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ジェーン・スーさんが語る“自己肯定感”の今とこれから 「自分の“クセ”を直したらもっと楽になれるはず」

  • 2023.7.12

わかるようで、わからない…。そもそも「自己肯定感」って、一体何なの? そんなモヤモヤを、コラムニストのジェーン・スーさんに伺いました。

ジェーン・スーさん特別語り下ろし 自己肯定感の今とこれから。

人によって違う、ものの見方や捉え方。自分の“クセ”を直したらもっと楽になれるはず。

あくまでも私の印象ですが、自己肯定感という言葉を一般的に聞くようになったのは、20年ほど前でしょうか。もともとは心理学用語だと思うのですが、ブログやSNSが普及して心情を吐露しやすくなり、自分らしい生き方にフォーカスされた時期と重なっていた記憶があります。当時この言葉に敏感に反応した人たちは、自己肯定感がそれほど高くないからこそドキッとさせられたのでしょう。そういう意味では、私も決して高くなかったのだと思います。

頑張りすぎていたり、人知れずつらさを抱える自分を受け入れる潮流もその頃始まったように思います。ありのままを批判せず、ジャッジせずに受け入れる、いわゆる自己受容は自己肯定と大抵セットで語られてきましたし、今は自己受容のほうが重要視されているかもしれません。常日頃「私なんか」とネガティブな思考の人もいますが、ものの見方・捉え方は人によって違うことを知るのも大切。そして、その自分の〝クセ〞に気づいたら、少しずつ直したほうがもっと楽に生きられるはず。

雑談をお仕事にしている桜林直子さんと、『となりの雑談』というポッドキャスト番組をしているのですが、私とサクちゃんは物事の捉え方が面白いほど異なっています。例えば目の前にドアが10個並んでいて、そこから1つ選ぶとしたら、私はドアを開けた先に、また新しいドアがたくさんあるはずだと考えます。一方サクちゃんは、1個選んだら残り9つの選択肢がなくなるので、間違えたら大変だと焦りが先に立つらしいのです。ちょっとした捉え方の違いで、自分を信じることができたりできなかったりするわけですが、サクちゃんの話は自己肯定力を強く保てない人たちに、すごく刺さるんですよね。おかげさまでリスナー数は右肩上がりなのですが、SNSでコメントをする人が少ないのも、この番組の特徴。『OVER THE SUN』との大きな違いです。

褒められても「本当はそんなこと思ってないでしょ?」と疑ってしまう人もいますよね。だけど相手の感情を定義するのは、ある意味傲慢といえるし、周りの人はあなたの人生の書き割りではありません。ときに的外れな評価をされることも事実ですが、それはそれとして受け止める。反対にマウントを取ってきたり、容姿をけなすなど、ひどい言葉をぶつけてくる人もいるかもしれません。だけど自分が信用する人以外の言葉や振る舞いは気にしないのが賢明。そういう人なのだと諦め、それ以上考えるのはやめにしましょう。

ひとり歩きしている“自己肯定感”という言葉の意味・定義を因数分解してみる。

私の著書『闘いの庭 咲く女 彼女がそこにいる理由』は、さまざまな職業の13人の女性に、これまでの道のりを聞いたインタビューエッセイですが、世間的な成功や活躍と自己肯定感は必ずしも比例しないことがわかります。その上で彼女たちに共通して言えるのは、自分を信じる力が強いこと。例えば「今回は失敗したけど次はきっとうまくいく」とか、「今はできなくてもいつかできる日が来る」というふうに、自分自身を誰よりも信頼しているのです。

彼女たちのなかには、自己肯定感や自己評価が低い、と認識している方もいらっしゃいましたが、おそらく前後の文脈から察するに、「今の自分に決して満足していない」ということだと思うのです。あるいはちょっと怠けたり、ずるをしてしまったから、結果に繋がらなかったことを自分自身が一番わかっている。それで気がついたのは、「自己肯定感が高い=成長したい、進歩したい」ではないこと。自己肯定感が高いのは本人にとって幸せなことですし、何よりも大事なことだといえますが、世間的な成功や成長に必ずしも直結するわけではないようなのです。自己肯定力を上げる最も効果的な方法は、今の自分を丸ごと受け入れることだと思うのですが、それだけを目的にしてしまうと、場合によってはやりたいことや、なりたい姿とは違う方向に行ってしまう可能性があるともいえるでしょう。

自己肯定感という言葉がこれだけ世の中に浸透すると、「あなたの足臭くないですか?」みたいな、ちょっとした脅かし広告のようになっている感も否めません(笑)。「臭かったらヤダなあ。どうしよう…」と反射的に不安を煽られるのと、なんとなく似ていますよね。

自己肯定感を高めるにはどうしたらいいかという質問に、具体的に答えるならば、早起きをして朝日を浴びるとポジティブな気持ちになれる、みたいなことになるのでしょう。だけどそれ以前に考えるべきなのは、この言葉自体をあなたはどう定義しているのか、ということです。そしてもしも「低い」と認識しているのであれば、なぜそんなふうに思うのかまずは考えてみてください。その上で自己肯定感が高い人になりたいのか、高そうだとあなたが思っている人は本当に自己肯定感が高いのか、そもそもそんなに高い人なんているものなのか、などなど。

ひとり歩きしてしまっている言葉に囚われすぎず、もう少し意味を細分化して考えてみることから始めたほうがいいような気がします。

自己肯定感が高止まりの人なんていない。年とともに悩むことさえ面倒になるものです。

「執着筋(しゅうちゃくきん)」と言っているのですが、私は年齢を重ねることによって自己への執着がどんどん弱まってきました。健やかな自己受容が可能になったというより、やることが毎日たくさんあったり、年を取るとすぐに眠くなっちゃったりするからなのですが(笑)。若い頃は誰かと比べたり、他人からジャッジされる機会がどうしても多いので、自己受容が難しいものですよね。子育て中の人も、ひとりのときとは異なる形で自己肯定感を揺さぶられるのでしょうが、出産も子育ても未経験の私は、その点でも比較的のんびりと自分軸で生きられているのだと思います。

そもそも、自己肯定感が高止まりの人などいないと思うのです。日によって高いときも低いときもあるし、一日のなかでもレベルが変わって一定しないもの。私は年齢的に第二の思春期と呼べる不安定なホルモンバランスになっているので、やたらと自己嫌悪に陥ってしまうときもあるのですが、逆にその状態をエンタメとして楽しむようにしています。例えば一日中誰にも会わないことにして、失恋映画を観たり、悲しい音楽を聴いたりして、アンニュイな気分にびたびたに浸ってしまうのです。「懲りずにまた同じようなことで悶々としてるわ」とか「『私なんか』って考えてもいいことなんかひとつもないのに」などと、落ちている状態を白けて客観視している冷静な自分もいるのだとしたら、こっちのもの。エモみを100%出し切ってしまいましょう。しばらくしたら気持ちが上向きになるっていう、波をわかっているからこそ満喫できるモードですし、ある程度楽しんだらそのうち自然と飽きてしまい、平常心に戻ることができるので。

極論を言ってしまえば、目の前に10秒おきに飛んでくる皿をつかまえて、パッパッと床に置いていくような仕事を朝から晩までしていたら、自分のことで悩んだりする時間なんてまずありません。メンタルが落ち込めるのはそこまで忙しくないからで、時間や気持ちに余裕があるということの証しなのです。その時間を悩むことに充てるのも、反対に自分をもっと好きになるために新しいことに挑戦したり、何かに夢中になったりするのもあなた次第。もしも悩むことからなかなか抜け出せなかったとしても、年齢とともに悩むという行為にも体力が必要なことを痛感しますし、そのうちツルンとなくなってしまうはずです。悩むのも悩まないのも、発信源(ソース)は自分自身。いつか終わりが来ることなので、安心して大丈夫ですよ。

ジェーン・スー コラムニスト、作詞家。TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』、ポッドキャスト番組『ジェーン・スーと堀井美香の「OVER THE SUN」』『となりの雑談』のパーソナリティとして活躍中。『闘いの庭 咲く女 彼女がそこにいる理由』(文藝春秋)など著書多数。最新刊に脳科学者・中野信子さんとの共著『女らしさは誰のため?』(小学館)がある。

※『anan』2023年7月19日号より。イラスト・中島ミドリ 取材、文・兵藤育子

(by anan編集部)

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