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「母親が抱えがちな罪悪感をいかに乗り切るかが肝心」#04 山野アンダーソン陽子さん (ガラス作家) 前編

  • 2023.7.14

クラフトマンシップを持ち、生活に寄り添いながらも佇まいのあるガラスの食器やフラワーベースなどをつくるガラス作家の山野アンダーソン陽子さん。最近では、雑誌や書籍、WEBメディアなどで日々の暮らしや旅の記憶を綴ったエッセイも手掛ける。現在、スウェーデン・ストックホルムで夫と8歳になる息子と3人で暮らしているが、彼女のガラス作品が人気なのはここ日本ばかりではない。ストックホルムの工房で日々ガラスを吹くだけでなく、ヨーロッパ各地や日本をはじめ、中国、モロッコへと展示会や作品制作のために、忙しく飛び回る。産後もそれは同じで、生まれたばかりの7ヶ月の息子を置いて、1週間イギリスに出張したこともあると言う。仕事と子育て、アーティストとして生きるために子どもとどう向き合ってきたのか。スウェーデンでの子育てが彼女にどんな影響を与えたのか。じっくりと話を伺った。

山野さんは、もともと結婚にも子育てにも興味がなかった、と話す。

「父母は共働きで、とても忙しかった。私と弟は、ほとんどの時間を祖父母と過ごしていました。あとは、叔母も祖父母と一緒に住んでいたので、祖父母、従兄弟のいる叔母一家がひっくるめて私の家族、のような認識でいた。その日々が、寂しかったとか辛かったとかはまったくなく、楽しいものでした。逆に、その環境だったからこそ大人がたくさん周囲にいることで、“大人はそれぞれみんな考え方も働き方も違うもの”と言う認識を早めに持てたんだと思います。お母さんがずっと家にいる家庭で育ってそれしか知らなかったら、もしかしたら結婚して、家庭を持って専業主婦になるのが幸せだと思ったのかもしれないけれど、私はそうはならなかった」

子どもを育てる、ということについても山野さんの育った環境が彼女の考えに大きな影響を与えた。

「母は若い頃、乳児院で仕事をしていて、土日もボランティア活動に参加したりしていました。育ててくれた叔⺟もとてもフェアな⼈で、実の子と分け隔てなく、同じように接してくれた。だからなのか、私自身も家族の形を考えるときに、別に血のつながりはそんなに必要ないのかもしれない、と思うところがありました。また、スウェーデンでは養子縁組などで子どもを迎えることもとても自然なことで、結婚しているか、していないかも関係がない。私たちも結婚したからといって、子どもを作らないと、とは特別なりませんでした」

ここで改めて彼女の略歴を紹介すると、10代で、訪れたデパートの展示でガラスの世界と出会い、その道を志すことを決め、20代で留学。スウェーデンのガラス産業のメッカであるスモーランド地方やフィンランド、ベネチアのガラス工房や美術工芸大学で学び、その後、陶芸作家でガラスデザイナーのインゲヤード・ローマンに師事。スウェーデン国内でも高く評価され、2011年にはストックホルム市より文化賞を授与され、スウェーデン議会が彼女の作品を貯蔵もしている。

ババグーリ清澄本店で開催された郡司製陶所との展示より。テーマはグレー。当たる光によって変化するニュアンスのある色味を持つ花瓶やボトル。

「子どもを持とうか、と夫婦で話すようになったきっかけは周囲の影響が大きかったと思います。スウェーデンってすごく家族でつるむんです。友達同士で“ごはん食べようよ”と約束しても、お互いのパートナーも一緒にくるのが当たり前で。それが30代も半ばになってくると、それぞれの子どもたちも一緒につるんで遊ぶようになる。私はそういう時、子どもたちと率先して一緒にゲームをしたり、夏休みもサマーハウスで一緒に過ごしたりとしていて、それがいつもすごく楽しかった。それで、あれ、子どもって、すごく楽しそうだな、と思うようになったんです。スウェーデンの子どもたちは、親が忙しく仕事してようが、親が離婚してようが、幸せで楽しそうに見えました。あと、大人って大人だけでいるとその中で成り立つ利己的な考えに囚われてしまう感じもして。自分の周囲に子どもがいることって自分が暮らす社会を考える上で、とても大事だなと思うようになっていったんです」

子どもたちが幸せでいられる、スウェーデン社会の子育てに憧れを抱いてしまうが、とはいえ「出産後はやっぱり大変なこともあった」とも。

「日本の産院は、産後1週間程度は病院で面倒をみてくれると思いますがスウェーデンでは、産んだらすぐ帰ってね、と言われてしまうんですよ。私は、産む2週間前まで工房で仕事をしていて、そのあともスケジュールが詰まっていた。だったら、このままスウェーデンで出産して、育てながら仕事も続けようと思ったんです。産後の暮らしは2ヶ月で仕事復帰して、いつも通りにしていました。違うことは授乳をすることくらい。それも、夫が散歩がてら私の工房にやってきて、休憩時間におっぱいをあげて。その繰り返しです。産んだばかりだからって、過保護にしてもらえないことは肉体的に大変なこともありましたが、でも、なんというか合理的だなとも感じました。授乳は何時間ごとにしないとけないとか、おむつの変え方はこうとか、誰からもなにも言われないから、自分がいいようにするしかない。それってつまり、自分が合理的にできる方法で決めてやればいいので、あまり自分自身や自分の望む生活スタイルを変えなくいいんです。自分で自由に決めてやってみて、それでどうしても困ることとか、子どもの命にかかわることがあれば、公的なサポートがあるのでそこに頼ればいい。24時間、電話もできるしオンラインで相談もできる。必要な人はそう言うものを頼ればいいし、周囲の人も教えてくれます。パニックになりそうなときだって、もちろんありました。でも、そういうときもスウェーデンの人はたいてい“なるようになるよ”って言ってくれるんです。なんというか、そういう行過ぎでない言葉に救われたなと思う場面もたくさんありました」

子育てをはじめてする母親にとって、たとえそれが親切心からのアドバイスだとしてもときに過保護な周囲の言葉は、鋭く心に刺さることもある。山野さんは、そういう母親が抱えがちな罪悪感をいかに乗り切るかが肝心では、と話す。

「息子が7ヶ月のときに、ロンドンへの出張が決まりました。当時、授乳をしていたので、このタイミングで断乳をしようと決めました。それはもちろん、私の仕事の都合でしかなくて。息子は、まだおっぱいを飲んでいていい時期なのに、授乳をやめてしまうことや1週間も離れるということに少なからず母として申し訳ないと言う気持ちを抱いてしまっていました。でも、周囲にそのことを話すと“1週間も二人だけの期間を持てるなんて、それはパートナーにやらせてあげるべきだよ”とか“ちょうどいい断乳の機会を持ててよかったね”と言ってくれたんです。別に過保護じゃなくてもいいよね、というアドバイスは私の罪悪感を軽くしてくれました。育児って、どうしても母親に負荷をかける言葉が並びがちです。子育てをしていく中で大事なのは、育てている親自身の心が健やかでいれるかどうかだと思うんです。私は幸運にもスウェーデンで育児をしていたので、多少変わったことをしていたとしても、社会に“それはおかしい”とジャッジされることがなく済んでいる。でも、日本だとそうはいかないのではないかな、と思うことも多いです。さきほど言った合理的にやるほうがいい、というのにも繋がると思うんですが、父親でも母親でも、子育てをする当事者である親自身が、まず幸せになれる方法を考えた方がいいと思うんです。罪悪感を抱えず、自分がいいと思える方向に進みたい。子育てって、新しい家族が来るのだから、その子に合わせないと、と考えてしまうのは当然なのだけれど、そこで無理して自分を大きく変える必要って本当にあるのかな、と思います。私は、まずなにかを決めないといけない時、どちらに進んだ方が私がいいと思うのか、私自身がどうしたいのかをまず自問するようにしています」

後編では、現在、夏休みを利用して8歳の息子さんと一緒に帰国中の山野さん。山野さんは日本で展示や制作準備に励む一方、息子さんは日本の小学校に体験入学へ。どんな様子だったか話を伺いました。

やまの・アンダーソン・ようこ/ストックホルム拠点のガラス作家。スウェーデンの国立美術工芸デザイン大学で修士課程を修了。2023年11月広島市現代美術館、2024年1月東京オペラシティ アートギャラリーで山野発案のプロジェクト「Glass Tableware in Still Life」の巡回展が始まる。アートブック「Glass Tableware in Still Life」(torch press)が9月に刊行予定。著書に写真家・長島有里枝との共著「ははとははの往復書簡」(晶文社)がある。

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