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「夫が花になってしまった。」 彩瀬まるが誘う甘美で妖しげな世界

  • 2023.7.14

「憧れ、執着、およそ恋に似た感情が幻想を呼び起こし、世界の色さえ変えていく――」

彩瀬まるさんの『花に埋もれる』(新潮社)は、R-18文学賞を受賞したデビュー作「花に眩(くら)む」、イギリスの老舗文芸誌「GRANTA」に掲載された「ふるえる」など、2010年から2022年にかけて発表された中から6作品を収録した「ベストアルバム的短編集」となっている。

美しくなめらかな肌触りのソファに魅了される女性(「なめらかなくぼみ」)。愛した女の首筋が陰っていくことに幸福を感じる男性(「二十三センチの祝福」)。忘れたことがおはじきのような物体になり、体からこぼれ落ちる男女(「マイ、マイマイ」)。同僚の指に見惚れ、体の内部にきれいな色の石が生まれる女性(「ふるえる」)。肌に植物が咲き、老いると花や草の固まりになって土に還っていく人々(「花に眩む」)。

おはじき、石、草花が......え? と意表を突かれた。甘美で妖しげで独特な世界が広がっている。登場人物たちが美や快楽や幸福を感じる対象は、いろいろ。何か・誰かに好意を持ち、執着し、果ては体に異変が起こるという、奇想天外な展開が待っていた。

「夫が花になってしまった。そう感じる私は、正気を失っているのだろうか。」

夫の秘密と本音

ここでは、個人的にとりわけ作品の世界に入り込んだ「マグノリアの夫」を紹介したい。ちなみに、マグノリアは木蓮のこと。

陸(りく)と郁人(いくと)は、大学の演劇サークルで出会った。陸には、郁人がいつもどこか警戒しているように見えた。あるとき、郁人から「内緒の話」を打ち明けられる。自分は世界的作曲家の隠し子で、生涯にわたって関係性を公表しないことになっている、と。

陸は学生時代に作家としてデビューし、郁人は卒業後に劇団員になった。ふたりは20代半ばに結婚。陸の仕事は順調だったが、郁人はなかなか芽が出なかった。「陸の方が先に、俺の父親に会っちゃいそうだね」。俳優として成功して父親に会うことが、郁人の目標のようだった。

このとき、陸は違和感を覚えた。純粋に表現を突き詰めるためではなく、父親に認めてもらうため。そんなよそ見しながらの活動が実を結ぶのか。演劇そのものに幸せを感じられないのか......。同じ表現者として、考え方の違いが引っかかった。それは郁人も同じだった。

「みんながみんな、陸みたいに真っ直ぐな理屈でものを考えるわけじゃない。」
「俺は、本当は生まれてないんじゃないかって、変な気分になったんだ。」

白木蓮の夫と生きる

それから10年後、郁人は白木蓮の役を演じることになった。

ガラスの鉢にもぐりこみ、全身で花を表現する。郁人はいま舞台の上で、木蓮の花として生きている。あまりにもリアルな木蓮が話題を呼び、チケットは完売。「花として生きるのも楽しい。いま、すごく、幸せだ」と郁人は言った。

まるで「なにか、降りてきている」かのようだった。本物の花に近づいていく郁人を、陸はちょっと怖いと思いはじめていた。心のどこかで、表現者としての郁人をあなどっていたのかもしれない。それに最近、白木蓮の印象と重なり過ぎて、郁人から花の香りを感じる。「あれは、なんだ?」

公演最終日、郁人はカーテンコールに姿を現さなかった。ガラスの鉢に大輪の花を咲かせた白木蓮の枝を残して消えた。「夫が花になってしまった」と陸は思った。鉢を持ち帰り、白木蓮の夫との生活をはじめる。

郁人は花になれたことを喜び、陸は花になった夫を慈しんだ。「そばで生きて、私と喜びを分かち合っている」。表現を追求した果てにそのものになってしまうなんて、表現者にとっての理想かもしれない。

しかし、花に姿を変えても郁人の心は残っていた。陸の心の引っかかりも消えていなかった。あるとき、陸は郁人に感情をあらわにして――。

「誰にも愛されなくとも、それをやり続けるのが本物じゃないのか。どうしても我慢ができなかった。私の方が正しい、という確信があった。」
「一緒に生きているだけで幸せだったのに。祝福をその身に降ろすほど、諦めずに芸を磨く姿を見ていたのに。」

体の中や表面に異物が......という説明を読んで、グロテスクに感じるかもしれない。自分の体から......と想像してやや躊躇したが、いざ読んでみると、なんとも美しく幻想的な作品だった。描写が繊細で、五感を研ぎ澄まされた。

現実に非現実が、日常にファンタジーが、さらっと紛れ込んでいる。人間とそれ以外の境界線も薄い。はじめはぎょっとした設定もあるが、異質のもの同士が混ざり合った世界にだんだん入り込んでいって、陶酔した。ちょっとこれまでにない読書体験をした。

■彩瀬まるさんプロフィール
あやせ・まる/1986年千葉県生まれ。上智大学文学部卒。2010年「花に眩む」で第9回「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞。13年に小説としての初の単行本『あのひとは蜘蛛を潰せない』を上梓。17年『くちなし』で直木賞候補、18年同作で第5回高校生直木賞受賞。21年『新しい星』で直木賞候補。その他の著書に『骨を彩る』『桜の下で待っている』『やがて海へと届く』『朝が来るまでそばにいる』『草原のサーカス』『かんむり』など。23年には本書所収の短編「ふるえる」がイギリスの老舗文芸誌「GRANTA」に掲載、『森があふれる』の英語版が出版されるなど海外でも高い評価を受ける。また小説以外の著書に東日本大震災の被災記『暗い夜、星を数えて――3・11被災鉄道からの脱出――』がある。

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