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「笑顔しかわからない多くの人たちより......」フランソワーズ・サガンの横顔とは?

  • 2023.7.12

文筆家・村上香住子が胸をときめかせた言葉を綴る連載「La boîte à bijoux pour les mots précieuxーことばの宝石箱」。今回は彼女とも親交のあった、フランソワーズ・サガンの言葉をご紹介。

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19歳で初めて書いた小説『悲しみよ、こんにちは』が、世界的ベストセラーになるという奇跡のような体験をしたフランソワーズ・サガン。それまでの穏やかで裕福なブルジョワ家庭の令嬢という環境から、瞬く間にマスコミの脚光を浴びてスターになったが、本人は喜ぶというより、むしろ困惑していたようだ。まるで蜜に虫がたかるように、ファンや友人と称する人たちが彼女の家に押しかけてきて、新しいスターを一目見ようとやってきたので、彼女もうんざりしてしまい、人間不信に陥ってしまったのだろう。よく知らない人たちの前では、笑顔で過ごさなければいけないけれど、ひと握りの親しい友と一緒なら、その人の腕に抱かれて、思い切り泣いてみたい、そういう気持ちがあっても不思議はない。

1980年代後半、日本の雑誌社のパリ支局を任されていた私は、当時サガンが住んでいたシェルシュ・ミディ通りの庭付きのアパルトマンによく出入りしていた。早口の彼女の会話は、最初は聞き取りにくかったが、そのうち慣れてくると、秘書の女性ではなく、自らドアを開けにきてくれて、薔薇の花の咲いた庭先で、セーヴル製のティーカップでお茶をいただいたものだ。

サガンは訪問客が居心地よくしているかいつも気を遣ってくれて、他人を喜ばすのが何よりも好きなので、私が紅茶をほめると、その紅茶を缶ごとくれたりした。どこか現実離れのした、夢見る乙女のような雰囲気だった。好き嫌いがはっきりしていたのは、相手の心の中を読み取ることができたからだろう。そうだとしても、彼女の気持の揺れ動きを読み取ることができる人は稀で、傷つくことも多かったのではないか。泣きたくなることも。

神経質だったサガンは、物静かな大人の女性が好きだったという。当時同棲していたのは、すらりとした長身の女性デザイナー、ペギー・ロッシュで、私も時折彼女のアパルトマンですれ違ったものだ。ひとりではお風呂の湯も入れられなかったサガンは、秘書かペギーがいなければ、何もできなかったそうだ。人間はまったく別の性格にはなれないにしても、自分と異なる相手を愛することで、そうした部分を補っていたのだろうか。

繊細な愛の感情をあれほど見事に描いたサガンなのに、現実社会にはあまり関心が持てなかったようだ。サガンの涙、一度はみてみたかった。

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フランソワーズ・サガン1935年、フランス生まれ。1954年、『悲しみよこんにちは』でデビュー。以降小説、戯曲、随筆など代表作多数。2004年、心臓疾患のため逝去。

 

村上香住子フランス文学翻訳の後、1985年に渡仏。20年間、本誌をはじめとする女性誌の特派員として取材、執筆。フランスで『Et puis après』(Actes Sud刊)が、日本では『パリ・スタイル 大人のパリガイド』(リトルモア刊)が好評発売中。食べ歩きがなによりも好き!連載:猫ごころ 巴里ごころInstagram: @kasumiko.murakami 、Twitter:@kasumiko_muraka

 

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