴漢撲滅キャンペーンポスター
2017年の痴漢撲滅キャンペーンポスター(提供=JR東日本)

中高生時代に頻繁に被害に遭っていた当事者としては、痴漢加害をされたりそれを目撃したりした時というのは、恐怖と嫌悪と怒りによる顔面蒼白のほうが近いからです。この頬の斜線に、当時の痴漢犯罪に対して社会が持つイメージが凝縮されていたと言ってもいいでしょう。

この漫画シリーズを見ていて感じるのは「わが社の鉄道を使う乗客に性暴力・性犯罪をすることは断じて許さない」という鉄道会社からの強い意志よりも、「(ポスターを)作ってる人たち毎回楽しそうだな」ということでした。

もし、テレビドラマで「振り込め詐欺」がこのように描かれていたらどうでしょうか。

「おばあちゃんが振り込め詐欺に引っかかった」というドラマの出だしで、実はおばあちゃんが嘘をついていた、おじいちゃんが勘違いをしていた、振り込め詐欺をしている人はそもそもいなかった、というオチが頻繁にドラマで流れていたら。違和感を持つ人は多いだろうと思います。

だけど痴漢犯罪の描写になると、どこか笑いをもって処理されたり、「痴漢に間違われる男」がコミカルに描かれたりするのが結構当たり前でした。

被害者の行動、周りの人の行動

痴漢犯罪に対する社会の認識は、2020年代に入って急激に変化したと実感しています。つまりここ3年ほどです。

ドラマで「痴漢」をツカミで使ったりすることも、ここ数年急になくなったように思います。

2010年代の漫画シリーズと、2023年の現在掲示されている「助ける準備、できていますか?」という、2種類のポスターのコピーを見てもそれがよくわかります。

2010年代は「みんなの勇気と声で痴漢撲滅」というコピーで、「被害者をみんなで助けよう」と呼びかけています。一方、2023年の「助ける準備、できていますか?」はもう「助ける」が前提になっていて、その方法を掲示しています。

今までのポスターは、「被害に遭われた方は駅係員までお知らせください」とか「痴漢被害に遭ったら110番」と書かれているだけでした。被害者が自分で誰かに知らせたり、通報したりしてください、という呼びかけです。「みんなで撲滅」と呼びかけてはいるけど、被害者以外の第三者がそこにどう介入すればいいのかは書いていませんでした。

どうしてかと言うと、そもそも第三者が少しの勇気を出せば助けられるような策は、何も用意されていなかったからです。ポスターに書きようがないですよね。

知られていなかった痴漢の被害

どうして策がなかったのか。

それは社会全体が、痴漢犯罪の被害を今よりだいぶ軽く捉えていたからに他なりません。まず、痴漢犯罪の被害者がどのような被害に遭っているのか当事者以外知らない、という現実がありました。知らないというのは、知らされていない、ということです。

被害者がどのような恐怖を感じているか、を多くの人が知らず、「痴漢という行為は安全に安心して電車に乗る権利を侵害される犯罪である」ということが啓発されていなかったのです。

ポスターが「駅員がどんな目に遭わされているか」を明らかにした

痴漢犯罪に関しては漫画シリーズのポスターが貼られていましたが、「乗客による駅員への暴力は犯罪である」と啓発するポスターは画期的でした。2015年ごろから見かけるようになった「暴力は犯罪です。」のポスターには、具体的な被害内容が書かれていました。

2015年の暴力行為防止ポスター
2015年の暴力行為防止ポスター(提供=JR東日本)

「頭突きをしてケガをさせる」「ネクタイを引っぱる」「ビールをかける」という暴力行為が文字とピクトグラムで描かれています。多くの人の知らないところで、駅員が乗客からどんな目に遭わされているのかがすぐにハッキリ分かります。

昭和生まれで「警察24時」を見まくっていた私なんかは、もし駅員に酔っ払いが絡んでネクタイを引っ張っていても、「駅員側は『これも仕事ですから』と思っている」、と流してしまいそうだ、と思いました。このポスターがなかったら。

でも改めてこうして、赤と黄色と群青色のコントラストで、具体的に「コレは暴力だ!」と訴えられると、駅員および鉄道会社が乗客による暴力にどれだけ怒っているかが強く伝わってきます。そしてその暴力は犯罪であり、絶対に許されないことなんだということをハッキリ認識することができる。

2010年代、この「暴力は犯罪です。」ポスターの横に、痴漢の漫画シリーズが貼ってあったわけです。

私は、「駅員への暴力は犯罪です」ポスターと同じタイプの痴漢ポスターを作ってもいいのではないかと思っていました。「体を触る」「性器をこすりつける」「精液をかける」「陰部を見せる」「下着の中に手を入れる」「盗撮する」などもっとたくさん犯行の方法があるけど、それらが「暴力(性暴力)で犯罪である」と明記してもいいんじゃないかと。しかし他の犯罪と違って、具体的な内容を掲示することがはばかられるのが、痴漢犯罪の問題の一つでもあります。

10代の被害者が被害を届け出る難しさ

10代の子どもたちも、痴漢の被害者の多くを占めています。どれだけ被害者に「被害を届け出ろ」と言ったって、限度があるというか、そもそもが無理な話なのです。

被害者が「痴漢に遭った、助けて」と言いやすくなるかどうかは、ポスターの絵柄を工夫することではなく、周りにいる人たちの知識と意識と認識がとても重要だと、被害者の人たちはずっと声を上げていました。

痴漢犯罪の行為はバリエーションがあり、被害者にさえもわかりにくいです。「周りにいる人が、痴漢という犯罪がどういうものかという知識を持っているか、絶対に許されないことであるという認識があるかどうか」がとてつもなく重要です。

その知識と認識が、実際の痴漢犯罪行為を見逃さないという意識につながります。

複数の「助け方」が具体的にわかる

そもそも、痴漢犯罪は天災でも自然災害でもなんでもなく、それをやる加害者に多大な問題があるので、「どうしてそこまで被害者と第三者が意識を上げていかなきゃいけないんだ」って話なのですが、それが現状です。

「助ける準備、できていますか?」ポスターは、車内で痴漢犯罪行為を見かけたら「非常通報器」を鳴らしていいと明記しています。さらにスマホアプリを被害に遭っているかもしれない人に見せる方法、そして直接、声をかけることがどのように被害者を救うのかを簡潔に表現しています。

東京都交通局の公式サイトの「痴漢対策」ページにはこのような記載もあります。

「列車が駅に到着した後は駅係員又は巡回中の警察官まで、痴漢行為を見かけたことをお知らせください。駅係員から、110番通報するなど、適切に対応します。」

駅係員が110番してくれるんだ、と安心できます。

このように、助ける側の方法が複数あって、なおかつ1人の作業が重すぎないことを知らせてくれることで、第三者はやっとその場に応じた対応ができます。

通報器やスマホアプリなど、乗客側では用意できないものをしっかり提示して、乗客がスムーズに助けられるように促している。

被害者の声をしっかり聞き、その深刻さを理解し、どうしたら痴漢犯罪をなくすことができるか、を鉄道会社や警察が真剣に考え、向き合い、ちゃんとお金を使って対策をとる。これが数年前までは本当に感じられませんでした。しかし、今は「助ける準備、できていますか?」までに進化しています。この10年で前進した世の中を象徴するポスターだと思いました。

5年ほど前、ネットで私が漫画シリーズのポスターについて本音を書いた際、「漫画を描いてるくせに漫画で表現したものを批判するなんて」と数名の方から叩かれました。

本当に漫画シリーズは、配色や描画などとても優れているとは思います。でも今もし、同じ漫画シリーズが貼られたとしたら、違和感を持つ人が当時よりは格段に多いに違いありません。

田房 永子(たぶさ・えいこ)
漫画家
1978年東京都生まれ。2001年第3回アックスマンガ新人賞佳作受賞(青林工藝舎)。母からの過干渉に悩み、その確執と葛藤を描いたコミックエッセイ『母がしんどい』(KADOKAWA/中経出版)を2012年に刊行、ベストセラーとなる。ほかの主な著書に『キレる私をやめたい』(竹書房)、『お母さんみたいな母親にはなりたくないのに』(河出書房新社)、『しんどい母から逃げる!!』(小学館)などがある。

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