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女性の分断現象に思う 「自己責任論」巡り未婚女ふたりが喧嘩した話

  • 2023.7.13

女性は結婚や出産といったライフステージの変化で、それまでの友人と話が合わなくなったり、疎遠になったりする――。時に言われることですが、「同じ属性」のはずの友人とも、「女性の生きづらさ」を巡って分断してしまった……。こんな自身の経験を、30代後半独身の女性ライターが語ります。「もっと闘うべき相手は別にいるのに」。

「変わるべきは自分ではなく社会」それは理想論?

「会社の産休・育休制度が充分でないこと、家事をアウトソーシングするのが世帯収入的に厳しい相手と結婚したこと、家賃の高い東京という土地に住むと決めたこと、実家の親を子育てのアテにしているけれど、不満があること……。全部自分で選択したことの結果なのに、愚痴を言われても同情できない」

35歳未婚子無し、都内で働く女ふたり。いつもの飲みの席での何気ない会話の中で、友人の吐き捨てるようなその一言が私たちの間に流れていた空気を変えた。

転職を繰り返し、30代で念願叶って大手日系企業の正社員へと就職した彼女。夢を叶えたのも束の間、プロパーの同僚たちが新卒でそのホワイト企業に就職し、順調にキャリアを積みながら産休・育休制度を利用するのを目の当たりにし、行き場のない苛立ちを募らせていた。彼女が20代すべてという長い時間を掛けて少しずつキャリアアップしようやくたどり着いた場所で、その場所に以前からずっといた同僚女性たちが、「妊娠」「出産」といったライフステージの変化を迎え、その業務のしわ寄せが自分にきている。誰のせいでもないけれど、どこか解せない、そんな思いを会社のシステムや(彼女曰く)「使えない」同僚への怒りに変えていた。

「でも、すべて自己責任……、なのかな。子育てによって本来積み重ねることができたかもしれないキャリアが断絶されたり、しかもそれが多くの場合は女性に偏っていたり、そもそも世帯年収が高くないと子どもを持つことがままならない社会になってしまっていることが引き起こした事実を、”自己責任”だけでは片付けられないと思う」

と言葉を返した私は、口角泡をとばしている彼女とは同級生。現在は非正規雇用として働き、目先のことに精一杯。「それでも結婚したい」「いつかは子どもを」なんて口に出して言えば「何をそんな夢物語を」と言われそうで、何とか言葉を選びながらささやかな反論をした。

Getty Images、1枚目も

議論のはじまりは、互いの知人や友人、SNSで目にする「既婚者や子持ちの人々の愚痴」についての話題からだった。

子持ちの友人と約束をしようとすると、当然のように子どもを中心にした時間や場所が組まれていき、それは少なからず独身の自分たちにとって窮屈だと感じること。産後の社会復帰の難しさに悩む知人にかけられる言葉の少なさ、アドバイスのしようのないパートナーへの愚痴……。独身子なしの我々としては、「友人たちのことは嫌いにはなれないけど、受け止めるばかりでは疲れるし、距離を起きたくなることもあるよね」というところまでは、お互いの意見は一致していた。

しかし、徐々に会話の雲行きが怪しくなっていった。
「実家が首都圏じゃない子は、出産後に親のサポートがないのでワンオペがしんどそうだよね」と私が言えば、彼女は「親に頼らないと育てられないのに、生むことにした自分のせいじゃん。私は東京出身だけど、自分に子どもが生まれたとしても親に頼るつもりはない」とバッサリ。

「育休の間の収入がままならないのは不安だよね、いつ復帰できるかもわからないし」と私が口にすれば、「その程度の収入の相手と結婚して子どもを作ることを決めたのはその人たちなのに、なんで文句言うの」とにべもない。彼女のスタンスは一貫して“その環境を選択したその人に責任がある”というものだった。

でも、「環境による自己責任」ほど怖いものはないのではないだろうか。環境には不可抗力的なものが働くことが多分にある。だから、自分の努力不足、変わるべきは自分……というだけでなく、社会の制度を見直すなり、そのために、それは誰かにとって愚痴に思われたとしても、声を挙げるなりすること自体は必要ではないか。

そんな意見を彼女はこう切り捨てる。
「子どもを産み、育てやすい社会にするってことは大事だけど、現実問題そうじゃない中で、あなたはどれだけの努力をしたんですか?やれることやってるんですか?って話だから」

彼女の強い語気は私に向けられているわけではないのに、だんだんと私の収入・生活環境・子どもを持つ未来への不安を次々と糾弾されているような気持ちになり、最後はほとんど泣きそうになっていた。他愛無い食事の席での未婚女同士の会話が、どうしてこんなことになってしまったのか。

Getty Images

石を投げるべき相手は、別にいるのに

時間を置いてから思い返すと、私たちはお互い「責めたい特定の誰か」と「守りたい特定の誰か」を頭に浮かべながら、半ば代理戦争のように言い争いをしていたように思う。もっといえば、私にとってその「守りたい特定の誰か」というのは、「子を持った未来の自分」だった気もする。

どんな収入でも、どんな相手とでも、キャリアが途切れることなく、そして思いの限り子育てができるようになりたい。そう思いながらもくじけてしまった時、「それはあなたの努力が足りなかったからです」と言われたくない。今、辛そうにしている誰かを自己責任だと切り捨てることは、いつかブーメランになって自分に返ってくると思うから、私は「つらい」という誰かを否定したくない。

しかし、彼女も彼女で、自分が努力して築き上げてきた地位や手に入れたものが、「産休・育休をしている人」のしわ寄せで侵されていく現実から必死に自分を守りたい、たやすく誰かに同情なんかしたくなかったのではないか、と思う。ここで自分が「Yes」と言ってしまえば、ますます後ろに続く、キャリアに邁進する女性たちの首を締めるのではないかと。

「理不尽な不利益を被らずに、思い切り生きていきたい」。私たちふたりは、きっとお互いの思いの根底にはそんな、シンプルだけど揺るぎない、同じ思いが流れているのだと思う。目指すべき場所は違わないはずなのに、でもなぜかその時は、お互いに石を投げ合うことになってしまっていた。石を投げるべき場所は、声を挙げるべき対象は、闘うべき相手は、本当はきっと、他にあるはずなのに。

Getty Images

ライフステージの変化にともない、友人たちと意見が合わなくなる、疎遠になる、分かり合えなくなる……。そんな言説はいくらでも頭で理解している。でも、自分がその場所で必死に立って生きていくにあたり、誰かを否定する必要はないわけで。違う環境の人と互いに攻撃しあう泥試合なんてしたくない。とはいえ「みんないろいろあるんだし、話が合わなくなるのはしょうがないよ」。そんなふうに物分りよく受け入れたくもない。それならば私は、“自己責任”で、どんなライフステージの女性とも連帯を試みたい。

……と、奮起してから、ふと我に返る。そう、それこそいま彼女と闘っている場合ではない。彼女と分断なんかしてたまるか……。そう思いはするのだけれど、それでも私はまだ、やっぱり「自己責任論」を巡る私の思いを曲げることはできず。喧嘩した友人に、次にどんな言葉をかければいいか考えあぐねている。こんなところでグズグズしている場合じゃないのに。

■暮石セルヒのプロフィール
文学部出身のてんびん座、好きな色はミント色。東京の真ん中で、東京からこぼれそうな人たちの声を拾いたいライター

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